推しと恋をする世界線 〜大好きな歌声に導かれてタイムリープした私が、疎遠になっていた親友からの溺愛に気づくまで
矢口愛留
1 タイムリープ(1)
百鬼夜行、真っ暗なハロウィンの夜に潜むもの。
その深淵には、不思議な奇跡が隠されているという――。
仮装した子どもたちが、かごを抱えてお菓子をねだる時間も、とうに過ぎた頃。私、
肩までの黒髪はハーフアップにしていたが、今は崩れて、あちこちから髪が飛び出している。頬には涙の跡、靴は片方脱げてしまっていた。
口の中が妙に塩辛いのは、風で運ばれてくる潮の香りのせいもあるかもしれない。
黒い海面に映る赤やオレンジの光は、きちんと形を取ることもなく、ぼんやりとして寂しげに見える。それは
◇◆◇
「ああ、やっと仕事終わった! 急がないと、ライブビューイング始まっちゃう」
短大を卒業して、社会人二年目。滅多に起きないトラブルが起きて残業をした私は、海浜公園を全力疾走していた。
今日は、推しバンドのライブがあるのだ。どうしても仕事を休めなかった私は、会場には行けないので、会社近くの映画館でライブビューイング上映を観ることにしたのである。
映画館まで、海浜公園を突っ切ってショートカットだ。
「ぜぇ、はぁ……こんなことなら、ヒールじゃなくてぺたんこ靴にすればよかった」
上がった息で毒づいても、走る速度は変わらない。けれど、なぜ今日に限って残業なのかと、ぼやかずにはいられなかった。
ただ幸いなことに、ちょうど食事時だからか、園内を歩いている人は少ない。奇異な目で見られることもなく、安心して爆走できる。
そうして必死で走っている最中。
急いでいるのに、なぜだか私は、海に面した一脚のベンチに視線を引き寄せられた。
そのベンチには、一組の男女が座っている。その二人に、見覚えがあるような気がしたのだ。
私は走る速度を緩めて、暗闇の中、じっと目をこらした。
「あれ……
――否、見覚えがあるどころではない。
明るい茶髪を緩く巻いた、露出が多め、お化粧も濃いめの派手な女性は、
そしてカジュアルなジャケットを着た黒い短髪の男性は、
「どうして二人が一緒に……」
私はそのまま足を止める。
話しかけることもできずに、物陰に身をひそめて、二人の様子をうかがった。
ライブビューイングは大事だが、恋人と親友の方が気になってしまう。二人の雰囲気が、ただならぬものだったからである。
二人は、私が物陰から見ていることに気づいていないようだ。
こちらからは二人の横顔しか見えないが、二人とも自然な雰囲気だし、距離がやたらと近い。
ややあって、修二が、ジャケットの内ポケットから小さな箱を取り出した。
手のひらサイズの、角が丸い、肌触りのなめらかそうな小箱。
朋子は、両手を口元に当てて、感激している様子だ。
「……!」
私は驚きのあまり、隠れることも忘れて、身を乗り出してしまった。だが、二人は目の前のことに夢中で、私に気がついていないようだった。
修二が小箱の蓋を開けると、朋子は自らの左手を差し出す。その薬指に、修二は、箱の中に収まっていた指輪を、ゆっくりとはめたのだった。
笑っている。
嬉しそうに、幸せそうに。
二人とも、今まで見たことのない、最上の笑顔を互いに向けている。
私は、すぐに理解することができなくて――いや、理解したくなくて、頭を振った。
その時。
一瞬、朋子が、こちらの方を見た。
私は、自分が向こうからすっかり丸見えだったことに、ようやく気がつく。
目が合って、朋子は――にい、と笑みを深めた。勝ち誇ったような笑顔だ。
「え……?」
彼女の表情の意味がわからず、私は呆然とする。
朋子はすぐに修二に視線を戻し、妖艶な仕草で修二の頬に、輝きをのせた左手を伸ばす。二人はすぐさま、濃厚なキスを交わし始めた。
「……っ」
じわじわと滲んできた涙で、二人の行為がろくに見えなかったのは、幸いだった。
私は、急いできびすを返し、その場から走り去ったのだった。
◇◆◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます