【常世の君の物語No.9】火花

くさかはる@五十音

第一章:火花

一筋の涙が、頬をついと流れた。

それをぼんやりとした頭のままぬぐうと、あたたかい布団の中で、火花ひばなはぎゅっと、今一度体を丸くした。

そうして顔の上半分だけを布団から出してまぶし気に外を見やると、庭の隅に立つ柿の木に、柿の実がたわわに実っているのが目に飛び込んできた。

「ふふ」

火花は面白そうに布団の中で身を伸ばす。

御簾を隔てて流れ込んでくる外の空気は、火花の頬には、もうひんやりと冷たく感じられた。

それでも部屋の中まで差し込んでくる日差しを見るに、まだどこかあたたかみを感じさせる。

実りの多いこの季節が、火花は一年で一等好きであった。

ひんやりとした空気の中、あたたかな日差しを感じる、ひとりその空気の中でまどろんでいると、渡り廊下の方からあわただしい衣擦れの音が聞こえてきた。

くすり、と火花は布団の中で笑った。

声の主は、すぐに火花の元までやってきた。

「まぁまぁ、もう昼になるといいますのにこんなところで丸くなっておいでとは」

そう大きな口をして言うのは、火花の家の女房である小糸である。

小糸は今日も、大きな体を更に大きく見せるかのように胸を張って控えている。

「だって外はまだ寒いんだもの」

火花はそう言って、布団から顔だけ出して口を尖らせてみせる。

「まっ。殿様が戦でいらっしゃらないというのに、姫様がそのようなことでどうなさいます」

小糸の言う「殿様」というのは、今年三十になる火花の実父であった。

この頃、西の方で起こった戦により、全国の武士が駆り出されていたのである。

火花の父も例外ではなく、この秋始まった急な大戦で取るものも取り合えず出張っていったのである。

「お父様も大変よね」

「まっ。他人事のような物言いをなさって」

小糸は常に何かに腹を立てているように言う。

火花はそんな小糸が嫌いではない。

「小糸、伊勢神宮に詣でるから、車の用意をお願い」

布団から起きだし、火花は傍に控える小糸に命じた。

「あらあら、近頃伊勢神宮の境内で子供たちとお戯れと聞きますが、本当でございましたか」

「そうよ。悪い?」

そう言うと火花はふふふと笑ってみせた。


火花が身支度を終え、屋敷を出てがらがらと牛車で伊勢神宮に向かう頃には、日はもう人々の真上に及んでいた。

夏の暑さは去り、けれど木枯らしにはまだ早い、太陽の下、柔らかな風が吹いている。

火花は牛車の窓を半分ほど開けて外を見やった。

誰も彼も、その表情が明るく見える。

それは火花の心根を反映してか、それとも今の天下がそうであるためか。

ひとつ、火花の牛車に近づく影があった。

「ひばなだー」

その声のする方を見やると、いつも境内で戦ごっこをして遊ぶ遊び仲間、寛太の姿があった。

見ると寛太の後ろにも、十やそこらの子供たちが二、三人見える。

「あそぼーひばなー」

子供たちは口々に火花の名前を口にし、ある者は小枝を投げ、またある者は小石を、牛車にむかって投げ出した。

「こらっお前たち」

たまらず、牛車の前を歩いていた従者の八郎が声を荒げる。

子供たちはそれにはじかれたように、わーっと言って蜘蛛の子を散らすように四方へ走り去って行った。

「また、後でねぇ」

子供たちの背中に、火花は大きな声で呼びかけた。

「いけませんよ、戦ごっこなどと、はしたない」

八郎は牛車の窓から顔を出す火花に向かってぴしゃりと言う。

火花より二つ年上の、今年十八になる八郎は、子供のころから火花と育ってきたこともあり、他の者より火花に対して遠慮がない。

「もう、八郎のけち!」

そう言うと火花は牛車の窓をぱしりと閉めてしまった。

取り残された形となった八郎は、牛車の脇を歩きながら、ふぅと一息大きくもらすのだった。


伊勢神宮でお参りを済ませた火花は、境内で子供たちを探した。

