『暁と黄昏のアライアンス』
恵一津王
第1章 - はじまり
第1話 INTRO - 暁の夢
【存乎人者莫良於眸子】
【眸子不能掩其惡】
【胸中正則眸子瞭焉】
【胸中不正則眸子眊焉】
【聽其言也觀其眸子人焉廋哉】
ー『孟子』 離婁上
『暁と黄昏のアライアンス』 - 第1話、暁の夢
ぼんやりとする意識の中で枕元を手探りした。
曇った暗闇の中をさまよう指先には何も捕まらない。そこには携帯電話はおろか、目覚まし時計すら存在しない。そう、習慣とは恐ろしいものだ。
もう何回…いや、何十回と繰り返してきたことだ。あるはずのない物を求めてしまうのは。
それでも直れないのは、心のどこかにある一片の希望のためか、それとも単に未練が残っているせいなのか。
[今何時頃になったのだろう。]
窓の隙間からほのかに差し込む月の明かりの欠片が、まだ日の出どころか、薄明りにもなっていないことを知らせていた。
「まだこんな時間か…」
すぐにでも布団を蹴飛ばしたいという欲求を抑えた。 今寝ておかないと一日中疲れるだろう。 汗でびっしょりになった枕カバーの感触がいらいらする。
私はまた目を閉じた。
ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ
そして目を覚ましたら、私はグラウンドの上に立っていた。
[またこの夢か。]
一晩中降った雨がまだ乾いてない地面はぬれている。 そしてその上に強烈な初夏の日差しがおびただしく降り注いでいた。
黒い土から噴き出してくる水蒸気は、息を吸うたびに肺を締め付けた。熱いサウナの熱気、なんてありふれた表現はもはや比喩ではなかい現実だった。
しかし私を…いや、私たちを本当に息苦しくするのは別にあった。
九回裏二死
ランナーは二、三塁
スコアは一点差
スタンドから聞こえてくる強烈なブラスサウンド。
あちこちからで叫んでる励ましの大声と大歓声。
「あと一つ!あと一つだ!」
特に勢いの良い大声を出しているセンター側を眺めた。キャプテンの先輩がグローブを拳でパンパンと たたいていた。
ゆらゆら立ち上る
「おい! しっかりしろ!」
私はなぜここに立っていたんだろう?
ああ、そうだ。三塁手を務めていた先輩が倒れたんだな。
激しい暑さの中で狂いそうな緊張感と連日続いた延長戦。 昨夜、胃薬を口に入れながら照れくさい笑みをしていたその先輩は、地区大会決勝の重圧感に最後まで耐え切れなかった。
九回裏が始まってから、先頭バッターが打ったゴロをまともに捕球できなくてエラーを犯した後だった。まるでかかしが倒れるようにグラウンドの上に横になった先輩を見て、監督は舌を打って私をよんだ。
「チッ!
【チームメイトのミスは皆のミス。】
【仲間のミスまでかばってくれるのが 真の仲間。】
【皆は一人のために、一人は皆のために。】
数え切れないほどの青春ドラマや漫画で、一様に語られいること。苦しくて、つらくて、死ぬほど暑くても、それでも、その美しく感動的な青春のページの上に立っていると私は信じながら飛び出した。
三塁に入った私をピッチャーの先輩がじっと見つめる。
二年生の私が頼りないのだろうか。それとも先ほど守備エラーを犯したポジションが気になるのだろうか。
私はわざと気合を入れて大声を出した。
「あとひとつ!」
ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ
「はぁ…」
汗でびっしょりぬれた布団が、まるで縛るように全身をぐるぐる巻いていた。
首筋をくすぐってる汗が気持ち悪い。ベッドに入る時まではこれ以上ないほど居心地が良くてふわふわしていた布団が、今はまるでシャワーの後に使ったタオルのように湿っていた。
まだ眠気が残ってるせいで布団の中から起きることすら厳しい。
「お水…」
ひどい喉の渇きに耐え切れず、結局身を起こした。寝る前にサイドテーブルに置いてあった水差しの水はぬるくなっていたが、それさえも今の私はこの上なく爽やかい。
ベッドの上にに座ったまま、まだぼんやりとした目で窓を眺めた。夜空にはまだたくさんの星が見えたが、その末端からぼそぼそと上がり始めて来た薄明が、おおよその時刻を告げていた。
