第5話 力の差

 ど、どういうことだ?

 状況が理解できず、俺の思考回路はショート寸前だった。


 ここは俺が死んで転生した先の異世界で間違いないよな?

 だとしたら、今、目の前で歌っているアルミルによく似た女の子は何なんだ?

 前の世界と、この異世界に同じ顔の人間が存在するドッペルゲンガー? あるいはマルチバース理論?

 いやいや。だとしても、前の世界で『メータルンバ』が歌っていたマイナーなアルバム収録曲『公差ゼロの夢』を、一言一句違わず歌っているなんて偶然はありえない。


 ということは、導き出される答えは一つ。


 アルミルも死んでしまって、この世界に転生してきたということか?

 あの鉄骨落下の事故現場に、彼女も巻き込まれてしまったのか……?


「ぬおぉぉぉーー! アルミルも死んじゃったのかぁーー!! 嘘だろぉぉーー!!」


 俺のせいで助からなかったのか、それとも別の要因か。推しの死を悟り、絶望が俺の胸を引き裂く。

 だが、その直後、正反対の感情がマグマのように噴き出した。


「で、でも? この世界でまた巡り会えたぁーー!! うれしぃーー!! 神様ありがとぉぉーー!!」


 悲しいのか嬉しいのか、絶望なのか歓喜なのか。

 感情の振れ幅が大きすぎて、涙と鼻水と笑みが同時にあふれ出る。

 どっちなんだ、俺ー!


「ぬぁぃーー!!」


 意味不明な奇声を発しそうになる口を、俺は必死に両手で押さえた。

 落ち着け。まずは現状確認だ。


 広場の噴水前。軋む木箱の上に乗り、即席のステージで街ゆく人たちへ向けて歌っている彼女。

 夕日に照らされたその姿は、ボロボロの衣服を纏っていてもなお、後光が差しているかのように尊い。

 今すぐ最前列までダッシュし、彼女の目の前で渾身のオタ芸(サンダースネイクからのロマンス)を打って応援したい衝動に駆られる。

 だが、今の俺はあくまで「旅の商人」に変装した大魔王だ。ついさっき「人間とは関わらない」と決めたばかりじゃないか。


「どうかなさったのですか兄上? 先ほどから様子が変でございますが……もしや、例の『聖女オイリーの結界』が発動して苦しまれているのですか?」


 隣で心配そうに覗き込んでくるポーム。

 俺が変な声を上げて悶えていたのを、結界によるダメージだと勘違いしたらしい。


「い、いや、大丈夫だ。ちょっとな。……あの歌を、少し聴いててもいいか?」


「はぁ。兄上がそうしたいのであれば。しかし、馴染みのないメロディーですね。不思議な音階ですが、なぜかあの娘……妙に人を惹きつける、気になる存在感ですね」


 ポームですらそう感じるのか。さすがは俺の推し。異世界人の鼓膜すら掌握するとは、やはりアルミルは本物の歌姫だ。


♪偽りなく自分を信じて 公差ゼロの夢♪


 建物の影に隠れ、遠目でアルミルを眺める。至福の時間だ。

 これを「眼福」と呼ばずして何と呼ぶ。

 だが、そんな聖なる空間を土足で踏み荒らす輩が現れた。


 先ほど定食屋で暴れていた、質の悪いチンピラ――ペイパと、その部下の巨漢だ。


「けっ。さっきの定食屋のババア見たかよ、ワラバン。椅子一つ壊しただけで、『出兵している主人の残した店だけは壊さないでくれっ』て、結局泣きながら無様に謝ってきやがった。うけるんですけど。ひゃひゃひゃ」


 品のない笑い声をあげながら、我が物顔で広場を歩く二人組。

 最悪だ。俺たちが店を出た後、女将さんは結局こいつらに屈してしまったのか。

 胸糞の悪さに眉をひそめていると、あろうことか奴らは、木箱の上で健気に歌うアルミルの存在に気づき、ニヤニヤしながら近づいていった。


「おやぁ? そこのお嬢さん。誰の許しを得てこんなところで歌ってるんだい? よくないなー、無許可営業は」


「え……ご、ごめんなさい。そういうの知らなくて。歌うのに許可とか必要なんですか?」


 歌を中断させられ、不安そうに身を縮めるアルミル。

 ペイパの視線が、彼女の無防備な姿を足先から顔まで、ねっとりと舐め回す。


「それもそうだがなぁ……公の場でそういった事をするには、色々と面倒な『手続き』や『登録料』が必要なんだわ。でも君は運がいい。商店会組合長の息子であるこのペイパ様が、特別に手取り足取り教えてやるよ。……むっふっふっ。さぁこっちへ来な!」


 ペイパが強引に彼女の細腕を掴み、木箱から引きずり降ろそうとする。


「い、嫌っ! 離してください!」

「いいから来いってんだよ! 俺の言うことを聞けば、いい思いができるぜぇ?」


 ぬあー!! ア、アルミルがさらわれるー!!

