先王直属隠密騎獣部隊は裏の裏の裏を表にする
淡波綴里
動乱
第1話 モディーグの郷
瞼に朝日の温もりが触れる。
光がようやく脳まで届き、もうすぐ意識が持ち上がろうとしていたのに、背中への圧力で無理やり叩き起こされた。
「………っ、押すなよ......、」
「ング、ゴーーー......ゴッ」
寝ているうちに魔力操作が緩んで、また身体が大きくなっている。
圧力の正体は青白い宝石のような色の長毛を絡ませて眠る獣。
元の身体の大きさを縮めてまで、気まぐれに俺のベッドに潜り込んでくる。
「ウェイテルー私とディアノと父さんもう出るからねー」
「おー」
「朝ごはん置いてるからー」
「おー、ありがとうなー!」
クロス家の朝は早い。日の出後、半刻経たないうちに俺とセラン以外は家を出る。階下で玄関のドアが閉まる音がした。
「おい、セラン、そろそろ起きろ。朝飯が冷める」
「……グ…………めし……」
ゴロリ、と寝返りを打って薄目を開けた相棒の目ヤニを取ってやる。
「3人とも出掛けたぞ」
「あいつらは本当に早起きが好きだな......」
「好きというか、まぁ、日が短いからな」
「だから俺は何百年も前から夜目が効く魔法を習得しろって言ってんだ」
それで何百回歴代郷長と獣学士たちを困らせてんだ。自分で開発するわけでもなし。
それに完全な夜目が効く魔法とまでいかなくとも、似た魔法は父さんもレイルも俺も心得ている。
聞き飽きた悪態を流して、素早く着替える。ベッドの温もりが恋しいが朝飯が待っている。
セランを置いて階下へ降りると、大鍋に野菜スープ、まな板の上にパンが置いてある。
パンの上には細かく刻まれた肉が載っていて食欲をそそられる。
まだ紐を結んでいないブーツの踵でゴトンゴトン、と床を鳴らしながらスープを皿に注ぎに行く。
どうせセランもすぐに降りてくるだろうからあいつの食事も底が深い専用の皿に入れてやる。
食事を盛り終わると、ココンッココンッ、とキッチン横の小窓をつつく音がする。
今朝の連絡係の獣が来た。
「おはよう」
「おはよう、ウェイテル。今朝は西の方を頼むよ」
「ああ分かった。ちょっとつまんで行くか?」
「いいのかい!」
「もちろん。作ったレイルも喜ぶ」
パンに載っていた肉をひとつまみ手に取り、青い羽根を朝日で輝かせる獣に差し出す。
尖った嘴で肉を掴んでパクリ、と口に入れると、身体を震わせて味わっている。
連絡係は小躍りしながらレイルによろしく、と言うと、次の連絡先へ羽ばたいていった。
テーブルについて自分の食事を始めると、階段を降りる音がした。
ようやく上階から降りてきたセランはまだ眠たそうな目で、最後の数段を踏み外した。
眠いながらも食事は摂るようで、俺の隣に用意した器に大きな口を突っ込んでいる。
「今日は西だってよ」
「おーん」
「グリンザの様子も見に行こう。シャリーフにも昨日食料を持っていくよう頼まれた」
「あんなジジイ放っておいて構わんぞ。魔力に変化はないんだ。まだ死んじゃいない」
「またどうせ苔生やしてるんだから、行って取ってやらないと」
「かーーーっ」
怠い、と顔に書いてあるセラン。食事を終えたらしいので、皿を片付けてセラン専用の大きなブラシを取る。玄関前で座らせて絡まった毛を解きほぐす。青白い毛がふわふわと浮かぶ。
セランはいつも通り、ブラッシングされながら長いしっぽで壁にかかった母さんの写真を撫でた。
ブラッシングを終えると玄関のドアを開けてセランと外へ出る。