しかし、探すまでもなく、子供たちは火花のお参りが終わるのを林立する木々の陰に隠れながら待っており、火花が顔を出すや、わっと集まるのであった。

厚い着物を何枚か脱いで待たせている牛車の中に放り込み、その手ですそをたくし上げると、火花は「いってきます」と言って八郎に手を振った。

何をか言うのを諦めている八郎は、再び大きくため息をつくのだった。

「昨日は南北に分かれたから、今日は東西に分かれましょうか」

十六になる火花が音頭をとり、子供たちの戦ごっこが始まった。

火花がいる方は強くなるから、そうでない方の陣営は二人分人数が多い。

手にしてよいのは小枝と小石のみと決まっている。

子供たちは二手に分かれると、すぐさま物陰にかくれた。

互いに相手の出方をうかがう時間が続く。

そのうち、かつんと、小石の音が響くと、途端に蜂の巣をつついたような投石合戦が始まる。

そうして手の内にある石ころが底をつくと、子供たちは小枝を持って、やあやあ我こそはと名乗りをあげた後、一騎打ちへと移っていくのであった。

火花は一等大きな体をしているから、どちらかの大将を務める。

最後には、その火花と、もう一方の陣営の大将が、一騎打ちをするのが常だった。

体の大きな火花が大体は勝ってしまうが、それでも子供たちはその一騎打ちを心待ちにし、一番に盛り上がるのであった。


「男勝りな姫だこと」

とは、夕刻、帰宅すると、出迎えた姉に毎度のように言われる台詞である。

「姉上、お喜びくだされ。この度もこの大戦、勝ち申した」

火花は調子に乗り、決まってそのように口上を述べるのだった。

「まぁまぁ、大層な大将だこと。ほほ」

姉はそう言うと、いつも奥へ引っ込んでしまう。

興奮した火花の相手は、その後いつも八郎が引き受けるのだった。

「八郎も、難儀なことよね」

火花が一方的にまくしたてる戦果を大人しくうなずきながら聞いている八郎を見やって、女房の小糸などはいつも気の毒気な視線を向けるのだった。


さて、今日の火花の伊勢参りで、密かに火花に目を付けた男がいた。

名を、ちからという。

既に五十を過ぎた老人である。

若い頃には相模国の地頭としてならした力も、今は隠居し、悠々自適な日々を送っていた。

その力が、この度、遠く相模から伊勢に参り、その折に火花を見とめたのである。

はじめは、どこぞの女子が参拝しているのに気づいたきりであった。

しかし目で追ってみると、その女子が牛車を降り、薄着で子供たちと境内で戦ごっこをし始めたではないか。

目が釘付けになった力は、彼女が再び牛車に乗り込み去ってゆくまで、ずっと眺めていたのである。

「気に、なりますか。あの娘が」

そんな力にそう声をかけたのは、伊勢神宮に使える従者であり、滞在中に力の身のまわりを世話する役目を負った権助である。

「あの娘は、志摩の地頭の娘でございます。ちょうど年頃を迎えておりますれば」

権助はそう力に伝えた。

力の喉元が、ごくりと音を立てた。

「早速、父親に話をつけてみようか」

そう力がつぶやいてみると、権助は次のように言った。

「志摩の殿様は、現在、西の端で起こっている大戦に駆り出されております」

「おお、儂の息子も何人か駆り出されておる。この度は言葉の通じぬ相手が海の向こうから攻めて来よるそうだの。そのための伊勢参りでもある。あの娘もそうであるのか」

「おそらくは」

力は、しばしの沈黙の後に、こう権助に伝えた。

「おぬし、あの娘を呼び出してはくれまいか」

権助は、口元をゆがめると、口角をぐいと引き上げた。

「相模のご隠居様、もしや」

「なぁに、話をするだけよ」

力はそう宙でつぶやくと、ふふっと笑みをこぼし見るともなく目の前に広がる庭に目をやるのであった。



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