東京影譚 ~エミリア、影を紡ぐ者~

ミルティア

第1話 プロローグ - 影の住人 -

 何時もの喧騒と乾いた空気に支配された街。

エミリアは、その一角の忘れられたような再開発が放棄された地区の雑居ビルの一部に勝手に間借りしていた。


 今と言う時代にあっては、彼女のような生き方は廃業に近い。

何をしても証拠が残る時代。

何を食べ何を話し何を聞き。

全てが統計学の数式にぶち込まれ丸裸にされる。

それでも、エミリア・シュナイダーと言う女性には、この生き方しかできなかった。


「朝ごはんができたぞ~」


 エミリアが雑居ビルの二階の一部屋の壁際で黄昏ていれば、雑居ビルの元飲食店の跡地の天井をぶち抜いて作られたショートカットの出入り口から男の声が投げかけられる。


「今、行く~」


 何時もの日常、何時もの会話。

この何時もの朝のやり取りがエミリアの人生に加えられたのは、ほんの数年前。

ある刑事に頼まれた厄介ごとの副産物である。


 エミリアは、ショートカットの出入り口に通されている縄梯子を器用に降りる。

雑居ビルの元飲食店の跡地は、喫茶店の設備も椅子も机もそのままに、オーナーが夜逃げしたらしく、エミリアは、そのまま拝借していた。


「なぁ、食事をする時くらいスマホとにらめっこするのは止めたらどうだ?」

「依頼が来てた時に困るじゃない」

「よく言う。何時だって気分で依頼を受けるか判断しているくせに」


 元喫茶店の一番まともなテーブルに並べられた焼き目が美しい食パンとスクランブルエッグにサラダとスープ。

止めにホットミルクがエミリアを誘う。

何時もの定位置に朝食を作りエミリアに声をかけた野暮ったい男性が座り、これまた定位置にエミリアが座る。


「それが相棒に言うセリフ?」

「エミリアが僕の事を相棒と思っているなんて感激だよ」

「わざとらしい。さっさと元の銀行の融資係に復職したら?」

「首になった銀行に、簡単に戻れるか!」


 エミリアは、食パンを口に銜えてからテレビをつけ朝のニュースをだらしなく見ながら朝食の続きを再開する。


「今日も、ろくなニュース無いわね」

「エミリアがニュースになっていないだけ素晴らしいニュースじゃないか」


 エミリアは、そのツッコミに苦笑した。


「はいはい。けんさんはお優しい」

「いきなり名前で呼ぶな」

「はいはい。佐藤健さんはお優しい」


 エミリアは、佐藤に視線も合わせずテレビ画面とスマホを交互にチェックしながらサラダに喰いつく。


「エミリア。それで何か依頼はあったのか?」

「今の私を見て、依頼があったと思う?」


 それだけで佐藤はエミリアに聞くのはあきらめ、黙々と朝食を食べる。

ただ、テレビの音だけが元喫茶店の空虚さを埋めていた。


「なぁ、聞きたくないが仕事しなくて、生活費はどうする?」

「健ちゃんは心配性ね。健ちゃんを養う生活費くらい、その辺のお巡りさんに通報できない人たちから」

「エミリア、怒るぞ!」


 佐藤の鋭い声に、さすがのエミリアも朝食を止め佐藤の顔を見つめる。


「心配しなくても、私たちが一生食える程度の生活費は持っているわよ」

「エミリアの話は何処まで本当なのやら……」


 ため息をつく佐藤の顔を見ながらエミリアは、もう一度スマホの画面を見る。

佐藤には言わなかったが、ネットの裏側に潜り込んでいる仕事を仲介するアカウントのいくつから高額な依頼が届いていた。

ただ、内容を見てエミリアはゴミ箱に放り込んでいた。

次に、エミリアは自分の金を預けているいくつものアカウントをさっと確認して何ら問題なく適切に運用されているのを確認して、スマホを伏せて置いた。


「お金無くなったら、まじめに働くわよ」

「エミリア。働くあてはあるのか?」

「昔から、ヘッドハンティング多いのよ?」

「お子様に言えない所か?」

「う~ん、ある意味そうかもね」

「どこだよ?」


 エミリアと佐藤のたわいもない会話を挟む朝食に割り込むようにエミリアのスマートフォンが震える。

条件反射的にスマホを持ち上げたエミリアは、お仕事の仲介アカウントから届いたスマホの通知内容を見て佐藤に告げる。


「ストーカー退治の依頼だけど、どうかしら?」

「ストーカー退治って、依頼者はどんな人?」

「大和撫子?」

「ちょっと見せて」


 エミリアからスマホを受け取った佐藤は素早く依頼内容をチェックする。


「エミリアが受けるには、仕事内容が素人向けで簡単すぎない?」

「良いじゃない。そこそこ報酬は良いから」

「エミリアが良いなら一緒に行くよ」

「運転お願いするね」


 エミリアは佐藤から返してもらったスマホを慣れた手つきで操作して依頼を受けることをお仕事の仲介アカウントに返信する。

 それがエミリアの一日の始まりになった。


 都心の一角で存在感を撒き散らす高級ホテル。

そのスイートルームの一室に依頼人がエミリアたちを待っていた。

豪華絢爛を体現するスイートルームの椅子に座る藤原麗子と名乗る依頼人は、佐藤の眼から見てもエミリアに負けず劣らずの天使の輪が美しく浮かぶセミロングな美人。

佐藤はすすめられるままエミリアと共に椅子に座りながら、心の中で、これはストーカー被害が深刻そうだなと思った。


「それでは、この男性が付きまとってくるのですか?」

「はい……。警察にも相談したのですが、警察の警告を受けた後は、その雲隠れして……」

「雲隠れして、嫌がらせを始めたと……」

「はい……」


 エミリアは話を聞いて、ポーカーフェイスのまま雲隠れをしたストーカー犯を捕まえる算段を組み立てる。

エミリアが考えている間、佐藤は麗子に追加の確認をする。


「失礼ながら、この高級ホテルのスイートルームに泊まれるほどの経済力があるのなら、個人的に警備会社にボディガードを依頼してはどうですか?」

「……お二人に依頼した理由を話さないとダメですか?」

「私たちもお仕事を受けるなら信頼してもらいませんと」

「わかりました。調べたらわかると思いますが、私、婚約したのです。その婚約者の方が、今度の選挙で父の地盤を引き継いで立候補します。だからこそ、早期にトラブルを解決したいのです」