家の前に広がる鈍い緑の絨毯に霜が降りている。セランは魔力が強いから平気なようだが、幼い獣や老いた獣、弱った獣達の身体にはあまり良くない季節が本格的に来る。
まずは自分の装備をつけ終え、玄関横にかけてあるセランの装備を取って、猫のように背中を伸ばしているところに寄る。
「ほら」
「おう」
装備を頭から腰にかけて全てつける。いくつもの接続部があるのでつけ忘れのないようにする。
特に毛を巻き込んだり絡ませたりしたらセランに怒られるので要確認だ。
装備をつけ終えてセランに声をかける。
セランは魔力操作を解いて元の大きさになる。俺の背の倍以上の背丈を見上げる。
装備の一つ、自前の翼を持たない獣専用の擬似翼にも魔力を巡らせ、バサバサとはためかせてその動きを確認している。
「違和感ないか?」
「おー、大丈夫だ」
「それじゃあ行くか」
セランは脚を畳んで大きな体躯を低くする。
俺は背中の装備を掴み、その背に乗る。
「ミリィ・ハーニス〈優しき風よ、笑え〉」
魔法を使い防風マスクを着ける。これで空でセランに乗っている間も息ができる。
セランの背中から頭の先、四肢の先まで俺の魔力を流し、念話の準備をする。
(「翔けあがれ、セラン」)
(「空の果てまで連れて行く」)
背の低い草がセランの放出する魔力で靡いて震える。
セランとの飛び立つ合図は何度交わしても胸を高鳴らせる。曇天だって、こいつとならどこまでも飛んで行ける。
擬似翼が空気を叩くと、セランが飛び上がる。魔力を流した擬似翼は生来の翼と変わらぬ動きでセランの身体を軽々と空へ上げる。
一気に家が小さくなる。近所の人たちが風に気付いたのか、窓を開けて手を振ってくれている。それに応えて大きく手を振る。
ぐるり、と旋回したセランは西の空へ向かって飛び始める。
冬が深まり、キャップにゴーグルにグローブに、全ての装備を冬仕様にしてもまだ寒い。俺はもう一度ミリィ・ハーニスを唱えて身体保護を二重にした。
(「やわな奴め」)
(「何とでも」)
揶揄いも気にならない空中での爽快感。
セランは風の流れを読んで擬似翼を動かす。俺は魔獣の気配を探る。
目的地までの道程の半分を過ぎたところで、魔獣数体の気配を察知する。
翼を持つ魔獣が視認できるところまで近付くと、セランの10分の1ほどの大きさしかない魔獣が約20体、群れで威嚇しこちらに向かってくる。
(「アーゼ・ディフュエル」〈火翼の舞〉)
呪文を唱え、自分の周囲に翼のような形の火の塊を出現させる。次にそれを魔獣の急所に向かって飛ばした。
魔獣の動きが止まり、機能しなくなった翼のせいで地上へと落ちて行く。
一回の魔法で取りこぼすことなく仕留めることができた。
今日の地上西側を担当しているのが誰かは分からないが、基本的に地上には剣獣部隊が居てくれるから回収は任せられる。
(「少しは火属性魔法も見れるもんになってきたな」)
(「まだまだ頑張るさ」)
(「とにかく種類を増やさねえことにはな」)
(「分かってるって」)
いちいち説教くさいセラン。俺のためを思ってのことだと分かっているけれど、いまいち子供扱いされている感が抜けないのが気になる。
セランの小言を聞き流してさらに西方向へ飛んで行く。身体保護魔法で強風も程よい風に感じられる。
やがて巡回するエリアの端が近付いてきて、その手前の小さい丘を目指して高度を下げる。
合図を一度知らんぷりするセランの立髪をつまむと、鋭い痛みに変な声を上げてやっと高度を下げる。最初から言うことを聞いてくれればいいのに。
丘の前に着陸してセランの背から降りる。横腹のあたりの装備に繋げていた収納袋を肩に担いで丘へと向かう。
