限りなく澄んだ青(2)
由香里姉さんが警察官のご主人と、そのお母さんと一緒に住んでいる家は、築40年の2階建ての家だが、嫁入りした姉さんを迎えるにあたってリフォームしたせいか、古さを感じさせないものだった。
姉さんとその義理の母に迎えられた僕らが家の中に入ると、高齢の母親の言える自宅らしく上がり
そして、生後半年の赤ちゃんが居る家らしい赤ちゃん向けのキャラクターのパステル調のポスターや人形の数々が不思議な、だが不快にならない多様な空気をもたらしていた。
インターホンを鳴らして玄関に入ると、そこにはよれよれのジャージ姿でやや寝不足気味には見えたが、人懐っこい雰囲気は変わっていない姉さんと、80歳近いが服装も整った若々しい義理のお母さん、
姉さんは腕に息子の「
「すいません、今日から2日間お世話になります」
頭を下げた僕らに姉さんがうんうんと頷いて言う。
「お疲れ様、みんな。大変だったでしょ、こんな田舎まで車で……」
「いや、大丈夫。運転は好きだから苦にならない」
そう言うと、次に隣の博美さんに頭を下げる。
「よろしくお願いします。すいません、赤ちゃんも居てバタバタの時に」
「いいのよ、由香里さんにもいい気晴らしになると思うし、大歓迎ですよ。ゆっくりしていってね」
「そうそう、3人とも……特に心美ちゃんは環境も変わったし、色々あって大変だったよね、あ、で……挨拶が遅れちゃったね」
姉さんはそう言うと、心美ちゃんに向かって改まった感じで頭を下げた。
「始めまして、落合由香里と言います。卓也と香苗さんの姉です。これからよろしくね」
「由香里叔母様、博美お婆様、こちらこそご挨拶にも出向けなくて申し訳ありませんでした。柳瀬心美と言います。今年の7月から特別養子縁組で柳瀬家へ正式に長女として入らせて頂きました。今後ともよろしくお願いします」
そう言いながら二人に丁寧にお辞儀をする心美ちゃんに、博美さんは目を丸くして言った。
「まあまあ、今時の子にしては丁寧だし、言葉も知ってるわね。どうしましょう、こっちが緊張してきちゃった」
「いえ、そうおっしゃられると私も緊張します」
そう返した心美ちゃんの言葉に、場の全員から和やかな笑い声が出た。
「心美ちゃん、柳瀬家ではリラックスできてるみたいだから、ここでも遠慮なくそうしてね。私の事もおばさんって呼んで貰っていいから」
「いえ、そんな……叔母様と呼ばせてください」
「おおっ、凄い……香苗さんなんて初日の夕方にはすでに『由香里さん』だったのに」
そう言ってニヤニヤと香苗のほうを見る姉さんに香苗は笑いながら、背中を叩いた。
●○●○●○●○●○●○●○●○
居間に通された僕らは、お茶とお菓子を頂きながら広々とした畳張りの室内と、線香の匂い。
そして、奥に鎮座している仏壇に目を向ける。
綺麗好きな博美さんによるものか、玄関も含む室内は全て「塵一つ無い」と形容できそうな感じだ。
元々姉さんも超がつくきれい好きだが、泰斗君が生まれてからは育児のため手が回らず、家事にはずぼらな夫の
姉さんは泰斗君に授乳をするとの事で部屋に戻り、3人でドライブの気だるさの中、ぼんやりしていると博美さんが入ってきた。
「もうお茶菓子はいいかしら? 良かったら他に何か持ってきましょうか?」
「もう大丈夫です。有難うございます」
「あらそう。じゃあこちらは下げようかしらね」
そう言って博美さんが湯飲みなどを取ろうとした時、心美ちゃんがすっと立ち上がり、僕らの湯飲みをお盆に載せた。
「お婆様、とても美味しかったです。洗い物、ぜひお手伝いさせて下さい」
「ああ、いいのよ。あなたたちはお客様なんだから」
「有難うございます。でも、こんな美味しいお茶やお菓子を頂いたので、せめてこのくらい」
「あらまあ、じゃあお願いしようかしら」
「あ、じゃあ私も」
香苗がそう言って慌てて立ち上がって3人が出て言ったため、僕も行こうとしたが3人に「男性はゆっくりしてて」と止められたので、いまいち落ち着かない感じでそのまま座りなおした。
心美ちゃん……
本当に彼女の事がわからない。
あの子は……何なんだろう。
でも、恐怖や憎しみはない。
僕の中でやっぱりあの子と家族になりたかった。
僕にとって彼女のいない日々が想像できなかったのだ。
そうだろう、僕は……父親なんだから。
そう、だから彼女の心の奥を知りたい。
知って、お互いに分かり合いたい。
そうすれば、あの子も普通の中学生の女の子にして上げられるかも。
そう、あれだけの事があっても僕は諦められなかった。
それに……親の愛を知らず、養護施設に入っている子供は愛情不足によって極端な、そして線引きの曖昧な形でのアプローチによる愛情表現があると聞いた。
茜ちゃんの件は心美ちゃんは関係なかった。
さやの言った「6歳以前の記録」にしても、それがイコール犯罪行為と言うわけじゃない。
年齢的にも彼女は被害者だろう。
仙道ホーム長の件も、僕を守ろうとしてくれた末の行き過ぎた行為にすぎない。
サービスエリアでのキスにしても、愛情を極端に強く求める心美ちゃんにとって、香苗の行為は、愛情不足ゆえに羨ましがる気持ちが表に出たのだろう。
そう考えると、驚くほど心が軽くなった。
何やってるんだ。