 俺の推しに何しやがる、この三下(さんした)ァァァ!!

 今すぐ飛び出して黒焦げにしてやりたい!

 だが、ここで俺が闇の魔力を使えば、結界が反応して聖なる雷が落ち、俺どころかアルミルまで巻き添えにしてしまう。


 くそっ、どうする!?

 ……そうだ、俺には最強の「妹」がいるじゃないか!


「ポーム! 今すぐ彼女を助けてあげて!」

「ん? 兄上。先ほど定食屋では『人間のいざこざには介入しない』と無視したではないですか」

「い、いいから! 状況が変わったんだ! 今すぐ彼女を助けて差し上げなさい。今すぐー!」

「ご、ご命令とあらば。助けに入ります」


 俺の必死の形相に押され、戸惑いながらもポームが動いた。

 群衆をかき分け、颯爽とチンピラたちの前へ躍り出る。


「おい。そこの薄汚い二人組。その娘を開放しろ」


 ポームの声は冷徹で、絶対零度の威圧感を放っていた。

 ペイパが不快そうに顔を歪める。


「あぁ? 誰だお前は? 偉そうに。女だからって調子に乗ってると、お前も一緒にかわいがってやろうか?」

「そなたらのような弱小平民に名乗る名は持ち合わせていない」

「な、なんだと!? 俺のオヤジが誰だか知らないようだな。ワラバン、やっちまえ!」


「へい、ペイパおぼっちゃま」


 ペイパの命令を受け、護衛の巨漢ワラバンがのっそりと前に出た。

 身長2メートルを超える筋肉の塊だ。対するポームは華奢な少女。

 周囲の野次馬から「あんな女の子が……」「殺されるぞ」と悲鳴が上がる。


「へっへっへっ。女だからって容赦しねぇぞ!」


 不敵な笑みを浮かべたワラバンが、ポキポキと指を鳴らし、首を左右に振って威嚇する。

 そして両手を広げ、猛牛のような勢いでポームに襲い掛かった。


「潰れろォォォッ!」


 ワラバンが丸太のような腕を振り下ろす。

 直撃すれば骨など粉砕されるであろう一撃。

 だが。


 フッ。


 ポームは紙一重で身を反らし、ヒラリと華麗にかわした。

 そして、相手の突進してくる力をそのまま利用し、流れるような動作でワラバンの腕を掴んで背負い投げる。


「なっ……!?」


 巨体が宙を舞った。

 回転しながら吹き飛んだワラバンは、背中から地面に叩きつけられる。


 ズドォォォォンッ!!


 地面が揺れ、土埃が舞い上がった。


「ぐ、ぐぅ……ッ! やるじゃねぇか。す、少し油断したぜ」


 さすがは用心棒といったところか、ワラバンはよろめきながらも立ち上がった。

 そして、腰に帯びていた巨大な剣を引き抜く。


「丸腰の女相手に武器とは。恥を知れ」

「うるせぇ! 死ねぇ!」


 理性を失ったワラバンが、殺意を込めて大剣を振り下ろす。

 鉄の塊が空気を切り裂き、ポームの頭上へ迫る。

 避けられない――誰もがそう思った瞬間。


 シュッ、シュッ。


 鋭い風切り音が響いた。

 ポームが右手を素早く動かした、ただそれだけに見えた。


 カィィィンッ!


 金属音が響き、ワラバンの大剣が半ばからボキリと折れ、さらに刀身が三等分に切断されて地面に落ちた。

 鉄製で強固なはずの大剣を、手刀だけで!?


「ば、馬鹿な……」


 唖然とするワラバンを後目に、ポームは一瞬で間合いを詰めた。

 そして、がら空きの脇腹へ、鋭い肘打ちを叩き込む。


 ドゴッ!