丘には穴蔵があり、グリンザはいつもそこで過ごしている。
「グリンザー!苔取りに来たぞー!」
「…………」
「グリンザ〜、俺だよ、ウェイテル! 分かる?」
「……ふぉ、……アーティルんとこのウェイテルか……」
「よう爺さん、元気かよ」
「……来るのはウェイテルだけでええんじゃがのぅ。そこの煩いのが相棒で不憫じゃわ...…」
「ンだとこのクソジジイィ〜ッ!」
「セランはほっといて、穴蔵の掃除と苔取りするからさ、シャリーフから食料も預かってるし、一回外に出てくれよ」
「ふぉ……すまんの……」
グリンザはブルーグレーの長毛を引き摺って、のっしのっしと穴蔵から出てくる。長い毛で目元も隠れてしまっている。
体は獣の中でも大きい部類のセランより大きい。セランが4シーゲルくらいだから、6シーゲル近くありそうだ。
老体とはいえかつては彼も騎獣部隊で相棒の前郷長と空を飛んでいた。足元から少しだけ覗く太く逞しい脚には傷が残っている。
俺はシャリーフから預かった収納袋から巨大な保存袋と大量の食料を取り出す。
グリンザは近年は肉よりも野菜や果物を好んでいて、その時々に採れる食料で季節を感じるのも楽しみらしい。
保存袋に食料を入れて、袋を広げて食べやすくする。
「ありがとうのぅ、ウェイテルや」
「いいって」
「ジュニんとこのシャリーフにもよろしくの」
「うん、言っとく」
グリンザはこんなに歳をとっているのに郷人の名前を決して忘れない。しかも、名前を呼ぶときに必ず親の名前をつける。俺だってそんなに覚えてない。
グリンザがもしゃもしゃ、と食事を始めたので、俺は空いた穴蔵の掃除にかかる。
自分の収納袋から箒やシャベルを出す。今の時期は苔というより泥に霜が混ざっているのを忘れていた。
グリンザは自分に身体保護魔法をかけているからそこまで汚れていないけれど、やっぱり居心地のいいものではないだろうな。
グリンザがすっぽり収まる大きさの穴蔵をあらかた掃除して外へ戻ると、腹一杯になったグリンザとセランが話し込んでいた。
「グリンザ、終わったよ」
「ふぉ、さすが、早いのぅ」
「あともう一つ試したいことがあるんだけどいいかな」
「む?」
俺はグリンザを穴蔵の前まで呼ぶと、中に入って魔法陣を展開する。
「ルミエン・デ・ソユール〈寄り添う暖炉の火〉」
夏から秋へ差し掛かる頃、レイルに手伝ってもらって開発した魔法陣。
術者の魔力が枯渇しない限り効力が続く、温かい床を作れるものだ。
「レイルと考えた魔法陣なんだ。俺が魔力枯渇しない限り温かいよ」
「ふぉ〜っ、二人でまた面白い魔法を考えたんじゃな。どれどれ……おぉ…っ、これはいい、あったかいのーぅ」
「ははっ、よかった!でもまだ俺が炎属性イマイチだから、これくらいの範囲と温度が限界なんだ」
「立派なもんじゃよ〜いつかきっと寒がりの獣達全員あっためられるじゃろうて」
「頑張るよ」
「レイルとウェイテルに感謝しろよじーさん」
「お前に言われずとも感謝するに決まっておるろ!」
グリンザはセランと話す時は妙にしゃきしゃき喋るから面白い。
眉に皺を寄せる二人だったが、急に黙って固まる。
「……これは」
「む……っ! 産まれるぞ!」
「え? なに?」
「ディアノんとこじゃな!」
「ディアノがどうかしたのか?」
「ディアノのガキが産まれるんだよ!!」
「え! 今!?」
ディアノのつがいのニフエル、子供が生まれるのが近いと言っていたが、予定はもう少し先だったはずだ。セランとグリンザは毛を逆立てて大声を出している。
