揺蕩う木偶と疾る犬
大塚
第1話 風松楓子という女
風松楓子は、事件が起きる以前からちょっとした有名人だった。
彼女は、人形愛好家だった。
一般的な──たとえば夫婦ふたりに子どもが三人の五人家族が子どもが成人しても余裕を持って暮らしていけそうな広い邸宅にひとりで住み、家中には風松楓子の『家族』である人形たちが座ったり、立ったり、とにかく様々なポーズで佇んでいた。風松楓子は存外社交的な性格で、『人形屋敷』として有名な邸宅を取材したいというテレビ局の依頼にも快く応じ、彼女の『人形屋敷』は繰り返しドラマや映画の舞台にもなった。さすがに興味本位で「人形が見たい」と突然訪ねてくる一般人のことは断っていたようだが、礼を尽くして「ぜひに」と頼み込む者、或いは自分と同じ人形愛好家を家に上げることは頻繁にあったらしい。
その屋敷が、燃えた。
家主である風松楓子はリビングで焼死体として発見された。
家中に飾られていた人形たち──ビスクドールから日本人形、それに最近流行りのキャストドールや所謂ブラインドドール、更にはソフビ製のフィギュアや、クレーンゲームの景品であるぬいぐるみなど種類はどこまでも多種多様だった──も粗方燃えてしまった。無事だったのは風松楓子が殊更偏愛していた一部の人形たちだけで、それらの人形たちは皆彼女の寝室に置かれた耐火金庫の中に鎮座していた。
「でも、風松楓子は非喫煙者だったんすよね」
「あ〜。人形屋敷が燃えたっていうアレ? 半年ぐらい前の事件じゃなかったっけ。真夏だったよね」
非喫煙者、という響きに背を押された様子で紙巻き煙草を取り出しながら、ヒサシは眉根をぎゅっと寄せて見せる。
「亡くなった人……風松さんだっけ? 俺もテレビとかで見たことあるけど。気の毒だとは思うけど」
「感じのいい人だったっすからね」
「あ? 響野くん会ったことあるんだ?」
「なんか……なんだっけ。ちょっと前に古いビスクドールをいっぱい集めた展示会の協賛をしたことがあるんすよね、俺の勤務先が。その時に販売する目録に風松さんのインタビューを載せるってことになって、俺が派遣されたんすけど、人形屋敷に」
「じゃあ入ったこともあるんだ! すげーな。どう? どんな感じ?」
「どんな? うーん……強いて言うなら、普通、すね」
ヒサシの煙草に火を点けてやり、自分はぬるくなったコーヒーを口に含んでから響野は応じた。
そう、普通、だった。
『人形屋敷』という響きのどことなくおどろおどろしい雰囲気とは正反対の、明るいお屋敷。邸宅を建てたのは風松ではないらしく、「日当たりが良すぎるのも考えものだわ」と響野のために紅茶を淹れながら風松は微笑んでいた。
「日当たり良いとダメなの?」
「人形の種類によっては光のせいで肌の色が白から黄色に変色しちゃうことがあるらしくて」
「へえ。よくわかんないな」
「俺も。でも、風松さんが家中に置いてある全部の人形を大事にしてるってことは、インタビューしてるあいだになんとなく分かったし……」
ビスクドール展の目録ということで、風松は自身が特に可愛がっているという古い人形たちを何人も紹介してくれた──そう、紹介。まるで生きて呼吸をしている家族を紹介するかのように人形の出身地を、製作者を、手に入れた(彼女は「お迎えした」という言い方をした)際の名前を、そして今はどういう名前で呼んでいるのかを──教えてくれた。写真も撮らせてくれたし、なぜだか響野と風松お気に入りのビスクドールのツーショットまで撮影してくれた。その時のデータは、今も響野の手元に残っている。
「煙草の匂いはしなかったし、本人も吸わないって言ってたし……」
「インタビューの時にそんなことまで聞いたんだ。仲良しじゃん」
「喋りやすい人だったんすよね〜。なんつうか、ほら、ドラマとかの舞台にもなってたじゃないすか? 刑事ドラマが多かった気がするんだけど」
