第27話 三ン蛇浜②
──翌朝。
ベッドの枕元に置かれていた、古びた電話機が大きな音を響かせる。
「んん……はーい……
長距離移動をしたせいか、昨晩、
『響野さまにご来客です』
「来客……? おぇにぃ……?」
『ロビーにてお待ちしておられる、とのことです』
「はぁい……」
何がなんだか分からないが、これ以上の惰眠を貪るのも、朝食ビュッフェに立ち寄る暇もないということだけは理解できた。よろよろと起き上がり、顔を洗い、歯を磨き、着替えて寝癖を直し、鏡台の上で夜を過ごした人形・夜明を鞄に戻し、大あくびをしながら部屋を出る。エレベーターに乗って、部屋がある五階から一階まで。フロントに立つ制服姿の男性に「響野ですが」と声を掛けると、
「響野さま……ですか? 失礼ですが……」
「え……? いや、あれ、なんか電話が……?」
どうも様子がおかしい。そういえば、電話で来客を告げてきたのは女性の声ではなかったか?
制服姿の男性とふたりで途方に暮れていると、
「響野さま」
──背後から、声がかかる。
女性の声だ。
瞬きをひとつして振り返った視線の先に、黒い和服姿の女性が立っていた。背が高い。目線の高さが響野のそれと同じぐらいだ。年齢はずいぶんと若く見える──二十代の半ばといったところだろうか? 凛とした一重瞼に、灰色の虹彩が印象に残る三白眼。長い黒髪を優雅に流したその女性は薄いくちびるの端を僅かに上げ、
「おいでになるならば、事前にご連絡をいただければ……迎えに参りましたのに……」
「え……はい……? いや、事前の連絡とか……あの、どちら様、ですか?」
「
うっとりと、女は笑った。
反射的に夜明が入った鞄を抱き締めた響野の手元をじっと見詰めた──風松と名乗った女は、
「ああ、その中に、あの人形が」
「な、なんですか! 俺はまだ何も!」
「ご説明いただかなくとも結構。こちらはすべてを承知の上です」
「はぃ!?」
声が裏返る。フロントの男性は──完全に見て見ぬふりをしている。
彼だけではない。朝のホテルを出入りする人間のほとんどが、響野と風松のやり取りから顔を背けている。
味方になってくれそうな人間はいない。期待できない。
「響野さま」
女が言った。
「
一瞬、単騎でこの場に乗り込んできたことを心底後悔した。
だが今更後戻りはできない。響野憲造はここまで、来てしまったのだ。
ホテルの前には真っ赤な軽自動車が停まっていた。「どうぞ」と女に背中を押されるがままに、後部座席に乗り込んだ。女は助手席に、運転席には女と良く似た顔立ちで、同世代ぐらいの──まるで双子のような顔立ちのスーツ姿の女が座っている。
「出して、姉さん」
「ああ」
「……ごきょうだいなんですか」
夜明を抱えたままで、響野は尋ねる。助手席に座っている方の女が、
「三つ子ですの」
と応じた。
三つ子。
昨晩確認した
「響野さまもご覧になったんじゃありませんの。
「駅に置いてあった紙だったらもらいましたけど」
「あの通りですのよ」
ふふふ、と助手席の女が嗤う。
「あの通りですの」
運転席の女──姉は、何も言わない。
十五分ほど、クルマに揺られた。窓から海が見えた。あれが
「響野さま、どうぞ」
気が付くと、巨大な鳥居の前にいた。助手席に座っていた女が先に降車し、後部座席の扉を開けてくれる。夜明の入った鞄を抱えたまま、響野は黙ってクルマを降りる。ハンドルを握っていた方の女がクルマの外で煙草に火を点けているのが見えた。
「もう、姉さん」
と、和服の女がスーツ姿の女──姉の肩を叩く。
「火は危険だからやめてっていつも言っているじゃない」
紫煙を吐く女が何かを言い返している気配がしたが、その言葉は響野の耳には届かない。
緑の、ほとんどない山の中だった。枯れ果てていた。冬だから、という以上に寒々しい景色が広がっていた。「響野さま」と和服の女が声を上げる。
「どうぞ。お入りになって」
「……ここが、風松神社の本社ですか?」
眉根を寄せて尋ねると、
「そのようなものですね」
と女はまたうっとりと笑って見せる。
「そのようなもの?」
「お入りになれば、ご納得いただけるかと」
「……」
禁足地か、と不意に思う。この女──たちは、響野のことを既に知っていた。ホテルの内線を勝手に使って呼び出して、クルマに乗せてここまで連れてきた。ホテルには大勢の人間がいたけれど、誰もこの女たちとは目を合わせようともしなかった。
三匹の蛇への感謝の祭り。七日間続くというその祭りの後半戦。
(五日目、男児を供える。六日目、新郎を供える。七日目、女児を供える)
鹿野迷宮に尋ねれば、口減らしのための間引きを『三匹の蛇への感謝の儀式』に言い換えたのだ──とでも言われそうだが。
そもそも、三匹の蛇が現れたという海辺はそれまで『名無し』だったというではないか。蛇が現れることで初めて
(──つまりどういうことだよ、夜明さん)
大鳥居の向こう側、神社の裏手にある社務所に案内されながら響野は歯噛みする。何も分からない。文字通りの徒手空拳状態でここまで来てしまった。
「どうぞ、どうぞ」
和服の女が先導し、響野は社務所の中に入る。
お入りになれば──という女の台詞には間違いがなかった。
人形。
見渡す限りすべての場所に、大量の人形が置かれている。
半数は市松人形や、木製のこけし──所謂『人形』というフレーズから連想するものがそのまま並べられており、全焼した風松楓子邸のようにビスクドールやキャストドールの姿は見当たらない。
口をぽかんと開けたままで沈黙する響野の背中を、和服の女の手がそっと撫でた。
「信じていただけました? わたくしたちも、風松だと」
「……いや、ちょっと、何してるんですか!?」
女の手が鞄に掛かったところで、ようやく我に返った。夜明を奪われまいと後退りをする響野の目をじっと見据えながら、女はまた口の端だけで笑った。
「ああ、困った、困ってしまう。響野さま。わたくしたち困っているんですよ」
「なに……何に……何の話……」
「
女の声が、ふ、と低くなる。
「あの方の勝手で、わたくしたちは欠けてしまった」
「は……」
女の目──先ほどまでとはまるで違う、琥珀色に輝く目の中心。黒い瞳孔が丸ではなく縦長であることに、今更ながら気付いてしまう。
風松楓子は、どうだった?
「ここで、わたくしたちは、栄えていたのです」
「
「姉さまが急に、呪いをおやめになってしまうから」
「もうお祭りは、行われない」
おかしい。この女の言っていることは、尋常ではない。
逃げねば。
踵を返した目の前に──スーツ姿の女が立ち塞がっている。
「人形」
スーツの女が、初めて声を発した。
「最後の呪いを、返してもらう」
響野憲造の意識は、そこで途切れる。
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