第26話 三ン蛇浜

 最寄りのバス停から路線バスに乗り、JRの駅まで向かう。そこから東京駅に移動し、新幹線に乗って風松かぜまつ神社の本社があるという海辺の街──三ン蛇さんじゃはまを目指した。総移動時間は四時間ほどだろうか。三ン蛇浜にほど近い街──夏場は海水浴を目的とした観光客が大勢訪れるという観光地は静まり返っており、幾つもある民宿はほとんどすべてが看板を降ろして閉まっている。宿泊場所についてまでは考えていなかった。スマートフォンを適当にいじり、今日すぐに泊まることができそうなホテルを探す。

 全国に幾つもの宿泊施設を持つビジネスホテルの一室を押さえることができた。ドール・夜明よあけが入った鞄を片手にコンビニに入り、下着や歯磨き、洗顔用の石鹸などを買い込んでからホテルに向かう。

 おそらくこの街でいちばん背の高い建物なのではなかろうか、と思うようなホテルのロビーは閑散としていて、


(……まあ、真冬だもんな)


 こんな寒い時期にわざわざ海辺の街を訪れる人間なんて、里帰り目的か自死志願者──いやいや、縁起でもない、と首を横に振りながら響野きょうのは手早くチェックインを済ませ、二泊三日の予定で押さえた部屋の鍵を受け取る。夕飯は出ないが、朝食は一応ビュッフェがあるらしい。助かる。部屋に入ってすぐの場所に置かれた鏡台の上に夜明の鞄を置き、上着を脱いでハンガーに掛け、コンビニで購入した充電コードとスマートフォンを繋ぎながら不意に液晶画面を覗き込む。


 着信が幾つも残っている。


 職場の編集長・諏訪部すわべ。刑事・小燕こつばめ。それに風松かぜまつ楓子ふうこ邸にともに足を運んだり、鹿野かの迷宮めいきゅうとの打ち合わせに付き合ってくれた市岡いちおかヒサシ。さらには都内の風松本家で塩を撒いてくれた錆殻さびがら光臣みつおみからも数回の着信と「今どこにいる」という短いメッセージが残されていた。珍しい話もあるものだ。

 だが、生きている人間に付き合っている暇は、今の響野にはない。


夜明よあけさん」


 呼びかけながら人形を鞄から取り出し、鏡台の上に座らせる。皺にならないように脱がせていた服を着せ、ウィッグを被せてやりながら、


三ン蛇さんじゃはま──俺はこの場所のこと、全然知らなかったけど。夜明さんは知ってたんでしょ」


 応えはない。当たり前だ。夜明は人形なのだ。


「風松神社の本社がある土地。風松楓子さんと彼女の妹ふたりは、この土地で生まれ育った」


 すべての着信を無視してメモアプリを開き、夜明の小さな手元に置く。


「教えてほしいんだ、夜明さん。風松楓子さんはなぜ亡くなったのか。彼女の本心はなんだったのか。そしてあなたは──誰なのか」


 夜明がもともと身に着けていたグラスアイは刑事・小燕に預けてしまった。だから夜明の顔を覗き込んでも、鈍く光るのはPOP人形店で購入した藍色のレジンアイだけで。


「夜明さん」


 眠らなきゃ駄目なのかな──とも思う。一旦響野が意識を失わないと、彼らは言葉を発することができないのか。

 夜明にまた首を絞められたら、と思わないでもない。今この部屋には響野と夜明しかいない。助けてくれる錆殻光臣の甥や、その秘書の菅原すがわらはここにはいない。

 やはり駄目か、と然程落胆もせずに切り替えた響野は、三ン蛇さんじゃはまにほど近いローカル線の駅で貰ってきた地元の名所案内を手にベッドに腰を下ろす。名所案内とはいっても地元の有志が情報を出し合って作成したと思しきコピー用紙に印刷された手書きの地図で、配布され始めた当時はフルカラーだったのだろうが、今ではすっかり色も褪せ、紙自体もしわしわになってしまっている。


『昔、むかし。

 波の荒い海のほど近くに______という名の村があった。

 季節を問わず海は荒れ、風が強く、村人が飢えて死ぬことも多かった。

 隣村までの道は厳しく、外部との交流もない。

 ある年、村に生まれたばかりの赤ん坊が立て続けに七人死んだ。

 村人たちは海に救いを求めた。

 荒れる海のせいで飢饉は起きるが、海からの幸で村は成り立っていたからだ。

 白い砂浜で頭を下げる村長をはじめとする村人たちの前に、三匹の蛇が現れた。

 蛇たちはそれぞれ美しい女に姿を変え、村を救ってやる代わりに社を作るように命じた。


 一日目。波が穏やかになり、村人たちは海に船を出すことができた。

 二日目。強い風によってへし折られていた稲穂が蘇った。

 三日目。病に苦しんでいた女たちが、寝床から出ることができた。

 四日目。巨大な岩によって封じられていた隣村までの道が拓かれ、食糧を手にした隣村の住民たちが助けにやってきた。

 五日目。赤子が生まれた。

 六日目。三匹の蛇のうち、ひとりが孕んだ。

 七日目。赤子が生まれた。


 村人たちは三匹の蛇を祀ったやしろを作り、足繁くそこに通った。

 三匹の蛇はここには書ききれないほどの奇跡を起こし、村は蘇った。

 村人たちは三匹の蛇のために祭りを行うことにした。


 一日目。波が穏やかな日に祭りは始まる。船の上から男たちが三匹の蛇への感謝を伝える。

 二日目。その年いちばん新しい米を炊き、社に供える。

 三日目。女たちがこしらえた新しい布団を、社に供える。

 四日目。隣村の者たちを招き、三匹の蛇のための宴を開く。

 五日目。男児を供える。

 六日目。三匹の蛇のうち、ひとりのために新郎を供える。

 七日目。女児を供える。


 いつの間にか名無しの浜は、三ン蛇さんじゃはまと呼ばれるようになり、今も三匹の蛇への感謝の祭りは続けられている。』


 蛇、と響野が呟くのを待ち受けていたかのようなタイミングで、鏡台の上に置きっぱなしにしていたスマートフォンが小さく震えた。


 あ


 文字が打ち込まれている。


 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 ──オエにぽれんしぽ絵ヴェ卯んおジェネヴェんさ;んヴィネイヴォン悪おヴンんインヴェ王べウイ夢ェイんベオ鵺んヴェイ年ジェおジェ芸じゃうんうお隅おえう絵おうヴェン新ヴェ鎖エピ腐め毛めお祈めおモアめオペ──


 延々と続く意味不明な文字の羅列。二回目ともなるとそれほど驚かない。


「夜明さん」


『へ』

『び』


「蛇?」


『禍の蛇が』

『この浜に』


「ちょっ……と待ってください。俺はここに、風松神社の本社があると思って来たんすけど……」


 液晶画面に文字が踊る。


『蛇』

『蛇の神社は、我々の故郷であり、呪いの生まれた場所でもある』

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