逃げてしまおう
コウモリダコ
逃げてしまおう
「最悪だ……」
私の目前には、長く続く下りの階段道。その一番下にはサークルの先輩。そして隣には、
「最悪なことが起きちゃったねぇ」
そう言って私の顔を覗き込む知らない女性がいた。
きっかけは、先輩からの誘いを断ったこと。
「ハク、いや、一宮ハクさん! 俺と付き合ってください!」
声は上ずり、頭を下げた先輩の体はわずかに震えて見える。しかし、私は先輩のことを男性として意識したことがない。ただのよくしてくれる面倒見のいい先輩としてしか見れなかった。好きでもないのに付き合うのは先輩に悪い。
「ごめんなさい。先輩のことは、先輩としてしか見ていなかったんです」
その返事がいけなかったのだろう。先輩はひどくうろたえ頭を押さえながらぶつぶつと何かを呟いていた。
「それだったら、今からでも、異性として見てもらえば……!」
そんなことを言っただろうか。彼は私に詰め寄り、無理矢理唇を奪った。寒気が背中を伝い、反射的に先輩を突き飛ばす。その方向が、よくなかったのだ。火事場の馬鹿力というべきか、階段の方向へ突き飛ばされた先輩は、何メートルも下の歩道まで転がり落ちていく。何度も何度も、頭を、体を打ち付けながら。
あたりが静まり返った頃、先輩の様子を確認するべく階段を降りようとした私に話しかけたのが、今まさに隣にいる女性だった。
「派手にやったなぁ。逃げるか自首するしかないでしょ」
お父さん、お母さん、私はもうダメそうです。階段の下に転がり落ちた先輩を見ながら、私は隠滅か自首かの二択を迫られていた。隣に立つ謎の女性によって。
「君、このままじゃ確実に殺人犯だよね。どうするの」
「どうするって……」
彼女はなれなれしい手つきで私の肩を抱き、振りほどいて逃げることも許されない。そもそも振りほどいた拍子に、先程の先輩のように階段下に転がり落ちてしまってはという恐怖で動くこともできない。
先輩はうつぶせに倒れ、頭から血を流しているように見えた。この階段道は段差が急なうえに長い。ピクリとも動かない彼を見て、反射的に死んでいると感じた。
理性的に考えれば、おとなしく自首をした方がいいに決まっている。そのぐらいは私もわかっている。わかってはいるのだが、このまま逃げてしまえば先輩一人の不注意で済むのではないかと考えてしまう。
「逃げたらいいのに。そうしたらこの人は不注意で落ちたことになってくれる。君の将来に影が落ちることもない」
悪魔のささやきだ。絶対に耳を傾けてはいけない。正直でありなさいと母親にも言われていた。何を迷うことがある。そんな理性を無視するかのように、私の足はその場からの逃走を図ろうとしていた。じゃり、と靴底の擦れる音。彼女の方を見れば気づいたかのように私に笑いかける。
「決まりだね。近くに私の車があるから乗ってよ」
肩を抱いていた手を離し、彼女は路地裏を通って近くの駐車場へと向かう。そういえばここは駐車場が近かった。今なら逃げれるかもしれないと反対方向に行こうとすれば、彼女から呼び止められる。逃げることはできない、と言われているようだった。
諦めて駐車場へ行けば、彼女は煙草を吸いながら車に乗り込むところ。銘柄まではよく見えなかったが、車の中からもむせかえるような煙草のにおいがする。実際少しせき込んだ。
「消臭剤切れちゃってるか。ごめんね」
「いや、そんなことは些末な問題なんですけれど」
問題は、なぜ彼女が車内でも普通に煙草を吸っているのかということなのだが、喫煙者の気持ちは非喫煙者にはわからないものだろう。そして最大の疑問が残っていた。
「貴女、誰なんですか」
「亜笠ナツメ」
「そうじゃなくって」
あれぇ、と首をひねるナツメに、私はため息をつくことすらできなかった。彼女と私の間の接点がなにひとつわからない。だから彼女が私を見逃す義理もない。それなのに、目の前にいる彼女は私に自首を勧めるどころか逃げることを提案し、実際車にまで乗せている。
はっきり言ってしまえば、不気味だ。このまま警察署まで連れていかれるのではないかとも思ったが、ナツメはそんな私に目もくれずカーナビとケータイを交互に見ている。カーナビの方を覗き込めば、近くのカラオケ店を探している真っ最中。
「あの」
「うん、どした? もしかしてカラオケじゃない方がいいとか」
「そうじゃなくて、今そんなことしている場合ですかね……」
「お腹空かない?」
ずれた回答しか返ってこない。痛む胃を押さえながら、そういえば夕食をとっていないことを思い出した。食欲は、はっきり言ってない。人を殺した直後にご飯が食べられるほど私は図太い神経をしていない。
「カラオケでいいよね。私最近行けてないし」
なんて自分勝手な。彼女の鼻歌をBGMに、車はどんどんカラオケ店の方へ走っていく。気になって階段道のある方向を見れば、いつもより人が集まっていて冷や汗が流れた。
「階段道、野次馬どもが、夢の跡」
「変な短歌作らないでください」
そもそも今現在集まっているので夢の跡ではない。なんてツッコミを入れられるわけもなく、車は大通りに出て私も行きつけのカラオケ店へ向かう。あともう少しでつくのではなかろうか。
カラオケをしている場合ではないことぐらいわかっている。私は早く警察に自首して、自分の罪を軽くしないといけない。それなのに、彼女と車に乗っているうちに、自首が愚かな選択のように思えてくる。
ついてからはあっという間だった。てきぱきと受付を済ませて、飲み物を取り、指定のカラオケルームに入る。その間ナツメは飲み物は何が好きかやら、カラオケのおつまみと言ったら唐揚げに決まっているやら、どうでもいいことを演説していた。はぁ、とか、うん、とかしか返せていなかったと思う。
「本当にカラオケに来ちゃいましたね」
「いいじゃん、どうせ何も言わなければ事故で片付けられるでしょ」
私の不安を見抜いたかのようにナツメは笑う。何も言わなければ事故、確かにその通りだ。ばれない犯罪はないものと同じとも言いたいのか。
「それに、あんな屑は死んで正解だよ。君がせっかく優しく断ったのに、チャンスがあるだなんて勘違いするから」
当然の報いだ。そんなことを言いながらナツメは持ってきた紅茶を飲む。見られていた。しかも結構初めから。彼女の方が見れなくなり、カラオケのスクリーンに視線を移す。流行りのポップスがひどく耳障りだった。
「ねえ、どうして心を痛めるの?」
言っていることが理解できず、呆然と彼女に顔を向けることしかできなかった。彼女の矯正な顔が徐々に近づいてくる。
「ち、近いです」
「いいじゃん近くても。どうして」
「どうしてって、そりゃあ、人を殺したから……」
「殺さないと自分が痛い目に遭っていたのに」
矢継ぎ早に質問され、無難な返事で切り返しながら後ろへ逃げていたら、ついに壁へ背中がぶつかった。目の前には満足げな彼女。にんまりと口角を上げ、ただでさえ細めの目を三日月形に歪めている。
「大丈夫だよ。私が口外しない限り、君は無罪だ。誰にも真実はわからない」
悪魔だ。私の一番の不安を取り除くことと引き換えに、私の自由を奪う悪魔だ。
「どうして、助けたりなんかしたんですか」
今度はナツメが驚く番だった。目を見開き、かと思えばうんうんとうなりだす。私の隣に座り直し、彼女は紅茶を一気に飲み干した。
「ハクちゃんを警察なんかに渡したくなかったんだもん」
「大の大人がもんなんて使わないでくださ……、今なんて言いました?」
「警察なんかに渡したくなかった」
「その前」
「ハクちゃん」
やはりだ! 聞き間違いなんかではなかった! 彼女は私の名前を知っている。先輩の会話からか? いいや、そこまではっきりと名前を呼ばれてはいなかったはずだ。それならばどうして。
「ハクちゃんさぁ、無防備すぎるよ。自分の荷物から目を離したら、すぐに学生証なんて盗られちゃうよ?」
ナツメが持っていたのは、他でもない私の学生証だ。顔写真や生年月日、もちろん一宮ハクという私の名前も書かれている。
「返してください」
「返してほしかったら私とカラオケで一夜を過ごせっ」
ナツメは大声でそんなことを命令する。いよいよ厄介なことになった。キンキンと痛む頭を押さえながら学生証を取り戻そうとするも、のらりくらりとさけられてしまう。そのうちに体力がなくなり、私の方がソファにもたれる結果になった。わはは、と大笑いしながら彼女は私の学生証を自らのズボンのポケットに入れ、曲を入れはじめる。聞いたことのない曲だった。
聞き慣れない電子音の前奏が始まり、思ったより上手な彼女の歌声を聴きながら、そういえば先輩の遺体はどうなったのだろうと思いを馳せる。
あの人だかりだ、警察にはとっくに見つかっているだろう。失礼を承知してスマホで検索すれば、情報はまだ出ていなかった。どのサイトを見ても、ニュースは見つからない。
「ねえ」
曲が間奏に入っており、ふてくされたようにナツメが振り向く。
「あ、すみません」