「ウェイテル! 急いで戻るぞ!!」
「お、おう!」
「難産かもしれぬから、ウェイテルもそばについてやってくれ。レイルにもお礼言っといてくれの」
「うん分かった! またすぐ来るよ!」
俺はグリンザに挨拶をしてセランの背に飛び乗り急いで郷へ向かう。
てぇへんだ、てぇへんだ!と焦るセランは、珍しく魔法を使った。
「ウィペスタ・デルケティ〈乱風の檄〉」
高速で飛行するための魔法だ。セランは共有している俺の魔力も使いながらトップスピードを維持する。
まさに風になるように飛ぶ。
風魔法は比較的得意だから、この魔法にもついていける。
往路の数倍は早く飛んで、モディーグの郷があっという間に見えてくる。
俺の家のすぐそばにある獣の家、獣舎の一画、セランとディアノの家族がいるところへ一直線で向かう。
「おいディアノ!! ニフエルは!!」
「セラン! ウェイテルもこっち来てくれ!」
「おうっ」
着陸するなり大声で叫んだセランに、獣舎から慌てた様子でディアノが顔を出した。
ディアノの様子からすると、やはり状態が良くないのかもしれない。
郷では獣の子どもは数ヶ月に一度誕生する。獣の出産は程度に違いはあれど難産が多い。
獣舎の中に入ると、ディアノのつがいのニフエルが苦しそうに唸っていた。
「ニフエル! 魔力操作に集中しな!」
「そんなの痛すぎてムリよーッ!!」
「痛みを和らげる薬草を用意してくる!」
「大丈夫かニフエル! 落ち着け、俺が魔力操作を手伝うから!」
「ディアノよりウェイテルとレイルがいいの〜!! 早く二人を連れてきて〜!!」
「ええいディアノ!さっさと二人を連れてこんかい!」
「レイルならさっきまで一緒に居たのに、くそ!連れて来る!!」
獣医師のニエナさんと獣薬師のジーンがニフエルのサポートをしているが芳しくはないようで、ニフエルがとても苦しそうだ。
「呼ばれてるぞ。行ってやってくれ」
「うん」
セランに言われてニフエルの元へ近付く。
ディアノはレイルを呼びに行くようで、豪速で獣舎を出ていきながら、「ウェイテル、ニフエルを頼む!」と叫んでいた。
俺は頼まれた通りニフエルのそばへ腰を下ろした。獣専用のベッドはふかふかで、身体が包み込まれる。
「っ! もう来てたのかい!」
「ウェイテル! よかった...!」
「俺はどうすればいい?」
ニエナさんとジーンが俺に驚いて目を丸くする。まだ他の獣医師と獣学士、それに守獣師が揃っていないところを見ると、ニフエルが苦しみ出してそれほど時間は経っていないようだ。
セランとグリンザの感知が早くて良かった。
「赤子が出てくるように魔力操作を手伝うんじゃ。ニフエルは激痛で操作が上手くできん」
「分かった。……ニフエル、聞こえる?俺だよ、ウェイテルだ」
「ウェイテル〜〜っっ、痛い〜〜助けて〜〜」
「魔力操作は俺とレイルが手伝うから、赤ちゃんのことを考えてて」
俺はニフエルの腹に優しく抱きつくようにして、ニフエルの魔力を感知する。
みんなが言うように魔力が乱れていて、赤子の魔力とうまく協調が取れていないようだった。
二つの魔力を適度に混ざり合うように操作をするが、どうも赤子の魔力の様子がおかしい。
それになにかを訴えてくるような感じがするのだ。
「赤ちゃんが何か言いたそうなんだけどな……」
乱れた魔力を感知するのは難易度が高い。しかし、レイルも来れば精度が上がるはずだ。
そこまで感知をしたところで、獣舎の入り口が騒がしくなった。
「ニフエル!!」
「レイル〜〜っ」
「大丈夫よ、みんなついてるから!」
