キスフレンド
第12話
千秋奏には、見た目が美しいだけでなく、人としても尊敬出来る年上の恋人がいる。
ただ、その祝福すべき喜ばしい事実は、友達にも、家族にも現在進行形で秘密だった。
少なくとも無事に高校を卒業するまでは、絶対に誰にも言うことが出来ない。
――俺もお前も、色々大変なことになるから、言っちゃ駄目です。分かった?
教室でいるときと同じ、ホームルームと変わらないテンションで、恋人からそう言い含められていた。
けれど、理解はしていても、千秋は、折に触れ『そこの教壇にいる、涼しい顔した家庭科教師、花妻亜樹、二十六歳は、俺の恋人なんだ!』と周囲に言いたくてたまらなくなる。教室で、自分のクラスメイトのことを「よく出来ました」なんて褒めた時なんかは、特にだ。
先生と生徒という関係だから恋人同士だと周囲に言えないのは仕方ないが、ないないづくしの関係に、健全な男子高校生の欲求はいい加減限界を迎えていた。
花妻との初めてのキスを擦り切れるほどに脳内でリピートしすぎた結果、最近では、後半のエピソードが勝手に脳内で創作されていた。
このままでは、卒業するまでに、花妻が絶対に言わない言葉百選が完成しそうだ。
(キスがしたいキスがしたいキスがしたい、あわよくばそれ以上のこともしたい!)
そんな訴えを視線に込め、味噌汁の鍋をかき混ぜながら花妻の顔を見ていた。
自分は花妻からみて、とてもいい生徒だと思う。実際、いい生徒だと、花妻も言っている。
悪いことはしないし、クラスの友達とは仲良くしているし、勉強は真ん中の成績。勉強よりスポーツが得意。
(いや、小学生の通知表かよ)
髪も染めてないし、ピアスだってしてない。制服だってちゃんと正しく着てる。シャツだって出してない。生徒指導で呼び出されたことなんてない。
もし悪いことをしたら、もっと花妻は構ってくれるんだろうか。
けれど、そんな方法でクラスメイトより構ってもらおうなんて、ますます自分が小学生みたいに思えた。
今より構ってもらうなら、どんな形でも嬉しいけど、どうせなら恋人として関わりたい。
授業中の調理室は、楽しそうな生徒たちの声で溢れ、誰も千秋の邪な熱視線に気づくことはない。
――視線を送られた当の本人以外は。
花妻は、その綺麗な顔を歪めて面倒臭そうな顔をすると、渋々千秋がいるグループの調理台まで歩いてきた。決して恋人からの熱い視線に応えたわけでなく、あくまで家庭科教師としての義務を遂行するためだった。
「千秋はさぁ、なんでさっきから味噌汁を魔女みたいにグルグルかき混ぜてるんだよ。授業ちゃんと聞いてたのか?」
「……だって、ほら、なんか料理って愛情入れたらおいしくなるんだろ? 手をかければ手をかけるほどいいって」
「味噌汁は、ぬか床じゃねーんだよ」
気を抜けば、こんな些細な会話でも嬉しくて喜んでしまいそうになる。だから注意深く花妻と鏡写しのように不機嫌な顔をした。もちろん花妻のように綺麗な顔でもないし、平凡を絵に描いたような生徒が、生意気を言っているようにしか見えない。
「あのなぁ、料理は化学なの。鍋沸騰してるし、豆腐崩れる。味噌溶かしたら火止めろって配ったプリントに書いてるだろ、辛くなるんだって」
千秋自身、味噌汁を煮込みスープのようにするのが正解とは思っていないし、他の生徒よりも長い時間構って欲しいだけだった。結果その目論見は成功して、手のかかる生徒として花妻に指導されている。
「俺は塩辛い味噌汁が好きなんだよ」
「……へぇ、そりゃ将来は、味噌汁で恋人に逃げられるな、御愁傷様?」
花妻は、ふっと教師らしからぬ人を小馬鹿にしたような顔で笑うと、千秋に背を向けて次のグループのところへ行ってしまった。
「千秋って、ほんと亜樹ちゃん先生と仲悪いよな、コントみたいで見てて面白いけど」
同じ班の田島は、使い終わった調理器具を洗いながら、けらけらと笑っていた。
「つか、味噌汁の味で、恋人と別れるか?」
ぶつぶつ言いながらも、同じ班の仲間にマズイ味噌汁を食べさせるわけにはいかないので、花妻に教えられた通り鍋の火は止めた。
「どうだろ。でも確かにうちの親、喧嘩の原因は大体料理だな」
田島はへらへらと笑いながら言うが、千秋は全然笑えない。
(え、マジで、さっきの別れ話になんの?)
キスがしたくて、もっと構って欲しくて、適当なことを言ったばかりに破局の危機が訪れているらしい。
「――俺は、キスがしたいだけだったのに、あ」
「え、なに、どうしたどうした? 急に欲求不満かよ、最近彼女と上手くいってないのか?」
思わず口がすべって焦ったが、田島は話の繋がりを突っ込んでこなかった。
「あ、いや、まぁ、そんな感じ! キスしたいんだけど……高校生の間は節度ある交際をしましょうって、俺の彼女がさ!」
花妻が恋人だとは言えないが、それでも、全てを秘密に出来ない千秋は、友達に説明するために最近イマジナリー彼女を作っていた。その人は、他校にいて猫のように愛らしい小動物系。たとえ嘘でも架空の彼女を作る後ろめたさから、花妻から一番遠いイメージを設定していた。
「お前の彼女って変に奥手だなぁ? そんなの建前で千秋からしたいって言うの待ってるんじゃねーの」
「え、そうか?」
「そうそう。ほら、今キスフレとか流行ってるらしいし、一回かるーいノリで提案してみたら? キスだけだしいいじゃんって」
「なにそのキスフレって?」
「『キスフレンド』キスだけで体の関係は一切なしのお友達。健全な清いお付き合いらしいぜ? 女子の持ってる雑誌に書いてた」
「それ健全か?」
「だよな。女の考えることはわかんねぇよ」
田島は、どこか遠くを眺めていた。
千秋は、女どころか男の考えることもわからない。
正確にいえば、年上の、大人で、先生の考えることが分からない。
先生と生徒の範囲の付き合いに、手を繋ぐもキスも入ってないと思っていたが、田島の言うように、駄目元でも提案くらいは許される気がした。
付き合ってるのだから。
「でも、俺らは付き合ってるし、キスだけの関係になっても、キスフレンドにはならなくね?」
「だから、名前はどうでもよくて、要はきっかけとして抵抗ない言葉でハードル低くして、徐々に関係を深めるんだよ」
そもそもよくよく考えてみれば、付き合っているといってもデートをしたこともないし、手を繋いだこともなかった。
一度キスして、付き合うかって言われただけ。
急に、友人でもない気がしてきて不安に襲われる。
(ちゃんと、付き合ってる、よな俺ら)
「……言ってみようかな。殴られるかもだけど」
「お前の彼女、清楚でおとなしいんじゃなかったのかよ」
「あーうん。時々、すげぇ強気な人だよ?」
段々イマジナリー彼女の設定がブレブレになっていた。気を抜くとすぐに花妻の話にすり替わっている。
それくらい、千秋が花妻のことが好きってことだ。
「おいこら、A班男子遊んでないで、女子の手伝いしろ!」
そうやって田島と喋っていたら斜め後ろから、花妻の注意が飛んできて、慌てて女子たちの盛り付けの手伝いにいった。
――キスフレ、キス友、か。
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