「いつまであれを引きずってるのさ。今、目の前にいるのは私でしょ」
謝るものの、面倒な彼女みたいだなという感想が素直に浮かんだ。しかもたちの悪いタイプの。
「絶対失礼なこと思ってる」
「失礼なこと思っていますからね」
最後のサビに入ったことを指摘すれば、ナツメは何事もなかったかのように歌い始める。今度は私の肩ではなく首に腕を回して。正直苦しい。おそらく意識的に胸元へ引き寄せられている。
ふと、煙草の匂いにまじり、覚えのある匂いがした。バレないように何度も嗅いでみるも、タバコの匂いにかき消されてしまう。
「ハクちゃん、もしかして匂いフェチ?」
素早く否定した。ナツメは私の顔を上から覗き込み、やっと私を見てくれた、と顔をほころばせる。音楽は終わり、今度は流行りのアイドルソングが流れ出した。
「柔軟剤、何使っています」
ナツメは少し考える素振りをし、私の使っているものと同じメーカー、同じ香りの柔軟剤の名前を出した。ものすごい偶然もあるものだ、あまり有名ではない柔軟剤を使っているはずなのだが。
「同じですね」
「ハクちゃんと同じ香りに包まれるって、なんだかドキドキしない?」
「しません」
「せっかく変えたのにぃ」
えー、だの言って笑いながら、ナツメは私の背中を叩く。正直に言って痛い。この女、案外力が強かった。デカ女め。
その時、カラオケルームの扉が開く。山積みの唐揚げを持った店員が入ってきて、私たちの目の前にそれを置いて出ていった。はて、これをいつ頼んだのだろうか。
「やっと届いた。待ちくたびれたよお」
しめしめといった様子でナツメは手をすり合わせる。唐揚げには丁寧にレタスとレモンもついており、かけていいよねの一言もなく彼女はレモンをかけはじめた。
「普通聞きますよね」
「だって、ハクちゃん食欲なさそうじゃん」
「でも、その大量の唐揚げを誰が食べきるん……、聞いてないし」
美味しそうに唐揚げを頬張る彼女を見ていたら怒る気にもなれず、すっかり水っぽくなったオレンジジュースを飲み干した。飲み始めたときの酸味はどこかへ消え去っており、むしろ飲みやすくなっている。
スマホの時計を確認すれば、午前二時を回っていた。先輩の遺体の検死などはもうはじまっているだろうか。服に指紋が残っていたら、真っ先に疑われるのは私だろう。だとすれば、今から自首をしても遅くはないのでは……。
「どこ行こうとしてるの」
背筋が凍った。たった十文字の一言がこれほどまで気味悪く感じることはなかった。隣を見れば、彼女は私の手首を握っている。長い髪のせいで表情は見えにくいが、睨みつけているであろうことは想像に難くない。
「どこ行くの、ねえ。私のそばを離れてどこ行くのって聞いてんの」
ゆらりとこちらを向くナツメ。瞳孔は開ききっており、彼女の中の地雷を踏んでしまったと気づくまで時間はかからなかった。
「飲み物、取りに行こうと」
「……、そっか。なくなってたもんね」
後で一緒に取りに行こうと言う彼女を見ながら、思わず安堵のため息を漏らした。どうして考えていたことが分かったとか、なぜそこまで私がそばにいることに固執するのかとか、聞きたいことは山ほどある。しかし、先ほどと同じ轍は踏みたくない。
「あの、ナツメさん」
「うそっ、ハクちゃんが初めて名前を呼んでくれたっ」
どうしてこの人は、私のやることに一喜一憂するのだろう。頬を染めながら、どうしよう、と繰り返している彼女を見ていると、思い出したのは数年前のこと。私がまだ、コンビニでレジ打ちのバイトをしていたころだ。
その日の客はまばらで、来るとすればパチンコ帰りのおじさんや老夫婦といったところ。常連客しか来ない中、その人は訪れた。ぼさぼさの長髪に、女子にしては高い身長。細い目を眠そうにしばたかせている。
彼女はまっすぐレジに向かっては、煙草だけを大量に注文した。同じ銘柄ではなく、バラバラの銘柄を。タバコを吸う人は同じ銘柄を吸うはずなのに。
「同じものでなくてよろしいでしょうか」
「いいよ、今日でどうせ最後だし」
本能的にわかった。彼女は自殺を試みようとしているのだ。かくいう私は昔、好奇心から煙草を水に溶かしたことがあった。以来「煙草は食べてはいけない。水に溶かすだなんて言語道断だ」と耳にタコができるぐらい言われている。母親の過保護がここで役に立つとは。
店員に許可を取り、彼女をバックヤードへ連れ出す。そして困惑している彼女の背中をさすりながら「話だけなら聞けますよ」と彼女に告げる。すると彼女は急に嗚咽を漏らし、少しづつではあったが話してくれた。