レイルは駆け足でニフエルの側へ来た。俺とは反対側からニフエルの腹を抱きしめた。
ぎゅっ、と目を強く閉じて魔力を感知している。
それに倣って俺ももう一度試みる。
レイルの魔力も追いかけながら、ニフエルの魔力操作を助けるようにする。
「頼むぞ二人とも……」
「落ち着けディアノ。ついこないだうちのアノアを助けてるんだ。まだ感覚を覚えているはずだ」
ディアノとセランがそんな会話をしているのをよそに、俺とレイルは魔力感知を深めていく。
「なにか言ってる...……やだ……?」
「そうね……まだ嫌……? ……お腹の中が、」
「……あぁ……、ははっ、なるほどな」
「ふふっ、ちょっ、ちょっと、ウェイテル笑わないでよ」
「笑わずにはいられないだろ。……そっか、まだ遊びたいかぁ」
「なんじゃて? レイル、何か分かったんかい?」
「ニエナさんどうしよう、この子ね、まだお腹の中で遊びたいんだって」
「あ、そ、びたい……? ……なんだい!その我儘な理由は〜!!」
「ちょ、ちょっとニエナさん落ち着いてっ」
レイルが言った通り、お腹の中の子はまだ遊びたいと言っていた。俺の感知では外がつまらなそうだというニュアンスの言葉も聞こえた。
「ぎゃはははは!!さすがディアノの子だな!!」
「何が面白いんだセランッ!!」
「要は、外も楽しいと分かればいいんだろう?」
「そうよね」
「こういう時こそフェンデの出番だろ」
「ディアノ!!フェンデも呼んできて〜〜っ!!」
「はっ、わ、わかった!フェンデだな」
ニエナさんはすっかり力が抜けてしまったようで、ため息と共に座り込んだ。
ジーンは変わらずリラックスできる薬草を用意してはニフエルにせっせと与えている。
「まあ愛し子の3人が集まればなんとかなるじゃろ」
「ダメよニエナさん、フェンデが酒やけで喉潰してたら二人が頼りなんだから」
「あの放蕩獣詠師めが……」
ぐぬぬ、と眉間の皺を濃くするニエナさん。俺は苦笑いをしながらレイルと共にニフエルの魔力を正常に戻すために魔力を送り込む。
少しずつニフエルの呼吸が落ち着いてきたところで、またも獣舎の入り口が騒がしくなった。
「連れてきたぞー!」
「ちょ、待っ、…て、マジで酔った...」
「早く来い、フェンデ! 歌え!!」
「え? え? なに?」
恐らくディアノに説明されぬまま捕まって連れてこられたのであろうファンデは目を回していた。
ニエナさんはそんなフェンデの首を引っ掴んで、ニフエルのそばに連れて来る。
無理やりニフエルの隣に転がされたフェンデは声にならない声で痛みを堪えていた。
「俺の扱いひどすぎない……? 誰か説明してよー」
「ニフエルが産気づいたけど、赤子が外に出たがらない。まだお腹の中で遊びたいらしい。お前が外も楽しいって歌で教えてやってくれ」
「ウェイテルの説明、簡潔で素晴らしいね...」
ジーンが小声で俺に感心している。
俺の説明を受けたフェンデは、数秒固まってから、ひっくり返って笑い転げた。
「なにその子! めっちゃウケるんだけど!! あははっディ、ディアノの子ども流石すぎる!! ははははっ!」
「笑ってないで早くしろフェンデ!!」
「いや、笑った方がいい歌が浮かぶかも知れねえだろ、ブフフ…ッ」
「いやー、笑ったー。よしっ! そんな面白い子のためにこのフェンデが歌を歌ってあげよう!」
笑い転げていた身体をがばっと起こしニフエルの腹にそっと手を添え、フェンデは古語で歌い始めた。
中性的で広い音域を持つフェンデは、歌を歌うことにおいては現在、郷一番の獣詠師だ。
