約束の花嫁は雨が好き

蒼雪 玲楓

雨中の穏やかな時間


 雨が降る。

 梅雨という現在の季節柄、聞き慣れた雨音が窓の外から聞こえてくる。


 雨が降っているというだけでも嫌な顔をする人がいて、それが続くのだから梅雨という季節が好きか嫌いかと聞かれて好きと答えるのはおそらく少数派だろう。


 そしてそんな少数派の中でもとびきり珍しい、雨が降るだけで笑顔になる少女、久遠 雫空くどう しずくはにこにこと、学習机を挟んで自分の目の前で気だるそうにしている少年、蓮見 理央はすみ りおに呼び掛ける。


「り~お~、くんっ!」

「……何?」

「何でもないよ~? 呼んでみただけ」


 学校の教室の昼休みにまるでテンプレートな恋人のようなやり取りをする二人に対して、周囲の人間はああ、いつものかと慣れた様子で聞き流す。


「じゃあ、もう少しだけ静かにしててほしいな……」

「えー、せっかくの雨だなんだよ? これくらいは許してほしいなぁ」

「はぁ……仕方ないね」


 いわゆる、低気圧が近づくと体調が悪くなりやすい体質の理央は外に降る雨の原因に苦しめられていた。

 雫空も、理央の体調のことは理解しているから抑えめに絡みはするものの、見るからに構ってオーラが出ている。


 そんな雫空の様子に理央が苦笑いを浮かべていると、二人が向かい合う机に第三者の手によって二本の缶飲み物が置かれる。

 一本はホットコーヒー、もう一本はホットココア。

 そして、それを置いた張本人の手にはパンや飲み物が入ったビニール袋が握られていた。


「まったく、雫空さんは理央先輩のことをもっと気にかけてあげてください」

「あ、晴姫ちゃん。やっほー」

「やっほー、じゃなくてですね……理央先輩、大丈夫ですか?」

「なんとか……これ、いつもありがとう」

「気にしなくていいっていつも言ってるじゃないですか」


 訪問者である能瀬 晴姫のせ はるきは理央が自分の買ってきたコーヒーに手をつけるのを横目に、近くで空いていた椅子を持ってきてそこに座った。


「晴姫ちゃん、今日は来るの早かったけどお昼ご飯は食べたの?」

「もちろん、まだですよ。ここで食べるつもりで買ってきましたし」


 そう言うと晴姫は手に持っていた袋に入っていたものを机の上に並べていく。

 そして、全て並べ終わるとその中からパンを一つ手に取って口へと運ぶ。


「それにしても。晴姫、今日はなんで早めに来たの?」

「今日っていつもより雨が強いじゃないですか。だから雫空さんがいつもよりご機嫌なんだろうなって思って、邪魔しに来ました。先輩のことを助けて私の目的も達成する、一石二鳥ってやつです」

