天女と天使

あべせい

天女と天使



 ピンポーン、

「ごめんください」

「……どちらさまですか?」

「はい。KMHの津軽と申します」

「ご用件をおっしゃってください。忙しいンですから」

 こいつは、うまくいきそうだ。

「お忙しいところ、まことに申し訳ありません。私、幸せのお裾分けをしております」

「何のことよ」

「ですから、みなさまが幸せになるにはどうすればいいのか、そのグッズを販売させていただいております」

「だから、具体的に言いなさいよ!」

「このままではお話ができません。この頑丈なドアを開けてくだされば……」

「いいわ。もう、けっこうよ!」

 惜しかったな。これできょうは、37軒目だ。一軒もドアを開けてくれやしない。この仕事を始めて2週間。前のセールスはよかった。高級外車だったからな。貧乏人は相手にしないから、こんな飛びこみセールスはしなくてよかった。ゴルフの会員権リストや、宝石店の顧客リストを頼りに、電話をかけまくってセールスできた。

 しかし、こんどのセールスは、おれには合わない。外車を続けてりゃよかった。なんで、やめたっけ。あいつだ。あの南部の野郎が、おれの顧客と恋人を一緒に盗りやがった。盗られたおれが間抜けだというやつもいるが、それで外車業界がいやになったンだ。で、これかッ。まァ、いいや。

 こんどはこのインターホーン。

 ピンポーン。

 返事がないな。もう1回、押すか。セールスは2度までだ。2度押して出て来ない家は、見込みナシ。

「はい。何でしょうか」

「お仕事中、恐れ入ります。幸せのご案内にまいりました」

「……」

 まずい。この沈黙に、おれはいちばん弱い。

「KMHの津軽と申します。こちらさま……」

 表札は……。

「薩摩さまに、お薬のお勧めにうかがいました……」

「お名前、もう一度、お願いします」

「はッ!? はァ、KMHの津軽白光と申します」

 ガチャッ、ロックが外れる音に続いて、ドアが開いたゾ。

「お忙しいのに、誠に恐れ入ります」

「もう少し中にお入りになって。ドアを閉めてください」

「はッ!? はァ」

 後ろ手にドアを閉める。

「失礼します」

「どんなお薬ですか?」

 なんだッ! なんだ、この人妻? こんな美人がどうして、家の中に入れる? ここは山裾を削って新しく開発された、900世帯の一戸建てが建ち並ぶ住宅団地だ。

「どうかなさいました?」

「いいえ……」

 いったい、どんな魂胆があるンだ。

「薬と申しましても……」

 鞄からパンフレットを出して……。

「パンフレットはいいですから、口でおっしゃってください」

「はァ……」

 やりにくい。年は32、3というところか。モスグリーンのタイトスカートに、アイボリーのセーター。おれはこの手の清楚な立ち姿に、からきし弱い。

「エーッ、すいません。持参していますのは、小は傷薬や消毒薬から、大は解熱、鎮痛剤まで、どちらさまでも必要な常備薬を取り揃えております」

「あなたの会社しか扱っていないお薬というのは、ありません?」

「私の会社でしか扱っていない薬ですか?」

 オイオイ、こいつはおかしくはないか。こんなにからんでくるお客なんて、滅多にいやしない。

「1つだけ、ございます」

「どんなお薬ですか」

 まァ、いい。当たって砕けろ!