「がはっ……」


 ワラバンは白目をむき、泡を吹いてその場に崩れ落ちた。

 完全なるKOだ。


 一瞬の出来事に、周囲は静まり返る。

 ペイパは腰を抜かさんばかりに後ずさった。


「ひ、ひぃぃッ! ば、化け物か……ッ!?」

「次は貴様の番か? 兄上をご心配にさせた罪、その腕一本では足りぬぞ」


 ポームが一歩踏み出すと、ペイパは悲鳴を上げた。


「お、お、覚えておけ! 俺に逆らってタダで済むと思うなよーッ!」


 力の差を見せつけられ、敵わないと判断したペイパは、気絶した部下を置き去りにして脱兎のごとく逃げ出した。


「ふん。口ほどにもない」


 ポームがパンパンと手の汚れを払う。

 解放され、安堵したアルミルがおそるおそるポームに話しかけた。


「あ、ありがとうございます! と、とってもお強いんですね……!」


「あんな奴、たいしたことはございません。それよりも、感謝するのでしたらあそこで見ている兄上に言ってください。私は兄上の命に従ったまでですので」


「兄上? あそこ、建物の陰にいらっしゃるあの方ですか?」


 ポームが俺の方を指さす。

 アルミルの大きな瞳が、俺を捉えた。


「ありがとうございます、お兄さん!」


 ドクンッ。


 心臓が跳ねた。

 アルミルがこっち見て感謝してるー!

 アルミルと目が合ったー!

 アルミルに感謝されたー!

 相変わらず神がかった可愛さ。いや、もはや神といっていいだろう。うん、神だ。

 だが待て。ここで俺が「大ファンです! 握手してください!」なんて言ったら、ただの不審者だ。

 ポームの手前、俺がアルミルを知っている(というか一方的に推している)ということは伏せておかなければならない。大魔王の威厳(仮)に関わる。


 俺は深呼吸をして、震える足で彼女の元へ歩み寄った。


「お、お嬢さん。お怪我はないですか?」


 できるだけ爽やかに。イケメン商人を演じるんだ、俺。


「はい。助けていただいて、本当にありがとうございました。私はアルミルと申します。あなたのお名前は?」


 名前? ええと、偽名だ。魔王の名前を出すわけにはいかない。

 確か、デーなんとかジュラなんとかだったような……それを縮めて……。


「……シュラといいます。旅の商人をしておりまして、たまたま通りかかったらお困りのようでしたので、差し出がましいようですがお助けさせていただきました。(妹のポームが)」


「シュラさん……素敵な名前ですね。ポームさんも、本当にありがとう」


 アルミルが屈託のない笑顔を向ける。

 至近距離での推しの笑顔。破壊力が高すぎる。

 俺のHPはもうゼロよ! 尊死する!


「そ、そう言っていただけて光栄です。実は私……」


 何かを言おうとしたその時。


 グゥゥゥゥーーーー。


 盛大な音が鳴り響いた。俺の腹ではない。

 音の出所は、目の前の可憐なアイドルの腹部だった。


「あっ……!」


 アルミルが顔を真っ赤にしてお腹を押さえる。


「やだっ。私ったら……ごめんなさい。その、こっちの世界に来てから、お金が無くて食事をとってなくて……」


 よく見れば、アルミルの格好はボロボロだ。

 何も持たされずにこの世界へ転生されてしまったらしい。

 俺が魔王城でゆったり椅子に腰を掛けていた間に、推しがこんなひもじい思いをしていたなんて!

 ファン失格だ!


「お腹がすいているのですか? でしたら、すぐ近くにおいしい定食屋を知っています。差し出がましいついでにおごらせてください」


「えっ、いいえ、そんな! 見ず知らずの方にそこまでしていただくわけには。お返しするものもないですし……」


「お代は結構! 先ほどの元気が出る歌で十分払っていただきましたから!」


 俺の勢いに、アルミルは目をぱちくりさせた後、またお腹の虫を鳴らせた。


 グゥゥゥゥゥ――。


「もぉ! 私のお腹ったら……正直なんだから。では……お言葉に甘えさせていただきます」


「うむ。遠慮はいりません。さあ、行こう」


 そして、俺とポームとアルミルは、ついさっきまでいた定食屋『プトルカン』へ戻ってきた。

 さっきトラブルから逃げるように店を出たばかりなのに、今度はそのトラブルの元凶(ペイパ)に絡まれていた被害者(アルミル)を連れて戻ってくるという、なんとも奇妙な展開だ。


 だが、そんなことはどうでもいい。

 俺は今、推しと相席でご飯を食べるという、前世では一生分の徳を積んでもあり得ないイベントを発生させているのだから。


 待ってろよアルミル。最高のナメロウ丼を食わせてやるからな!

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