第34.5話 君の君の輝く笑顔はこの心に満ちる
階段を一歩一歩を踏み出すたびに、古びた木材の音がした。屋上には日奈が一人で広いデッキの上に座って静かにカップのお酒をちびちび飲んでいた。
まだ夏の暑さがほのかに残っている秋の夜風は思ったたより暖かかった。久しぶりにお酒を飲んで酔いがすぐ回る体にはこの上なく爽やかに感じられる空気であった。
「こんなに爽やかだと降りて来たくならないのも無理はないですね。」
「足原君たちが私を探してたんですか?」
「お気になさらなくてもよさそうですが。せっかく同年代の友達ができて、ミルもなかなか楽しいみたいです」
「そうですか…」
日奈はカップを両手で包み,その中の琥珀色の液体を見つめた。
「いつぶりなのか分からないんです。 こうして一人でひっそりとした時間を過ごすのが。」
「もしかして、私がお邪魔しましたか?」
「そんなことないですよ。 ここに座ってください。」
デッキの上はかなり空いていたが、日奈はわざと少しだけ身を動かしてジンウを座らせた。
「今までいろいろ大変でしたよね。」
日奈はうなずこうとしたが、また軽く横に振った。
「最初は…そうでしたね。どこに行けば、何をどうすればいいのかも全然分からないし。すべてが怖いだけでした。」
日奈はカップの中に映った自分の姿が改めて見慣れないと感じた。それは酔いが回っているせいなのかもしれないが、星の光を浴びて輝く琥珀色の液体の上に揺れている自分の姿はとてもキラキラしていた。
「でも、ここで生活して、いろいろなことを経験しているうちに、少しは楽しめるようになったような気もするんです。
「楽しめている、ですって?」
「そう言ってしまうと、苦労ばかりしている足原君に申し訳ないですよね。だから今まで口にすることはできなかったんですけどね」
日奈はくすくす笑った。
せっかく心を開いたまま話せる相手が見つけた彼女の口からは、溜まっていた言葉が途切れることなく出てきた。
「そうじゃないですか。生徒たちには瀬戸ちゃん、とか呼ばれるほど親しげにしましたけど、それも大変でしたよ。
毎日…毎日…学生たちの後始末で…残業で…夜勤でそして飲み会まで。それにあの教頭の野郎はしつこくセクハラなんかしやがって。
本当、異世界にでも逃げられたらそうしたい気分だったんですよ。実際に来ることになるとは思わなかったですけどね。」
日奈が打ち明けて話す姿を見ながら、ジンウはささやかに微笑んだ。
「あら、ごめんなさい。 私の愚痴ばかり聞かせてしまって。嫌ですよね、こんなこと…」
「いいえ、大丈夫です、実は私も同じでしたから。」
「同じ?」
「兵役の義務を終えて社会人となったら、何をどうすればいいのか漠然としたんです。就職には次から次へと失敗したし、かといって何かやりたいことがあったわけでもなかったし。
夢に向かって頑張っているミルちゃんの前で限りなく恥ずかしかったです。 だから、先生と同じように私もどこかへふらりと消えたいと、そう思ったんです。」
「日奈でいいんです。 ジヌさんには先生でも何でもないんですから。」
「はい。 だから日奈さんと同じように、私も楽しんでいたのかもしれません。アイドルを目指して一生懸命やっている最中にここまで連れ去られてきたミルには到底言えないんですけどね。
元の世界よりもここで、もっと役に立つ人間になったような気もしたし。実際にそうでしょう?韓国ではしようとしてもできなかった公務員に、ここでなれるとはね。ハハハ。」
ジンウはにっこり笑って、またお酒を一口すすった。
「………あ、流れ星だ。」
「……この世界にも流れ星がありますね。」
夜空を一直線で飛んでいた流れ星は一筋の光の残像を残して、夜空の数多い星たちの一つとなった。清らかで澄み切った秋の夜空には文字通り数え切れないほどの星が散らばっていた。
二人はしばらくお酒をすすることさえ忘れたまま、夢中になって空を見上げた。
ん…
酔いは回るし、夜空は美しい。せっかく自分の心の中に溜め込んでいた本音を思いっきり吐き出した日奈は、すっきりして気持ち良かった。
ん、ん、ん…ん、ん…
いつの間にかハミングの音が屋上に流れていた。夜空を見上げていてふと思い浮かんだあるリズムを、日奈は口ずさむ。
目を閉じて、記憶の中のかすかなメロディーをたどった。
子供の頃、テレビの前に座って待っていた時の胸騒ぎ。
そのトキメキをイメージしたような神秘的な前奏。
夜空を彩る星々の中を横切る一筋の流れ星。
酔いのせいか、日奈は思わず歌を口ずさみ始めた。
【
ねえ 愛したら
誰もが こんな
孤独になるの?
ねえ 暗闇よりも
深い苦しみ
抱きしめてるの?
】
そして、日奈の歌を受け継ぐように、ジンウも口ずさみ始めた。
【
】
明らかに違う言語、違う歌詞だった。だが、それを載せているメロディーは一点のずれもなく正確に続いた。
日奈は驚きに満ちいた眼差しを送り、ジンウは小さい笑みで向き合った。お互いの歌の正確な意味は二人とも知らなかったが、その穏やかでせつないメロディーに込められた感情は全く同じだった。
【
君を君を愛してる /
心で見つめている /
君を君を信じてる /
寒い夜も /
涙で今呼びかける /
約束などいらない /
君がくれた大切な /
強さだから /
】
日奈とジンウの歌は屋上から涼しい夜風に乗って流れた。
最後の一節が闇の中にその余韻を残しながら消え去り、二人は顔を合わせて思いっきり笑った。
ただの酔いだと言っても構わない。気持ちよく盛り上がった二人は、しばしクスクス笑っていた。
「ジンウさんはこの歌をどうして知っているんですか?」
「私も子供の頃はアニメをよく見ていました。学校が終わるとすぐ家に駆けつけてテレビをつけたりしましたよ。ずっと前のことですからあの時に見たものは大分忘れてますが、この歌だけは覚えています。」
「いつもくだらない日常ばっかり繰り返していたのに、こんなファンタジーの世界に来るなんて。本当に、あのアニメに入ってきたような気がしますよ。」
「格好いい王子さまはまだいませんけどね。」
「アハハ。」
「これ以外にもあったんだけどな…面白かったアニメが…」
「あ、私も何か思い出してます!確かあれ、女子高生たちが異世界に召喚されて、それで、何かスーパーロボットに乗って......」
©Victor
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