「当社でスーパーマルチと呼んでおります万能薬です」

「万能薬? なんにでも効く?」

「ですが、監督官庁のご認可はいただいておりません」

「どうして?」

「認可を申請したために、他社に、まがいものを作られては困るからです」

「そう。私、近頃、体の調子がよくなくて……なんとかならないかしら?」

「どう、よくないのですか?」

「体が全体にだるくて、何をする気も起きないの。きょうも朝から、頭がぼんやりしていて、すっきりしない……」

「それはいけません。では、我が社のスーパーマルチを一度お試しくださいますか」

 カバンから薬瓶を出し、中から1個のカプセルを取り出す。

「どうぞ、これをお飲みください」

「これを飲むの? 大丈夫なの、ミッちゃん?」

「ミッちゃん!?」

 ミッちゃんと呼ばれるのは、中学以来だ。

「奥さん、中学はどちらですか?」

「大器中学よ」

「西立川市立大器中学! 奥さん、お名前は? 薩摩……」

「さよりです」

「さより? さより、さより、さより……! さよりさん!」

「はい。さよりです」

「大器中学体操部、新体操の女王、駿河さより!」

「はい」

「さよりさんの、あの華麗な自由演技『天女の舞』は、いまも目に焼き付いています。さよりさんは、ぼくより1年先輩で……ぼくのあこがれの的だった!」

「ミッちゃんだって、床運動が上手で、マットの帝王と呼ばれていた。宙を飛び跳ねることから、ミッちゃんが名付けた『天使の飛行』が女子生徒の間でたいへんな評判だったわ……」