「つまりストーカー犯は、恋愛目的のストーカー犯ではない可能性も?」

「それはわかりません。ですが、三日以内に解決して欲しいのです」


 佐藤は話を聞いて頭を抱えたくなった。

エミリアにまわってくる依頼が、普通のストーカー退治なわけがないと気がつくべきだった。


「わかりました。プロとして解決しますので」


 エミリアのやけに営業スマイルな顔を見ながら、佐藤は胃が痛む思いに悩むことになった。



 エミリアは高級ホテルを出ると、乾いた空気の都会の喧騒の中、何時もの態度で佐藤に話しかける。

「このお高いホテルのロビーで、コーヒーでも飲んでストーカー犯が来ないか見てて」

「エミリアはどうする?」

「足で情報を稼いでるわ」


 それだけ告げると、エミリアは佐藤の瞬きの瞬間に消えていた。

慌てて佐藤は辺りを見回すと、エミリアは、地下鉄の入り口に消えていくところだった。


「いったい、エミリアの運動神経はどうなっているんだ……」


 佐藤はぼやきながら高級ホテルに引き返し、ロビーのコーヒーと戦う事となった。



 エミリアは地下鉄を乗り継ぎながら、藤原麗子の情報をネットでしか付き合いがない情報の専門集団に普段の行動パターンを問い合わせる。

駅を一つ二つ過ぎる間に情報の専門集団から藤原麗子の情報が送られてくる。

さらっとエミリアは目に通すと、ストーカー犯の行動を予想する。


「とりあえず、藤原麗子の自宅に寄ってから考えますか……」


 エミリアは、地下鉄の壁に寄りかかり揺られながら藤原麗子の自宅の最寄り駅まで、どう時間をつぶすか考えていた。



 藤原麗子の自宅は、簡素な住宅内の女性専用の賃貸マンション。

セキュリティは固そうに見えるが、エミリアが見るにはいくつかの穴があった。

軽く周りを歩くと、いかにもストーカー犯が待ち伏せしそうな場所を見つけ、立ち寄ると、ご丁寧に人には言えない痕跡がいくつか残されていた。

エミリアの直感は、選挙とか関係なく横恋慕したストーカー犯が一線を越えていると判断した。

何時までも見ていては不愉快な痕跡から視線をそらし、エミリアは藤原麗子の普段の行動パターンを再現することにした。


 買い物先、駅、バス停、日常的に行き来する歩道。

歩くと気がつく痕跡を数えていく。

歩道の横に広がる公園の樹木の根元には、あきらかに同一人物が何日も繰り返し立った痕跡がある。

その痕跡は、まだ比較的に新しい。


 エミリアは、ストーカー犯が藤原麗子の普段の行動パターンを自分のように追いかけていると確信した。

ならば、人目のつかない所でストーカー犯を説得できると思い歩く速度を上げた。


 ストーカー犯は、自分の惚れた女が警察に通報していた事実に、百年の恋が怒りに変わっていた。

だからこそ、藤原麗子に直接会って問いただす覚悟で立ち寄り先を次々と確認していた。

抵抗されたときように、ポケットの中に武器になるものを隠している異常性に気がつかなくなるほど、ストーカー犯は冷静さは無かった。


 エミリアは、予想通り藤原麗子がよく利用しているコンビニ前でストーカー犯を捕捉した時に、一瞬で危険度を判断する。

ストーカー犯の視線の不安定さ、何かをしきりに探す態度、落ち着いて歩いているはずなのに、短距離走を走り切ったような呼吸の荒さ。

そして右手をポケットの中に突っ込みしきりに何かを握ったり離したりする動作。

