第5話 コバフ(3)
「だから、私たちのいる『コバフ村』がここであり、この大きな街道沿いに行くと『バレンブルク市』という所なんですね?」
「そう、ここがこの州では一番大きな都市だよ。ホウジ少年。」
ここに来てからいつの間にか一週間が過ぎた。
私はオルソンと頭を寄せ合って地図を広げていた。蓄積も距離もめちゃくちゃな、地図というより略図に近い物だったが、それなりに状況を把握するには役に立った。
初耳の地名がいっぱい出てきた。難しいが社会や歴史の授業だと思って、ひとまず頭の中に押し込む必要があった。
まず、この国の名前は『ゼロガム王国』。
その王国の首都である『カハル』から北に遠く離れた『バレンブルク州』は、その距離のために中央の力より地方領主である辺境伯の力がもっと強い地方であった。バレンブルク州の地図を詳しく見ると、ほぼ中央に州知事に当たる辺境伯が留まる州都、『バレンブルク市』がある。
私たちが世話になっているこのコバフ村は、バレンブルク州の中でもかなり人里離れたところにある小さな村だった。
普通このような世界での地方領主といえば、勝手に越権行為をしたり、重い税金を取り立てたり、酒色に溺れたりする悪徳領主のことを思い浮かべ易いんだが…
「まあ、そういう所もあると聞いたことはあるよ。」
オルソンはお茶をすすりながら言った。
「でも、バレン辺境伯は別にそんな人じゃない。 税金も重くないし、治安もそれなりによく維持してくれている。噂によれば有能な人材なら年や経歴を問わずいつも歓迎しているんだそうよ。 裁判も公正な方だし。 何よりも…」
「何よりも?」
「愛妻家だから妾をかこわないんだって。」
ふむ、だったら少なくとも『おい!そこの小娘、なかなか可愛いじゃねぇか。今夜殿様のお部屋に入れ!』という展開になる心配はしなくてもいいかも。沙也にちょっかいなんかだすんじゃねぇよ、こら。
もちろん州都にはもっときれいなお嬢さんたちがいくらでもいるだろうけど、沙也も学校ではそれなりに学年クイーンとか言われたんだよ。余計な心配をしている訳じゃないぞ?日本の帰るまでは大事に守らないと、な。
オルソンはへらへらと笑った。
「その可愛いお嬢ちゃんが辺境伯様の目にでも入るんじゃないかって、まさかそんな心配をしてるかい?なら、すぐにでも少年が花嫁に迎えればいいじゃん。」
「私たちはそんな仲じゃないですよ。ただ兄弟のような友達ってことです。」
「おい、おい、ホウジ少年。皆そうやっていつのまにか『あなた』になるものよ。」
オルソンはため息をついている私を見てくすくす笑った。ここ1週間で気づいたのだが、オルソンは以外と…いや、かなり意地悪いところがある。
このままでいいのかよ、コバフ村?
「そんなオルソンさんこそ、今日はマイヤーさんのところに行かないんですかぁ?」
「えっへん!こほん!」
「製粉所のマ、イ、ヤ、さんは本当に美人なんですよね? オルソンさんよ?」
私はわざと声を低くして,「マイヤーさん」の名前にアクセントを入れた。オルソンは赤熱した顔を咳払いで隠した。
コバフ村の真ん中を横切る川に小さい水車がついてる製粉所があった。 そこの主人であるマイヤーさんは夫を亡くしてから一人で製粉所を経営している強い女性だった。通りすがりで挨拶しただけの私も忘れられないほど魅惑的な美人だった。
うん。確かに凄い美人だった。
オルソンさんよ、私のことを甘く見すぎたぜ。人の恋心をもってからかうことに、現役の高校生に勝てる者なんかいない。
この世界でも。
村の代表を務めている割に、オルソンは純粋でどこか子供っぽいところがあった。いつも爽やかでさっぱりした人が、なんでマイヤーさんの話が出るとああなるんだろう? 町の食堂のベビンさんを含めてオルソンのことを気にしている人も結構いるみたいだけど。
見事にピッチャー返しをされたオルソンをしばらくあざ笑った後、私は適当に彼を手放すことにした。
「そういえば、沙也と瀬戸先生はどこへ行ったんですか?」
「さっきおばちゃんたちと畑の手伝いに行くって言ってたよ。」
コバフ村の主な収入源は絵で描いたような広大な田んぼ、畑、果樹園とそこで行われる農業だった。先日味わった新鮮な果物の味を思い出すと、思わず口元がついほころぶ。
ここに来て、正確には目を覚まして2日目からは私たちも村の仕事を少しずつ手伝い始めた。あてもなくぼっとしているわけにはいかなかったから。
私はここの住民たちに比べて体も大きく力もそれなり強い方だったが、どうしても器用だとは言えなくて単純なお使いをする程度だった。しかし元から気さくで行き届く沙也はすぐ村のおばさんたちに愛される即戦力になっていた。
私が覚めた後も一日ほど落ち込んでいた瀬戸先生も、今はもうすっかりいつもの先生に戻っていた。もともと明るくて人懐っこい人だったから、たった数日で村の中では知らない人がいないほど人気者になっていた。
「ちょうど人の手が足りない時期だったから、おかげで助かったよ。」
「申し訳ないです。あの二人に比べて私は不器用で…」
「何言ってるんだ。最近村の子供たちがいいおもちゃ… いい遊び友達ができたって、本当に喜んでいるんだよ。」
今ちょっと失礼な言葉が聞こえたようだが。 まあ、気のせいだろう。
とにかく最近、町の子供たちとボールを蹴って遊び始めたのは事実だった。 皮の切れ端をごじゃごじゃ編んで中に藁や羽毛などを詰めた物もボールと呼べるならな。 まともな球形ではないため、たまには勝手に跳ね返ってたりもする。ちゃんとしたドリブルなどは難しいがお互いパスを交わすだけでも、子どもたちはとても喜んでいた。
何年後にかれらの間で香川を超える人材が現れるかは神のみぞしることである。
今度は野球を教えてみようか? 桑田や松井が現れるかもしれないじゃん?
「オ、オ、オルソンさん!」
私とオルソンののんびりした会話は悲鳴のような叫び声で中断された。
一人のおばさんが畑仕事をしていた姿のまま慌てて公民館のドアを叩いて入ってきた。 どれだけ急いで走ってきたのか、手には鋤をそのまま持っていて、頭巾はどこに飛んでいったのか、長い髪がそのまま乱れ放題だった。
「た、大変です!」
「一体どうした…」
「モンスター、モンスターが畑に! コボルドです!」
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