「そんなことより、さよりさんは、ぼくだとわかったから、ドアを開けてくれたのですか?」

「津軽白光という懐かしい名前を聞いて、思い出したの。で、すぐにインターホンについているカメラで顔を確かめたら、ミッちゃんだった!」

「そういうことか……だったら、セールスはできないな」

「どうしたの? 知り合いにはセールスしないの?」

「そうじゃないけれど、知っている人に、セールストークは使えないよ」

「どうして?」

「さよりさん、ぼくらセールスマンは売るためには多少、ウソに近いことを言う。真剣な顔をしてね」

「ウソ? ウソをつくの?」

「全くのウソじゃないけれど、誇張したオーバーな表現をするンだよ。例えば……」

 後ろで、突然ドアが開いた。

 小さな男の子が、

「ただいま!」

「お帰りなさい」

「お邪魔しています」

 男の子が靴を脱ぎ奥に走りながら、

「ママ、お客さま?」

「そォ。すぐに手を洗って、うがいをするのよ!」

「お子さん?」

「エエ、鮎味というの。小学3年」

「お子さんはお1人?」

「すぐ下に、もう1人、娘がいるわ」

「じゃ結婚して、10年近く……幸せなンだ」

「ミッちゃんは?」

「ぼくは、別れてもう7年になるかな。2年しか続かなかった」

「結婚って、続けるのがタイヘンね。この頃つくづくそう思う」

「体調がよくないのも、その辺に原因があるのかな」

「そォそォ、このスーパーマルチ、いますぐ飲むわね」

「待って!……」

 男の子が現れ、

「ママ、遊んできて、いい?」

「どこに行くの?」

「隣のカッちゃんチ」

「ゲームばかりやっていたら、ダメよ」

「ウン。オジさん、ママと仲良しだね」

「エッ!?」

「いってきまーす」

「気をつけるのよ」

「さよりさん。スーパーマルチは、ミッちゃんには勧められない」

「どうして?」

「効きすぎるから」

「どうして? 効きすぎるくらいなら、なお試してみたいわ」

「さよりさんは、中学時代から薬のアレルギーがあったじゃないですか。風邪薬を飲んで、一度失神したことがあった」

「そう? 覚えていないわ。でも、いい。いただくわ」

 さよりはすばやく手の平のカプセルを口に入れた。

「さよりさん! ダメだ、出して!」

「もう、飲んじゃったわ」

「ダメだ。吐くンだ!」

 さよりを強く抱きしめ、カプセルを吐かせようとする。

「苦しい、ミッちゃん、やめて! 体はなんともないわ」

「トイレはどこだ。吐かないとたいへんなことになる」

 靴を脱いで上がり、さよりを引っ張り廊下を進む。

「ここだね。トイレは」

「痛い、ミッちゃん! どうしたの。毒でも入っているの? いま飲んだカプセルに」

「毒なんか入っているわけないだろう」

「じゃ、覚醒剤とか、大麻とか、違法ドラッグなの?」

「わかった。説明する。どの道、もう間に合わない」

「あちらに行きましょう」

 リビングに行き、ソファに並んで腰をおろす。

「スーパーマルチは偶然生まれた薬なんだ」

「万能薬なンでしょう?」

「万能薬には違いないけれど、効き方は人によっていろいろなんだ。個人差が大き過ぎる。待って。ぼくも、いま1粒飲むよ」

 カプセルを口へ。

「そんなことして、平気? わたし、どうなるの?」

「あと20分ほどしたら、さよりさんは天女になる」

「天女!? あのお伽話に出てくる? 羽衣をまとった?」

「天女の羽衣はないけれど、天女のような女性に……」

「ミッちゃんは飲んだことがあるの?」

「前に一度飲んだよ。だから、後悔している」

「どうして?」

「2度目以降は、効き目が徐々に落ちるといわれているから。もっと大事なときのために1度目はとっておくべきだった、と」

「とっておきの薬というわけね。で、ミッちゃんはそのときどうなったの?」

「ぼくは、天使になった」

「天使って、あの羽のはえたエンジェルのこと?」

「羽ははえなかったけれど、ぼくはそのとき天使だった」

「天使になる、ってどういうこと? よくわからない」

「天使というのは、……」

 ピンポーン。

「もォ、いいところなのに……待って、みてくる さより、玄関へ。

「お邪魔します。奥さま、お迎えにまいりました」

 まさかッ。いやらしい、あの声。あいつじゃないだろうな。

 玄関から。

「南部さん。きょうだった?」

 南部!? あの野郎! 玄関に走る。

「奥さま、ご主人が、午後の2時きっかりにお願いします、とおっしゃいました」

 南部、津軽を見る。

「きさま、なんで、ここに!」

「それは、こっちの科白だ! 帰れ、盗っ人!」

「なんだと! 盗っ人はきさまだろうが。会社の金を横領してクビになった人間に、いわれたくない」

「ミッちゃん、どうしたの。南部さんを知っているの?」

「この男は、ぼくが2週間前までいた会社の悪党です。ぼくの大切なものを全部、ぼくから奪った!」

「それはきさまが間抜けだから、だろうが」

「間抜け、だ!? 例え間抜けだろうが、他人のものを盗っていい理屈にはならない。そうでしょう、さよりさん」

「そッ、そうね」

「奥さん、この津軽は、会社の車を横流しして、その金をネコババした、せこいワルです。こんな男を家の中に入れるなんて、人がいいにもほどがあります」

「ミッちゃん、ホント? 会社の車を横流しした、って?」

「さよりさん、そうじゃない。ぼくがしたのは、社員割引きを使って会社の外車を自分のために買ったのだけれど、すぐそのあとで、ぼくの得意客がその車をどうしても欲しいといったので、そのお客さんに譲っただけ。もちろん、若干の手数料はもらったよ。それをこの南部が、横流しだ、横領だと大騒ぎして、ぼくを会社にいられなくした。だから、ぼくは自分から、その外車販売会社をやめたのだけれど、南部はそのお客さんやぼくがつきあっていた女性にまで、ぼくが悪事を働いて会社をクビになったといいふらした。そんな男です、この南部ってやつは。さよりさん、もし何かこいつと約束しているのなら、すぐにそんな約束は反故にしたほうがいい」

「南部さん、どうなの?」

「どう、って? 津軽はとにかくウソつきです、ペテン師です。間違いない。そんなことより、奥さん、早く試乗してください。コルベットが待っています」

「さよりさん、この男からコルベットを買うつもり?」

「コルベット? 何の話?」

「さよりさん、コルベットは外車。アメリカの有名なスポーツカーだよ」

「夫が車好きで困っているのだけれど、わたしがオッケーしない限り、車なんて買えないはずよ。預貯金のカードと印鑑はわたしが持っているンだもの」

「この南部は、さよりさんをコルベットに試乗させるために来たと言っている」

「わたしが夫から聞いたのは、南部というセールスの人が、夫が待っているモデルハウスまで車で送ってくれる、ってことよ」

「モデルハウス?」

「この家を少しリフォームしたいから、きょうの午後から、この家と同じメーカーのモデルハウスを見に行く予定なの」

「さよりさん。しっかりするンだ。この南部は外車販売のセールスマン。モデルハウスとは何の関係もない。南部、いい訳したらどうだ!」

「いい訳は性に合わないな。奥さん、ご主人はコルベットが欲しいとおっしゃるのですが、奥さんのご了解がいただけそうにない。で、実際に乗っていただければ、奥さんのお気持ちもきっと変わりますと強くお勧めしたわけです」

