第9話 迷惑をかけた夫の妻として、息子の母親として

「父さん! これ見てくれ!」


 瀬史琉せしるが目覚めると母親の姿が家じゅう探してもどこにもなかった。代わりにあったのはリビングに舞華まいかの側の記入欄に書き込みがされ、印鑑が押された離婚届。


「あいつ……本当に出ていくつもりなのか!?」


 瀬史琉せしるの父親は妻のスマホに電話をかけるが……。


「父さん、どうだ?」

「だめだ、つながらない。着信拒否されている」


 ……どうやら今回の家出、彼女は本気らしい。




 夫と息子に心底失望された日の翌朝。持てるだけの荷物を抱えた舞華まいか菓子折りかしおりを持って高見たかみ 黒鵜くろうが住む施設にやってきた。

 目的はもちろん、夫と息子がしでかしたことに対する精一杯の謝罪だ。


「……デ? ダカラ何ダ?」

「夫と息子が大変ご迷惑をおかけしたことのお詫びのしるしです」

「ソンナモノイラン。今更謝ッテナンニナル? オレハ中学生時代ノ3年間、オ前ノ夫ト息子ノ手デ苦シミ続ケタンダゾ!

 オマエノ息子ト夫ノ手デ、ムシケラ未満ノ生活ヲ送ラサレテキタンダゾ!? ソノ傷ガ、コンナ菓子折リ1ツト謝罪のコトバデ消エルト思ッテイルノカ!?」


 だが舞華まいかの謝罪は高見たかみ 黒鵜くろう、いやフクシュウ狂ヒには一切届かなかった。


「オマエハ瀬史琉せしるノ母親ダロウガ! キサマガ瀬史琉せしるヲ産ンダカラ、オレガ迷惑シタンジャナイカ! 子ノ罪ハ親ノ罪ニ決マッテルダロ! 産ンダ責任ヲ取レ!」


 謝罪の言葉は彼に対して全くの無力で、何の足しにもならなかった。




「そうね、そうよね。私が謝ったくらいでは到底許されないことを2人はやったからね。しかも本人はいまだに悪いことをしたと本気で思ってなさそうだったし。

 ……黒鵜くろう君にこんなこと言っても分かってもらえないかもしれないけど、私は最後まで夫と瀬史琉せしるを信じてたけど、最悪な形で裏切られたのよ。

 あの2人は黒鵜くろう君をいじめていたのを何も悪い事はしていない。っていう態度で話していたからもう耐えられなくて。実家に戻ることにしたのよ」

「実家ニ戻ル……? ナルホド。ダカラソンナ姿ナノカ」


 実家に戻る、という言葉を聞いてその姿に彼は納得した。舞華まいかは持てる限りの荷物を抱えていた。旅姿というよりは「夜逃げ姿」に近い。




「マァイイ。アイツラノ家庭ガ崩壊スルノハ、アイツラニトッテ当然ノ罰ダ。アンタハイジメヲ悪イ事ダト思ウダケ、マダマトモダナ。アノ2人トハチガウナ」

「本当は本人たちに謝らせるのがスジってものでしょうけど、あの2人はこれっぽちも反省していないから結局私が代わりに謝ることにしたけど……許してはくれそうにないわね」

「マァナ。アノ2人ハ許サンガ、アンタノ事ハ許シテモイイ。罪悪感ヲ抱エテイルダケ、マダマトモナホウダ」

「そう。許してくれるのね……ありがとう。もう2度とここには戻ってこないつもりだから」


 そう言って彼女はタクシーに乗り、駅へと向かった。




「やまびこ216号仙台行き、間もなく発車となります。閉まるドアにご注意ください」


 舞華まいかは電車を乗り継ぎ、新幹線が停まる駅までたどり着いた。これから故郷である仙台に帰るところだ。プシュー。というエアーの抜けるような音とともにドアが閉まる。ゆっくりと車体が動き出した。


(そういえば新幹線なんて30年くらい乗ってなかったわね)


 彼女は30年ほど前、大学で今の夫と出会い、卒業と同時に結婚。茨城に引っ越して今まで生活してきた。新幹線はその際乗った時以来だ。久しぶりに会う弟はどんな顔をして迎えるだろうか。

 少なくとも今までの生活、夫と息子がいる生活には耐えられない。あそこよりはましだろう。

 在来線に比べればずっと揺れも騒音も少ない車体に揺られながら実家のある仙台を目指すのだった。

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