そのだらしなさや生活力の無さから相棒のトゥーリが苦労しているようだが、人にも獣にも優しいフェンデはなんやかんやみんなから愛されている。
フェンデが歌ったのはモディーグの郷の日常風景だった。そして赤子を待っている人が沢山いると歌にした。
「うん、我ながらなかなかいい歌だったんじゃない?」
「そうね、歌はね」
「歌は良かったよ」
「ちょっとー、双子で揃って綺麗な笑顔を向けて来るなって、こわいよ」
レイルはしっかりしていてだらし無さとは無縁だから、フェンデに当たりが強くなるのも頷ける。
しかし頭の後ろ高くでまとめた癖っ毛を揺らして笑っているあたり、レイルもフェンデが憎めないようだ。
「ウェイテル〜レイル〜フェンデ〜あともう少しな気がするのよ〜手伝って〜」
「ほれ、あんたたち、気張んな!」
3人でニフエルの腹に魔力を注ぐ。
大丈夫だよ、さあ、おいで。そんな風に語りかけながら続けていると、ニフエルが一際大きな声をあげた。
急変したかと思ったが、無事に赤子が生まれたのだ。
すぐにニエナさんが清潔な布で抱き上げて、赤子の体調をチェックした。
「おめでとうニフエル。元気な男の子だよ」
「……ありがとうニエナ。みんなも」
「本当に良かった」
「頑張ったね、ニフエル」
「ほらぁ、お父ちゃん、泣いてる場合じゃないでしょ〜」
「うお〜〜っ、良かったニフエル〜〜っ!!」
「おお、毛色はディアノそっくりだな」
無事に産まれた赤子は、ディアノと同じ黒い毛並みで、背中に雷のような模様が走っている。そこだけはニフエルのホワイトベージュの毛色を受け継いだようだ。
無事に赤子が産まれたことで、獣舎の外が騒がしくなる。どうやら他の獣や郷人たちも心配して見にきていたらしい。
獣舎の中には何人かの守獣師がニフエルたちの世話のために入ってきた。
「ウェイテル! 活躍したね!」
「シャリーフ! うん、ちょっとは役に立てたみたいだ」
「もしかしてグリンザも騒いでた?」
「ああ。セランと二人で急に『産まれる!!』って叫んでびっくりしたよ」
「あはは、目に浮かぶや」
シャリーフは守獣師の一人で、獣の生活を支える仕事をしている。気の利くやつで、獣たちからも信頼されている。
これから獣舎の中が忙しくなりそうだったので、軽く言葉を交わして外へ出た。
外では獣や郷人がディアノに祝福の言葉をかけて各々が帰り始めるところだった。
「よかったな、ディアノ」
「ウェイテルッ、レイルもッ、ほんっと〜に、ありがとうな!」
「先に研究所を飛び出した時に言ってくれれば二度手間にならずにすんだのに、もう」
「すまん……慌ててて……」
どうやらセランと同じようにディアノもニフエルの変化に気付いて研究所を飛び出したらしい。
普段は落ち着いていて、クールに振る舞うディアノがここまで慌てることは滅多にない。
「そういえば、名前は決まってるのか?」
「ああ。ティアスと名付ける。ニフエルと男の子ならそうしようと決めていたんだ」
「……いい名前ね」
「そうだ、レイル! アーティルにも報告に行きたいぞ!」
「ふふ、きっと喜ぶわ。ウェイテルはどうする?」
「俺はセランと今夜の生誕祭の準備を手伝って来るよ」
「宴じゃ〜!!」
モディーグの郷では、獣の赤子が産まれると祭りが行われる。
健康と幸福を祈ってのどんちゃん騒ぎで、早速郷人は大きな広場で準備を始めているはずだ。
俺はレイルたちと別れ、活気あふれる声のする方へと向かった。
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