父親の僕が娘を信じず、味方にならず誰が守ってやるんだ。
そうだ、冷静に考えるんだ。
なんでも心美ちゃんを悪い方向に見るんじゃない。
あの子の一生がかかってる。
早く考えを正してあげて、早くいい人と交際できるようにしてやらないと……
「卓也、何難しい顔してるの?」
突然姉さんの声が聞こえて驚いて顔を上げると、泰斗君を抱っこした姉さんが入ってきた。
「香苗さんと心美ちゃんは?」
「二人は博美さんのお手伝いに行った。僕は男だからじっとしてて、って」
そう言うと姉さんは噴き出した。
「お義母さんは分かるけど、香苗さんと心美ちゃんまでか。じゃあ大人しくしてなさい」
「ああ」
「……所でさ、何であの子なの?」
姉さんの声の調子が変わった。
婦人警官だった頃によく聞いた、事象を分析する口調だ。
僕は全身が緊張するのを感じながら、努めてなんでもないように答えた。
「香苗と僕でそうした。赤ちゃんや幼児を一から育児なんてとても自信なかったし、あの子は聡明だ。僕らみたいな夫婦でも親として理解してくれると思ったんだ」
「ふうん……まあ、急ごしらえの理想論よりずっと信用できるし、そっちの方が上手く行くと思う」
「いきなり聞くなよ、そんな事」
「聞くでしょ。だってあなたは……向いてないから。父親に」
「ここまで上手くやれている。あの子の父親として」
「でも、私を助けてくれた時、父さんに……ゴメン、それ言うの無しだったね。でもさ、勘違いしちゃダメだよ。自覚しないと。私もだけど、あなたも……あの男の血が流れてる。感情を抑制できない、衝動を暴力で表そうとする……屑の血が」
「勘弁してくれ。そんなオカルト」
「ごまかしちゃダメ。血って言うのはオカルトじゃなく遺伝の事。父……あいつは衝動を押さえ込むのが下手だった。自分の言い分や不満、怒りを言葉で上手く説明も出来ない。怒ったことを思い出しては自分の中で勝手に育てて、怒りを増幅する。そして、消化できずに……弱いものにぶつける。お手軽な『暴力』によって」
「僕は……暴力を振るった事はない。姉さんもだろ?」
「そうね、お互い『今は』ね。でも……時々泰斗相手にヒヤッとすることがある。それでも抑えれてるのは、私自身あの屑の血を引いてる、って毎日自覚してるから。自分は危険な存在だ、って自覚してるから。あなたは……どうなの?」
無言になっている僕に向かって姉さんの言葉がさらに刺さってくる。
「暴力で出るとは限らない。事実から逃げる事かもしれない。他の人への憎悪になるかも知れない。あの時のアイツみたいな……腐った……愛かも。ねえ、私たちって本来親になってはダメな人種なの。まあでも私も彼を好きになっちゃって、出来ちゃって……母になったけどさ」
そう言うと姉さんは自嘲気味に乾いた笑い声を出した。
「僕は……あいつとは違う。ごめん、姉さんとも違う」
「『深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている』ニーチェの言葉だっけ? 目を逸らすのが一番ダメ。自覚して受け入れなさい。その上で飼いならすの。『自分はあの屑になりかねない。だから上手く付き合おう』って」
姉さんの言葉が無理やりに脳に飛び込み、それは肌を這い回る虫のように、言い様の無い不快感をもたらした。
もういいから。
いい加減に……
その時、和室の外に人の気配を感じたような気がした。
しまった、聞かれてた……
慌てて立ち上がり障子を開けたが、幸い誰も居ないようだった。
良かった……
「ゴメン、誰かいた?」
慌てて話す姉さんに僕は首を振った。
「いや、大丈夫。でももうこの話はやめよう。姉さんも赤ちゃんの世話はキツイだろ? こっちは大丈夫だから。何かあったら相談するよ」
姉さんは無言で頷いた。
●○●○●○●○●○●○●○●○
僕らに用意された2階の部屋に荷物を置いた僕らは、せっかくだから海に行こうという事になり、水着を用意して出かける事にした。
姉さんと博美さんは流石に同行が難しいので3人で出かける予定だ。
で、二人は水着を着てから上に服を着ていくと言うので、その間僕は下の居間で待っていることにした。
だけど準備が終わったら降りてくると行った二人は中々降りてこない。
もう30分になる。
どうしたんだ……
流石に気になって声を掛けにいこうと2階に上がる。
すると、階段の途中で部屋の中から良く聞こえないが、なにかヒソヒソと話し声が聞こえた。
ああ、おしゃべりしてたのか。
全く、これだから女子は……
そう思いながらドアを開けようとすると、充分に閉まってなかったのだろう。
半開きになっているドアの隙間から中の様子が目に飛び込んで、そこに見える香苗の姿に僕はそのまま立ち尽くした。
ドアの隙間から見える二人。
心美ちゃんはまるで母親のような優しい微笑を。
そして、香苗は……心美ちゃんを能面のように無表情で見ていた。
香苗のあんな表情は結婚……いや、出会ってから始めてみるものだった。
背中に冷たい汗を感じる僕の耳に心美ちゃんの囁き声が途切れ途切れに聞こえる。
「……から……いいよね」
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