どれもが素人が極度の興奮状態に意識を奪われている事を示している。

これなら適当に激発させて警察に逮捕させた方が楽かと判断したエミリアは、ストーカー犯の後ろから刺激した。


「警察から警告されているのに、ストーカーとして付け回しているの!?」


 思いっきり耳目を集めるように大声でストーカー犯に声をかけたエミリアは、一気にストーカー犯のパーソナルスペースに割り込みストレスを強く与える。


「な、なんだお前は!?」


 ストーカー犯は、目の前の女性が何をしているのかもわからず、ただ極度の興奮状態の反射反応でポケットの中に隠していた武器を無意識にエミリアに振るっていた。

エミリアは的確に避けながらストーカー犯を哀れに思う。

自分が望んでも手に入らなかった戦争を知らずに生きると言う幸せを、なぜ自ら日常の幸せと共に捨てるかと。

愛されたいのなら間違った愛情ではなく誠意ある愛を示すべきと思いながら。

だからこそ、エミリアはストーカー犯を合法的な方法でけじめを付けさせることにした。


「きゃー、たすけて!!」


 エミリアの棒読みの助けを求める声は、耳目を集めるには十分だった。

コンビニから出ようとした人、入ろうとした人、そして店員たちは女性に武器を振るう男の姿をしっかり目撃した。

たちどころにコンビニの店員が押した非常通報のボタンは、コンビニの警報装置を鳴らす。

それが、ストーカー犯をより刺激した。

エミリアは、ストーカー犯が近くで恐怖のあまり動けなくなっていた女性を人質に取ろうと動き出した直後に、ストーカー犯の利き足の膝をマーシャルアーツを使用した攻撃で、瞬間的な行動で的確に抑制する。

 ストーカー犯が崩れ落ちると、ストーカー犯の持つ武器は地面に転がる。

少なくとも、藤原麗子が雇う弁護士がしっかりストーカー犯を合法的な方法でなんとかできる時間を稼いだと判断したエミリアは、警察が来る前に立ち去ることにした。

報酬に比例するほど働いていないなと思いながらも佐藤のストレスが少ない方法で解決できたことは自慢したかった。


 それから数日後、エミリアと佐藤は雑居ビルの元飲食店の跡地の何時ものテーブルと椅子に座り、点けっぱなしのテレビから流れるニュースを見ながら何時もの会話と何時もの朝食を食べていた。


「今日も、ろくなニュース無いわね」

「エミリアが、活躍する事態が無いだけ平和じゃない」

「一応、私は一流の始末屋なのよ」

「だから、エミリアが、活躍する事態が無いだけ平和じゃない」

「もう一度言うけど、私は一流の始末屋なのよ」

「このまま引退して欲しいけどね」

「引退できるほど、世の中平和になると良いわね」


 エミリアは、佐藤との会話を楽しみながら日常生活というものに感謝していた。

自分が失ってきた過去を取り返せる気がして。


 でも、エミリアがホットミルクを飲んでリラックスしているとスマホが震えた。

点けっぱなしにしていたテレビのニュースでは、ここ一週間ほど都心で連続して発生している女子大生の失踪事件を詳しく伝えている。

また、二人の何時もの日常と何時もの仕事が始まった。

それは、嫌でもエミリアと佐藤を非日常に引きずり込む囁きだった。

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