そっと開けておいた窓の間から吹き込んだ夜明けのそよ風が頬を伝って流れる汗を飛ばしてくれる。
- チュンチュン、チュンチュン
窓の近くでうろうろしていた早起きした小鳥が、すぐにばたばたと羽音を立てて飛んでいった。
【英語のことわざに早起きの鳥が虫を食べられるという言葉がある! 早起きは三文の得という意味だ! おまえは鳥にも及ばないそんな精神状態でプロ選手になれると思うのか!】
「お父さん......」
さわやかな夜明けの空気と小鳥のさえずりに私が思い出したのは、激しく責めてくる父の記憶だった。 いまだにも耳ともに響いているその声をもし防げるかと、頭を膝の間に埋めて耳をふさいだ。
しかし、父の声は頭の中で絶え間なく鳴り響いていた。
ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ
そういえば、父は私が野球部に入るのを必死に反対していた。でも、数カ月に渡って意地を張った私のことを耐えられず結局父は許してしまった。
【そんな覚悟で野球をするとよくも言ったな!】
その直後から、父は野球を許したことに対する八つ当たりじゃないかと思うほど厳しいトレーニングを私にさせた。まるでこれでも野球をするつもりか、と言うように。
その中でも最も厳しく教えてくれたのは守備訓練、その中でもノックだった。
【ボールを怖がるバカな選手がどこにいる! 退くな! 前に進み込め!】
野球選手になると宣言した私に、一人前の選手になるかどうかは守備にかかっていると、毎日夜明けから父は私を起こしてノックを打った。元プロ野球選手が手加減なしで打ったノックを、まだグローブさえ重く感じる新米の中学生が受けることは無理だった。
でも、父は止めることなく毎日朝練をつづかせた。
それは、私が家庭内暴力に苦しむのではないかと当時の担任の先生が真剣に悩むほど厳しいものだった。
その恐ろしい記憶を吹き飛ばしたい気持ちで、大声で叫んだ。
「あとひとつ!」
打席に入った相手の4番バッターにも、私の声が聞こえたようだった。ちらっとこっちを見たバッターはぷっと小さく笑った。地区を代表するスラッガーから見れば、私のような候補の気合は軽く聞こえるのだろうか。
ピッチャーが力任せの初球を投げつけた。 キャッチャーは外角のボールを要求したが、投球は逆に打者の内角へ向かっていた。
パカン!
バッターが思い切り打ったボールは私の真っ正面に飛んできた。
体側の失投を強打者が力強く引っ張った打球が、どんでもないスピードで私の胸元へと向かった。
その瞬間も、私の頭の中では父の大声が響いていた。【退くな! 前進しろ!】その言葉の通り、私は前に一歩踏み出して、グローブをはめた手を前に差し出した。
一瞬、目の前が真っ暗になった。
比喩ではない。文字通り視界が暗くなった。そして頭を揺るがす強烈な苦痛。
何だ? 一体何がどうなったんだ?
「ワアァァァァ!」
あっという間に沸き始めたスタンドの歓声を聞いて、気をとり戻した。気を失ったのは、ほんの一瞬だったようであった。視界が戻った私の目に映ったのは…
「あっ!」
引き裂いたようにウェブの先が破れたグローブ。 そして地面を転がっているボール。
グローブを突き破るほどの強烈な打球が私の
そのまま気絶しなかったのは、グローブに当たった打球の勢いが一度減ったおかげかもしれない。
球の白い革面に彩った赤い痕跡が目に立った。それは、まるでボールが血を流しているように見えた。
[私の血…]
しかし頭で考えるよりも先に、ひどいノックで鍛えられた体はすでに動いていた。口の中で生臭い鉄の味がしたが、無視した。背後を通る3塁ランナーの気配が感じられたが、それも放っておいた。
バッターさえアウトさせれば良い。
それじゃ試合は終わる。
このグラウンドから、出られる。
勝者として。
「一塁!」
キャッチャーとピッチャーの両方が一塁を指して叫んだ。
視界がぐるぐる回ったる最中でも、何千何万回練習してきた通り、一度でボールを取った。
父は、グラウンドボールを一度でキャッチできないことが嫌うどころか、軽蔑していた。【それでも野球選手か! それとも酔っぱらいか!】父の声が頭の中で響いた。
ちゃんとキャッチしたよ。お父さん!だからちょっと黙って!