「見た見た。大抵連続殺人の舞台になってたよね」
「そう。でも自分の大事な人形たちが暮らす家を『殺人事件の事件現場』にされることを嫌がらない……逆にちょっと面白がってるまである、そういう感じの人で……」
「そんで?」
燃え尽きた煙草を灰皿に押し込みながら、ヒサシは長い首を折り曲げるようにして響野の顔を覗き込む。
「半年も経って突然風松さんの思い出話がしたいわけじゃないっしょ? 本題は?」
「これっす」
レザージャケットのふところに手を突っ込んだ響野は、金属製の名刺入れを取り出す。その中から、更に一枚の紙切れを。
『風松
「風松楓子さんの甥に当たる人物です」
「ふん?」
名刺を手に取り矯めつ眇めつしながらヒサシは気のない様子で鼻を鳴らす。
「『人形屋敷』の女主人の甥? 推理小説じゃないんだから」
「俺もそう思ったっすけどね。これたぶん、ミステリじゃなくてホラーっすよ」
「と言うと」
ヒサシの手から名刺を取り戻した響野が、風松眞一の肩書きを長い人差し指でタンタンと叩く。
「不動産会社の常務さん」
「あ〜? 土地転がし?」
「お口が悪い! 風松さん……楓子さんには配偶者はおらず、両親も既に亡くなっています。現在生存が確認できるのは妹の
「ちょい待ち、人数が急に増えてきたぞ。メモ取るメモ」
マスター、なんでもいいから紙ください! と手を上げるヒサシの手の中に、カウンターの中から『純喫茶カズイ』と店名が入ったメモとボールペンが渡される。
「じゃ言います。メモってくださいね」
「あいよ」
・風松
・風松
・風松
※眞一には妻子あり
・風松
・
・
響野の吐き出す情報をメモ用紙に書き取ったヒサシは再び大きく首を傾げ、
「思ったより多いな。天涯孤独みたいな雰囲気だったから、ちょっと意外」
「楓子さん自身も社交的な性格だったから、まあ、なんかいい仲の男性はいたっぽいんすけど」
「でも結婚なんてダルいことはしないで人形屋敷で楽しく暮らしてたってか。俺結構そういう人好きかもだ〜」
「本当にお口が悪い……まあでも、実際そうなんです。で、この、眞一さん」
「土地転がしマン」
「から、俺になぜか直接連絡がありまして」
「ほう?」
しぱしぱと目を瞬かせるヒサシに向けて、響野は大きく左手を広げる。
「火事が起きて、楓子さんが亡くなったのは半年前」
「うむ」
手のひらの真ん中に人差し指を当てて、ヒサシは頷く。これで指の数は六。六ヶ月。半年前。
「楓子さんの人形屋敷は立地的にも良い場所にあったし、燃え残ったおうちをとっとと壊して土地を転がしちまえばそれなりにいいお金になる──って思わないっすか?」
「思うねえ。俺だったら葬式が終わったらすぐ壊して売るね」
「それがね、できないって言うんですよ」
「……あ?」
ヒサシの釘ばった文字で書かれた風松家の──風松楓子の関係者たちの名前。それを顎で示した響野は、僅かに口の端を上げて笑う。
「楓子さんの妹、三姉妹の末っ子の、風松
「えーっと。楓子さんの孫ポジションの時藤
「彼女が、人形に取り憑かれてるっていうんですよ。……これ、ヒサシくんの得意分野じゃないです?」
「……ええ〜」
短い沈黙の後声を上げたヒサシは、心底面倒臭そうな顔をしていた。
「なんか、なんかぁ……ヨコミゾっぽくない? 血族間の争い、俺苦手なんだけど?」
「まあまあまあ。ちょっと一緒に行きましょうよ──風松楓子さんのお屋敷があった場所に」
そういうことになった。
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揺蕩う木偶と疾る犬 大塚 @bnnnnnz
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