「そのコルベットというお車、おいくらですか」

「さよりさん。新車だと1500万、中古でも年式によるけれど、安くても300万円前後するよ」

「ダメダメ。とんでもない。うちのひとは、わたしがもらった父の遺産を当てにしているのね。これから2人のこどもを育てなけりゃいけないのに。何を考えているのかしら」

「しかし、奥さん。コルベットは資産価値があります。グレードの高い車種だと、中古になっても、なかなか値が落ちませんから」

「南部、勝負ありだな。早く、失せろ。おれの顧客と恋人を盗ンだことには、目をつぶってやるから、さっさと消えろ!」

「津軽、きさまがどんな手を使って、奥さんを手なづけたのかは知らないが、この借りは必ず返すからな。覚えておけ」

「ミッちゃん、どうしょう。うちのひと、モデルハウスで待っている」

「ぼくが車で送るよ。国産の中古だけど」

「待って、ミッちゃん。なんだか……わたし、気分がすっきりしてきたわ」

「スーパーマルチだ。さよりさん、薬が効いてきたンだ。天女になったンだよ」

「天女なの、これが。だから、急に空を飛びたくなってきたのかしら……」

 さより、踝を返し、階段を上る。

「さよりさん。どこに行くの?」

 さより、階段を登りながら、

「昔を思い出したの。『天女の舞』よ」

「天女の舞!? 全国大会でさよりさんが観衆をうっとりさせた、あの舞……舞って、いや違う、待って。ダ、ダメだよ」

「クローゼットに、昔新体操で使ったリボンがとってあるの」

 クローゼットを開く。

「これ、これよ、ミッちゃん。昔のように『天女の舞』が舞いたくなったわ」

「薬が効き過ぎたンだ。待って。ぼくも薬が少し効いてきたらしい。さよりさん、ぼくが天使になったときの話は、まだしていなかったね。聞きたくない?」

「天使? ミッちゃん、天使になったときはどうだったの?」

「ついこの前のことだ。スーバーマルチを飲んで20分ほどすると、突然空を飛びたくなった。それまで恋人を奪われたりして人間不信に陥っていたけれど、そんな悩みが吹き飛んだ。すると、どんなことにも機敏に対応できて、どんなことにも積極的に取り組むという意欲が、沸々と湧いてきたンだ。あんなに気力が充実したことは、それまでになかった」

「ミッちゃん、わたしがいままさにその気持ち。この長いリボン、天女の羽衣みたいじゃない」

「天女の羽衣か。うん、そう見えるよ。さよりさんは、羽衣をまとった天女だよ」

「そうでしょう。(ベランダに出て)」

「さよりさん、どこに行くンだ! そこはベランダだよ。落ちたら、どうするンだ」

「天女の舞、いまから舞うから、見ていて」

「舞って、いや違う、待って! さよりさん、ぼくもマットの帝王といわれたときの『天使の飛行』を演じたくなった。さよりさん、もっと近くに……」

 さよりを引き寄せ、腰に手を回す。

「ミッちゃんもスーパーマルチが効いてきたのね。でも、それ以上は……」

「さよりさん、顔をもっとぼくに……」

「ミッちゃん、キスしたいの? ダメよ。わたしは人妻よ。そんなことをしたら、天子の飛行が、天使の非行になるわ」

「平気だよ。ぼくは昔からマットを飛び跳ね、宙返りが得意だった。いまも、空チュウ演技に……」

          (了)

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天女と天使 あべせい @abesei

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