「一塁へ!」
わかったよ!
再び急かせる誰かの声に、私は一塁に視線を向けた。足が速くないバッターランナーはまだ必死にベースに向かって走っていた。さっきまで打席で私を見て嘲笑していたあのスラッガーが。
今度は私があいつを狙い撃つ番だ。いっぺん......
「逃げてみろ!」
腕を力いっぱい引っ張って、そして一塁手に向かって伸ばした。
「あ…」
球を投げる刹那の瞬間、違和感を感じた。何だろう。指先に感じられた、普段とは違う微細な感触。
そんな中、送球は稲妻のように1塁に向かって飛んでいった。ほぼ同じタイミングなのか? 違う。少しだけどボールの方が速い!なのに、しかし。
- ドン
ほんの少しだった。
ほんの少し外れたボールは、バッターランナーの頭に直撃してしまった。グラウンドに倒れたランナーは、痛苦しみの中でも必死に一塁をタッチした。
ヘルメットに当たって跳ね返ったボールは、ファウルエーリアの奥深くまでごろごろ転がってしまった。
「ホームだ! バックホーム!」
「ちくしょう!間に合わない!」
「早く走れ!走れ!勝つんだ!」
みんなが大声で騒いでいるのが遠く、エコーのようにとても遠く聞こえてきた。
指先を見下ろすと、ねばい血が少しついている。この血で滑ったんだ。ほんの少しズレた制球が…
「…終わった。」
…試合を終えた。
われわれの負けで。
口元から一筋の血が流れ落ちた。
ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ ㄹ
教会の鐘の音が朝の訪れを告げながら街中に広がっていく。
その鐘音に救われたように、ベッドの上に座ったまま横になってしまった体をゆっくり起こした。夜明けの頃に目が覚めたと思ったが、いつの間にかまた眠ってしまったようだ。
窓から強烈な朝日が差し込んでくる。嫌な悪夢に苦しまれた、特に長かった夜はいつの間にか痕跡もなく消えていた。
髪を手でかきあげた。手のひらにいっぱいたまっている汗が、昨夜一晩中私を苦しめた夢の時間がうそではなかったことを証明していた。
「あと一つ···あと一つ···」
夢の残響が残っているのだろうか。口の中にはまだ「あと一つ」が響いていた。
部屋の隅に視線を投げた。そこに置かれているのはヘッドからノブまで一つの鉄の塊でできている一本のバットが朝日の日差しを受けて無機質的な金属の光を散らしていた。
お父さん。お父さんの教えで、この息子は毎日を生きています。
窓を開けた。
暖かい日差しの熱気と露を含んだ朝の空気が同時に顔に吹きつけてきた。 続いて聞こえてくるにぎやかな、一日を始まる音。窓の下に広がる町の姿は…
双剣を背中に背負い、大通りを歩く鋭い目つきの戦士。
灰色のローブを着て早足でどこかに向かっているモンク。
街のあちこちを丸くした目で眺めている、みすぼらしい身なりの流民。
そして深緑のマントを羽織り、弓を背負った黒髪ストレートロングの美女。
イベント会場でもない限り、日本では見ることのできない風景。しかし、これが今は私の日常だ。
その中でストレートロングの美女が私の視線を感じてこちらを振り向く。黒曜石みたいに輝く純黒の瞳。落ち着いてるようにしか見えないけど、実はいつ爆発してもおかしくない凶暴さを秘めている、ヒョウのような目。
何だかいつもより少し怒っているような気がしますけど?
「おはようございます、
「おはよう。 今すぐ準備して行くよ。」
ささやかなため息が感じされるドライな声りに対し、私はわざわざ明るくあいさつをした。
「今日は辺境伯様が自ら訓練に参加する日なので、早く準備したほうがいいですわ。」
「エッ、わかった!」
ここはバレンブルク市。
ゼロガム王国の辺境伯領であるバレンブルク州の州都である。剣と魔法と殿様がいる、絵に描いたようなファンタジーの世界。
私の名前は
わけも分からないまま
―――――――――――――――――――――
はじめまして。お読みいただいて、誠にありがとうございます。
皆様にこの作品を読んで『良い物語だった』と思っていただけるように頑張ります。
ご指摘はいつも歓迎しますのでコメントでたくさんご指導お願いいたします。
では、法次と一緒に異世界の冒険を楽しいんでください。
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