二人だけの作戦 ①

「エストン将軍。提案に乗っていただきありがとうございました」


 カリナは、丁寧な口調で礼を述べた。王城内の広い通路には、二人の足音だけが響き渡る。彼女の落ち着いた声に、将軍は一瞬だけ微笑みを浮かべる。


「危険性は一つでも潰すことに越したことはありませんから。それに、第三者を用意するよりは少し老骨でございますが、最低限分かり合っている人間の方がよろしいでしょう」


「えぇ、そうですね。初めての人ですと、それこそ関係構築から始めることとなりかねません。戦場でそんな時間はない以上、省けるのはかなりでかいです」


「おっしゃる通りです。それに……今回の奴隷交渉は、相当な証拠材料になりえるものです。戦後交渉を最低限こなしましたが、この情報を公にすると脅すことで相手から更に金銭要求をする方法へ移行できるやもしれませんな」


 エストンの冷静な声が通路に響いた。軍人らしい合理的かつ、俯瞰的な考え方。12ほどでしかないカリナにとっては、非常に勉強となり、大人びているようにも感じられた。

 一方で、彼女は幼いながらに引っかかる点もある。


「証拠材料って……その、言い方を変えてくれませんか?」


 カリナは眉を少し寄せながら将軍に向き直った。その瞳には、軽い困惑とわずかな怒りが宿っている。将軍は一瞬だけ気まずそうに視線を逸らし、わずかに言葉を和らげた。


「必要な情報を持つ重要な人物、というべきだったか。失礼しました」


 彼の訂正に、カリナは少し肩の力を抜き、ため息をつく。


「そうですね……人をただの材料として扱う言い方は、好きじゃありませんから」


 カリナの口調は穏やかだが、芯のある声だった。彼女の姿勢に、エストンは小さく頷く。

 戦争の最中、敵も仲間も等しく命を散らしていく様を目の当たりにした。戦場の無慈悲さと、後方で冷徹な決定を下す重役たちの会議。記憶に、鮮明に焼き付いている――仲間たちは、ただ自分の信じた正義や目的を果たすために、迷いなく命を捧げていった。


 ただ何もわからずに、無残に命を散らした仲間。

 そして、自分を守るためだけに命を散らしていった、初めての友。


 そんな彼らを侮蔑するような言葉と行為は、絶対に許せない。

 

「……カリナ様、一つ忠告してもよろしいでしょうか?」


 カリナが相槌で返すと、エストンは口をひらく。


「あなたは、ご自分の格についてしっかりとご理解なさった方がよろしいですよ」

「どういうことですか?」

「それは、ご自分が一番お分かりでしょう。今のあなたが王位を継いだところで……民衆が快く納得するとは思えません。何せ彼らは……アルドリック様の、『逸話』をご存じですから」


 父親の話をされて、少しだけ顔を曇らせる。父は苦手な存在だ。

 常に祝福がないことを嘆かれ、比較されたのだから仕方ないといえるかもしれない。


「相応の立ち位置を手にするものは、人の目を惹ける経歴を持つ。戦場で活躍した、難関試験で合格した、仕事で輝かしい経歴を残した……ざっと例を並べてもこれだけあります」


「そして、経歴というのは輝かしい箔となる一方で、足枷となることもあるのです。そして足枷は失態を犯した人間に未来永劫つきまといます。そのことを、重々ご理解くださいませ」


「……わかりました。ありがとうございます、エストン将軍」


 カリナは感謝の言葉を口にしながら、深く頷いた。輝かしい経歴も、あるいは失敗の烙印も、人の目には永久に刻み込まれる。そして、その評価が覆ることは滅多にない。


 カリナは幼い頃から、自分が「アルドリック王の娘」という肩書きに縛られていると感じていた。祝福を持たない彼女は、何をしてもその事実を引き合いに出され、比較され、否定されてきた。


(失態が未来永劫つきまとうのなら、最初から失態を犯さなければいいだけの話だ)


 カリナは自らに言い聞かせるように、手を握りしめる。

 エストンは彼女の様子を見て、薄く微笑んだ。


「最後に、付け加えます。人間、失態を犯さないことなど不可能です。それこそ完璧な神様でもない限り……だからこそ失態を犯した後にどう立ち直るか。それが未来を左右するのです」


 その言葉に、カリナは目を見開いた。


「……挽回する、ですか」


「はい。失敗を恐れるのではなく、その後にどう立ち向かうかを考えるべきです。それこそが、リーダーとしての器を示す最も重要な要素なのですから」


 失敗を恐れて縮こまるのではなく、挫折を糧にして前へ進む。

 たとえどんな未来が待ち構えていようとも、歩み続けるしかない。

 それこそが、いずれ王となる人間が持つべき資質なのだから。


 再度お礼を伝えたカリナは力強く微笑み、前を向いて歩き出す。

 エストンもその背を追いかけるように歩を進めた。

 その後、王城を抜け、近衛憲兵や近衛騎士が用いる兵営へと向かう。そこから武器を少しばかり拝借し、外へと出る。


「カリナ様。その白銀剣は子供用ではありませんよ? 良いのですか?」

「大丈夫です。これでも、鍛えていますから」


 カリナは誰もいない場所を確認してから、剣を振るう。

 風を切る音すら鳴らさない、静かできれいな剣筋。思わず見とれるような美としての姿に将軍は感嘆の声をもらす。


「驚きましたな。戦場で鍛え上げた剣が、よもやここまで成長されるとは」

「よしてください、エストン将軍。まだまだです」

「……そして、向上心も凄まじいですな」


 突然行われるほめ殺しに彼女は頬を赤らめながら剣をしまう。リップサービスなのか、それとも本心で言っているのか分からないが、それでも12歳の子供なりにうれしいようだ。


「エストン将軍は、以前確認した軍事記録とは異なる、一般武器を背負っていますね。何故ですか?」


「今回のような、奴隷捕縛の戦いであれば速度性が求められます。それ故に、普段使いしている大剣を持ち込むのはないだろうと考えたためですな」


「なるほど……理解しました」


「さて……武器の選定も終わったところですし、一旦解散しましょう。女子の着替えを見る様な下賤な趣味はございませんからな。では、またあとで会いましょう」


 エストンは巨体を軽やかに動かしながら、その場を去っていった。

 カリナは太陽が下っている空を少し眺めてから、足早に自室へ戻る。

 そして、地味な色合いを基調とした、動きやすさ重視の服装に着替え、戻っていった。


「お早いご到着ですな。もう、馬は用意いたしましたぞ」


 鎧や剣を纏ったエストンの横には、手綱を握られた馬が二頭止まっている。戦場に慣れているような様子の馬の片方を選んだ後、それに跨る。


「夜明けまでに森の入り口へ到着しましょう。光源となりえる道具も持っておりますが、危険な状況になることも十二分にあり得ますので」


「承知しました」


 カリナは将軍の言葉を受け止めつつ、森の奥深くに潜む危険を想像した。背筋にわずかな寒気が走るが、それが自分の覚悟を試す機会だとも思った。


 日が刻々と降る中、彼らはブレス王国を抜ける。

 馬を一陣の矢の如き速さで走らせると、戦場――オーリスの森に到着した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る