欠落のレッドアイ

木村文彦

第1話

「それじゃあ、また」

 トレンチコートを着た女は一度、スーツが似合う男を見つめている。

男は逡巡を体現するかのようにして、物憂げに視線を宙に持ち上げ、ゆっくりと立ち止まっていた。

どこか神秘的な雰囲気が、二人にはある。

 女は人生を見つめ直したかのように心持ち、背筋を伸ばしたかと思うと、今度は視線を正面に戻し、今、まさに現場から立ち去ろうと、右足を地面から少し浮かせている。

 小さな顔が、正面を向く。

 依頼内容にもあった通り、たしかに女の目は不自然なくらいに、赤かった。


――ターゲット名は、レッドアイ


 長髪を優しく撫でるように、レッドアイは細く白い手を何度か髪の方へと伸ばし、その奥にあるはずの耳たぶに、何度か手で触れている。

稲賀いながは、全員の動きを隈なく観察していた。隣では畑中聡はたなかさとしも、男女に見とれているようだ。完全に、脚が止まっている。


 畑中聡は体格がよく、身長も高い。

ボサボサの長髪で手入れがされておらず、無造作なヘアスタイルだ。近くに母親がいれば、開口一番、「髪を切りに行きなさい」と叱咤されること間違いなしのボリューム感だ。

ただ畑中聡の肌つやは女性が羨望の眼差しを向ける程にはツルツルとしており、顔は、整っている。

だがやはり畑中聡は、全身を追うに限る。その巨大な図体は、目印として最適だった。


 たった今、稲賀と畑中聡は、レッドアイの尾行中だ。

それにしても、人が多い。

視線を一度でも切ると、すぐに対象者を見失ってしまいそうだった。

 スーツの男は、やけに早足であり、レッドアイも、歩く速度を徐々に上げている。あっという間に、現場から離れていく。

今度は、稲賀とスーツ男の距離が、ぐっと縮まる。


 男女の別れ際をじっと眺めていた畑中聡だったが、何かを思い出したかのようにして鈍重な姿勢を解いていた。

長い足からスライド移動を繰り出し、畑中聡は前方へ、ずん、と動き出す。

 風が、空気中に漂っている熱気を巻き上げている。汗が、嫌でも、全身から噴き出す。

うだるような暑さだ。

畑中聡の男性にしては長い髪が熱風に乗せられ、心地よく揺れていた。

稲賀は人混みに視線を向け、憤る。畑中聡も口が少し開いた所で、完全に動きが止まっている。視線がふらふらと辺りを、彷徨い始めた。


 男も女も、完全に消失していた。

数分前まで、喫茶店で優雅に紅茶を啜っていた二人を観察していたはずだった。それだけに、完全に油断していた。迂闊だった、と後悔するが、後の祭りだ。

 今、道のど真ん中には、存在感を放った老人がいる。

老人の持つ空き缶で膨らんだゴミ袋が、ビジネス街の中で、ぽんと浮いている。


 街中は、群衆は、稲賀や畑中聡を避けるようにして、日常を刻み続けていた。

前方に視線を定め、二人は街中を何度も、何度も捜索する。レッドアイにどこか懐かしさと寂しさを覚え、稲賀は、ふっと軽い息を吐いた。

畑中聡は何度かポケットに手を突っ込んでいた。最後に、稲賀を見る。落ち着きのない行動を、繰り返している。

「失敗ですね、これだからリアル脱出ゲームは楽しいです」

「これ、リアル脱出ゲームじゃなくて、最早、探偵の尾行みたいだけど」

「楽しければいいんです」

「そうですか」

「そうですね」

 また風が、吹いた。

湿度が高く、ロウリュウみたいだ、と稲賀は、思う。


だが当然、夏の熱風にリフレッシュ効果などなく、体内には不快感が蓄積されるばかりだ。無意識に、二人の足は止まっている。

 隣では、畑中聡が頭頂部から湯気のような汗を放出しつつ、肩を落としていた。

稲賀は今置かれている状況に、ひとまず嘆くしかない。

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