バイトを立て続けにクビになり、生活が立ち行かなくなったこと。それで大学を中退したこと。親とそりが合わず、頼りたくないこと。死ぬなら大好きな煙草で死にたかったこと。
戻ってきた店長に驚かれながら、彼女は徐々に泣き止んでいった。日が傾くころには少しマシになった表情で、「今日のところは勘弁してやる」と微笑んでコンビニから出ていく。振り向くことはしなかったが、店先で見送った私に手を振ってくれた。
もし、もしも、目の前のナツメがあの時の彼女だとすれば。
「私の前のバイト、当ててみてください」
「いきなりクイズー? 知ってるよ、コンビニでしょ」
「当たりです。ナツメさん、私のバイト先に来てたでしょう?」
ナツメは、先ほどまでとは別人のように動きを止める。しばらく頭をかいて何やら呟いていたが、ため息をついて向き直った。
「そうだよ。あの時たくさんの煙草を買おうとしたのは私。ハクちゃんはね、私の恩人なんだよ」
やはりそうか。少し飛躍しすぎかもしれないが辻褄は合う。助けられたあの日から、何者かにあとをつけられている気はしていた。もしそれが彼女だとしたら。先ほど気づいた柔軟剤も、彼女があえて合わせているとしたら。
「柔軟剤、わざと合わせたでしょう」
鎌をかけてみる。これでかかってくれたらいいが。
「うん。ハクちゃんと同じ匂いになりたくって買ったの。買い物についていったらすぐわかった」
「買い物についていったら?」
「あの時から、なんとかお礼を言おうと思って。家を探して、学校を探して。でもハクちゃんを目にしたら何も言えなくなって。だから、ずっと後をつけるだけになっちゃった」
吹っ切れたような声色で彼女が呟く。実質ストーカー行為の暴露だ。私の高校時代からストーカーを続けた彼女は、私の大学進学をきっかけにここに越してきたという。だから今日も、サークル活動をしている私のあとをつけて、あの現場に遭遇した。
「助けたかったの」
彼女が呟く。長いまつげを伏せて、ほとんどため息混じりに。
「恩返しがしたかった。あんなことでハクちゃんが捕まるなんて耐えられなかったから。私を助けてくれたハクちゃんが、あんなに優しいハクちゃんが、あんな屑のせいで人生台無しになるなんて、見たくなかったの」
何も言わなかった。代わりに彼女の背を撫でる。あの時のように。彼女の背中が、小さく寂しそうに見えたから。
「途中からわかってた。早く自首しちゃった方が罪は軽く済むって。でも引き返したくなかった」
「それは、どうして」
「ハクちゃんが目の前で困ってて、私を頼ってくれるかもしれなくって。抑えきれなかったの」
ナツメは顔を覆い、子供のようにわんわんと泣き出した。彼女の言っていることに共感はできない。しかし、理解することはできてしまった。友達が罪を犯したとき、きっと私も自首を勧めることなんてできないから。
彼女は、泣きながらずっと私に謝っている。ハクちゃんごめんなさい。逃げようなんて言ってごめんなさい。ちゃんと助けてあげられなくてごめんなさい。離してあげられなくてごめんなさい。ハクちゃん、ごめんなさい。ごめんなさい。
いたたまれなくなって握ろうとした手を、ぱしりと払いのけられる。呆気にとられている私に、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で彼女はまた謝った。
「ごめんね。でも、これ以上優しくされたら、私はもうハクちゃんを手放せなくなる。もう二度と、私から逃がせなくなる」
言葉が出てこなくなった。ストーカーって、ここまで優しいものなんだったっけ。事件になるようなものしか知らないため、よくわからない。彼女が優しいだけかもしれない。
謝りたいのは、私の方だというのに。中途半端な善意で人を助けた挙句、その後のフォローもできずにここまできてしまった。その結果がこれだ。あの時彼女を助けなければ、今頃私に巻き込まれることなどなかったのに。自殺なんて、ほとんど失敗するというのに。中途半端に助けようとしてしまったから。
「行きましょう、警察」
「私のことも、通報してくれる? 今なら誘拐罪で捕まえられるよ」
「する訳ないじゃないですか」
ため息をつきながら、不思議そうに目をぱちくりさせているナツメに向き直る。
「互いの無実を作りに行くんですよ」