「わあ、晴姫ちゃんってばひどいんだー」

「ほんとにそう思ってるなら、その手を止めてから言ってくださいね」


 指摘する晴姫の視線の先には、晴姫の買ってきたココアとお菓子に手をつけている雫空の姿がある。


「はむっ……それとこれとは話が別ー」

「晴姫、邪魔しに来たとは言うけど、いつもちゃんと雫空の分用意して来るよね」


 そう言う理央の視線は雫空の手に収まっているココアへと向けられていた。

 理央の為にコーヒーを買ってきただけでなく、わざわざ種類を変えて雫空の分も用意してきているのだからただ言葉通りに邪魔をしに来ているのではないということがわかる。


「私、別に雫空さんのことが嫌いってわけじゃないですしね。あと、お返しもそれなりにもらってますから」

「そうだよー、手作りお菓子とかあげてるもん。いつもコーヒーもらってる理央くんはもっとお返ししないとだめなんじゃない?」

「お菓子とかなら定期的にあげてるけど、晴姫は事あるごとにおまけ・・・を要求するからなぁ……」

「えー、あれくらいいいじゃないですか。雫空さんのおねだりよりましですよ」

「あのー、晴姫ちゃん。本人目の前にそういう言い方はどうかと思うよ? ね、理央くん?」


 雫空の問いに対する理央の回答は無言。

 その上で視線を逸らすのだから、理央がどういう考えなのかはそれだけで一目瞭然である。

 そんな理央の様子を見て味方を得たと確信した晴姫は、ここぞとばかりに雫空へと追撃をしかける。


「ほらー、何も言わないってことはそういうことですよ」

「違うもん! 理央くん、何か言ってよ!」

「……いや、その…………正直、どっちもどっちだから」


 予想外の言葉に、雫空と晴姫の視線が理央へと集中する。


「理央くん、それどういうこと!?」

「理央先輩、私と雫空さんが同レベルってどういうことですか!?」


 ついさっきまで軽くじゃれあっていたというのに、急に結束した二人は逃がさないように左右から理央を挟み込むように詰め寄る。

 元々逃げられるような体調ではない理央だかったが、両脇を固められて動くことすらできなくなってしまう。


「なんですか、私が事あるごとに理央先輩にプロポーズさせてる頭ピンク一色な雫空さんと同レベルだって言うんですか」

「そうだよ。事あるごとに理央くんにべたべたひっついてる晴姫ちゃんと私が一緒なわけないじゃん」


 そんな会話を見守る周囲からのそういうところが同レベルなんじゃ?と言わんばかりの視線に雫空と晴姫は気がつかない。

 クラスが変わってすぐの四月の頃は女子二人にモテている理央に多くの男子から羨望や嫉妬の眼差しが向けられることも多かった。

 しかし、二か月も経過すると自分たちには脈が全くないこと、二人の相手をずっとしている理央が大変そうという意見が徐々に広まっていく。

 そうしていつのまにかクラス内の名物として温かい視線を向け、見守られることが増えてきているのだった。


「二人とも、ひとまず落ち着いてくれるとすごく助かるかな……頭に響くから」

「わっ、ご、ごめんなさい」

「ご、ごめんね。理央くん」


 理央の言葉を聞いて冷静な思考を取り戻せたのか、元の位置に戻る雫空と晴姫。

 申し訳なさを感じたのか、それとも一旦間を置くためか、二人は同時に飲み物に手を伸ばす。


 そうして一呼吸を置いた後、あらためて晴姫が話を切り出した。


「話を戻すんですけど、私と雫空さんがどっちもどっちってどういうことですか」

「やってることの方向性が違うから比較はできないけど、僕の体感としては大差がないから、かな」

「ふむふむ……つまりは理央くん的には私からのお願いと、晴姫ちゃんがくっついたりすることは同じくらい効いてると」

「……ノーコメント」


 そう言われて笑顔を見せる晴姫。

 しかし、それも一瞬だけですぐに物憂げな何かに悩む表情へと変化する。


「私としてはそれは嬉しいですけど、もっと頑張らないといけないような……」

「私が言うのもどうかとは思うけど、晴姫ちゃんは頑張ってるよ。最終的にどうするかは理央くん次第だし、今互角なら十分じゃない?」

「ほんとに、雫空さんが言うことじゃないですよ……これが脈なしなら諦めもつくんですけどね、理央先輩はずるい人です」


 溜息をつきながら理央へと視線を向ける晴姫。

 その視線の意味を理解している理央は何も言えず、苦笑いを浮かべて誤魔化すことしかできない。


「ほんとにね、理央くんはずるいよねー。泣いてる私の弱みに付け込むようなことしてさー」

「あのー……雫空さん? 完全に間違ってるとは言えないけど、そういう言い方はどうかと思うよ?」

「そうですよね、私の時もそうでしたし。というかですよ。雫空さんという前科がありながら私にも同じようなことするのはどうかと思うんですよ」

「晴姫まで……」


 雫空の悪ノリに便乗する晴姫。

 二人の言っていることを否定することはできない理央はそれを見ていることしかできない。

 これまでに何回も同じようなやりとりが繰り返され、その度に理央が二人に敗北してきている。


「でも、それが理央くんなんだよね。後先考えるなら私にあんなこと言わないだろうし」

「それはまあ……そうですね。あとは、なんだかんだそういうところがいいなって思うの惚れた弱みです」

「だねー」


 学校の教室で堂々と自分を話題にした恋バナを聞かされるというとんでも羞恥プレイに理央の精神は限界を迎えていた。

 少し前までは少ししんどそうにしながらも雫空と晴姫の話を聞いていたが、今となっては机に突っ伏し両手を耳に当てて外界の情報をシャットアウトしようとしている。


「これ……もしかして、理央先輩のこといじめすぎました?」

「大丈夫大丈夫。ポーズとってるだけでちゃんと話は聞いてるから。理央くーん、このまま放置されちゃうと楽しくなって色々話しちゃいそうだけどいいかなー?」

「……お願い、既に色々と手遅れだけど許して。僕の傷をこれ以上えぐらないで」

「ほらね?」

「雫空さん、鬼ですか……」


 雫空のあまりの所業に軽く引いた表情を見せる晴姫。

 しかし、雫空はといえばそんな視線もどこ吹く風でにこにことしていて、その上自分の指で理央の頭をツンツンとつついてさえいる。


「ちなみに晴姫ちゃん。お喋りしててお昼ごはんそんなに進んでないけど大丈夫? もうすぐ昼休み終わっちゃうけど」

「あっ……まだ大丈夫です。いけます、というか間に合わせます。最悪の場合は置いていって雫空さんに押しつけます」

「ここ一応理央くんの机なのに、押しつける相手は私なんだね……」

「今の理央先輩の体調じゃ食べられませんし。それに、理央先輩にあげても結局雫空さんがつまみ食いするでしょうし」

「しない、もん…………たぶん」


 指摘されたことに自覚があるのか、弱々しく反論しながら目をそらす雫空。

 その様子を見て満足げな晴姫。

 そしてそんな二人を微笑ましそうに見守る理央。


 そのまま時間は過ぎていき、理央の机には何も残されることもなく昼休みは終了したのだった。

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