はじめは意味が分からなさそうに首をひねっていた彼女だったが、少しづつ理解してきたのか嬉しそうにまた唐揚げに手を伸ばす。すっかり冷え切ったそれを、私も一つだけつまんだ。レモンをかけるのも悪くないかもしれない。
その後はなんだかんだ楽しかった。曲の好みなんて合わなかったが歌って騒いで、疲れたところで車に戻り、警察への虚偽の供述を考える。内容はこう。
もともとナツメと私は知り合いで、久しぶりに予定が合ったから階段道で待ち合わせることにしていた。サークルの先輩に誘われた階段道とたまたま同じ場所で。しかし待ち合わせ場所に来たナツメが見たものは、告白を断られて逆上した先輩と取っ組み合いになっている私。止められないうちに、私は先輩を突き落としてしまった。というものだ。
「嘘は言ってませんからね」
「私たちが知り合いなのも、まあ合ってるからね」
「コンビニで会ってましたもんね」
ナツメは笑いながら警察署まで車を走らせた。私も、笑うまではいかなかったものの幾分か気分は穏やかだった。もしもばれたらどうしようとは思う。けれども、刑期がつこうが私には待ってくれる友達がいると思えば、そこまで悪い気はしない。
ふと気になって、階段道を通りに行く。そこにいたのは数人の警察と、頭に包帯を巻きながら供述をしている先輩がいた。
「まずいですよナツメさん」
「こりゃあ……、早めに行った方がいいね。嘘の供述をされたら困る」
急いで車を降り、私たちは警察のもとに走っていく。驚いたのは警察もそうだが、何より先輩が一番驚いていた。焦りだす先輩は、私たちに事情を聴こうとする警察を止める。やることは一つだ。
「先輩、ごめんなさい! いきなり抵抗して、先輩を突き落としたりなんかして」
どういうことだと顔を見合わせる警察に、ナツメは事情を話し始める。どうやら彼女、一度自殺未遂をした時に警察にお世話になったらしく、その時の刑事が現場に来ていたそうだ。
先輩は、バツが悪そうに階段に座っている。やはり嘘をついていたようだ。一度通ってよかった。このままでは私ばかりが悪者になって終わるところだった。
その後、その場でいろいろな事情を聞かれた。私も警察に叱られる羽目になった。現場から逃げてはいけないこと。まずは救急車を呼ぶこと。そして、友人にちゃんと感謝すること。最後の辺りは泣いてしまったように思う。私と先輩は互いに不起訴処分に終わり、警察は署へと戻っていった。
「お前……、本当にハクの友達なのか?」
気まずい雰囲気の中、先輩がナツメに問う。彼女は私の肩を抱き、先輩へ威嚇するように答えた。
「ハクちゃんは私の友達なの。数年来のね。ぱっと出のアンタとは違うんだよ」
「ナツメさん、言い方」
若干引き気味になった先輩の方を見て「そういうことですから」と笑いかける。はじめは不思議そうにしていた先輩だったが、無理やり自分を納得させたようだ。話を分かってくれてありがたい。
「悪かったよ」
「私こそ」
またサークルで。そう言いながら、先輩は自分の家へと帰っていった。ナツメの方を見れば、先輩に向かってべぇと舌を出している。そんなに気に食わないのか。
助けられたという事実を含めても、彼女がストーカーということに変わりはない。それでも、彼女はあの時私に助けられて、私は今彼女に助けられている。それで全ていいじゃないか。
「ナツメさん、連絡先交換しましょう」
「うそっ、いいの?」
「次はまともにカラオケ行きますよ。もちろん、貴女の生活が最優先ですが」
今はちゃんと仕事できてるよ、そう笑いながら彼女はケータイを操作する。私も交換の準備をすれば、自分の連絡先の少なさに思わず笑ってしまった。
「貴女で十人目ですね」
「私にとっては、親以外で初めての連絡先だよ」
彼女のアイコンはモンスターエナジーの缶。思わず笑ってしまった。
「なにさ」
「いや、らしいなぁって思って」
らしいってなにさ、と頬をつつく彼女を見ながら、とんでもない人と友達になったことを自覚する。朝焼けに照らされながらケータイを見ていれば、ナツメが口を開いた。
「ホントのことは、墓場までの秘密ね」
口に人差し指を当てて笑う彼女に、微笑みながらうなずく。私たちはずっと前から友達で、これからもずっと友達。足元に着地したハトが首をかしげる。私たちは手をつなぎながら、車へと向かっていった。
逃げてしまおう コウモリダコ @Samejimaaan
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