第20話 出発

一体どういうことだ?

恐らくこの日記の主は、この城のNPだろう。特に貴重な情報や、重要そうな(少なくとも俺たちにとっては重要だが)ことが書いてあるわけではないので、単純に紛れ込んでいて放置されているものなのだろう。いろいろと考えたかったがダイヤが戻ってきたので、再び皐月とダイヤが接触しないように気を惹きながら、俺も手掛かりになりそうな文献はないか、それとなく探してみる。


日が暮れかかったところで皐月は「もういいわ、いつまでもいたら迷惑でしょうから出ましょ」と言った。たかが数時間でこの量の本を調べたのだろうか?


俺たちはホナウドを探し出し丁重にお礼を言い、また数十分ほど遠回りをされ、城を出て、宿に戻った。早くあの日記について皐月と話したかったが、ダイヤがそばにいるのでなかなか機会が訪れず、ダイヤが風呂に入ったタイミングでやっと話せた。

「何なんだあの日記? やっぱり俺たち以外にも穴に落ちてこの世界に来た人がいる、ということで間違いないのか?」

「あれが本当に日記で創作ではないのだとしたら、そういうことになるでしょうね」


俺はあの日記を読んでから、鼓動が高まり興奮を隠すのに必死だったが皐月は余裕そうだ。

「ヤマダキヨカズとかいう男の特徴から言って、恐らく明治時代くらいの話だよな?150年ほど前か」

俺はちらりとバスルームに目をやりながら聞いてみる。どうやらダイヤはまだ入浴を楽しんでいるようだ。水の音と呑気な鼻歌が聞こえる。

「着物を着ていて紙巻のタバコを吸っていた、ということは江戸の後期か明治あたりでしょうね」


「やっぱり皐月さんの言った通り、異世界から来た、なんて言わないほうがいいみたいだな。ダイヤには言おうか迷っていたが言わなくてよかったよ」

日記のあの男は馬鹿正直に真実を話してしまい、周りから孤立していた。

「そうね、でもいつまで隠し通せるかしら。今日の伊織君の働きは見事だったわ。おかげで私は集中して調べられた。ありがとう」

皐月が褒めてくれるなんてあまりないことだから、噛み締めておこう。


「あの日記以外にはめぼしい情報はなかったのか?」

「なかったわ、もちろん全ての本に目を通したわけじゃないけど、ダイヤさんの言った通り学術書の類がほとんどだったから中を見るまでもなく、私たちと関係ないと思われるものばかりだった。だからたった数時間で切り上げたのよ」

あの日記だけでも大発見だ。150年ほど前の話だが、まだ俺たち以外に同じ状況の人がいるとわかったのだから。


皐月は表情を崩さない。元の世界に帰る方法が分かったわけではないが、これは確実な前進なのに。

バスルームから布が擦れる音がする。もう間もなく風呂から上がるだろう。


「嬉しくないのか?元の世界に帰る方法はまだわからないが、少なくとも俺たち以外にも同じ状況の人がいたことが分かったんだぞ」

「嬉しいに決まってるでしょ。興奮でさっきから心臓がうるさいくらいよ」

そう言うと皐月は俺の右手を、決して大きいとは言えない胸に押し付ける。小さな膨らみ越しに皐月の速く力強い鼓動を感じる。ドギマギする俺に真剣な眼差しを向けてくる。男の手を無理やり胸に押し付けるくらいには興奮しているのだろう。5年越しに手がかりを発見できたんだから無理もないか。

もっと表情に出せばいいのに、などと考えているとき「ガチャリ」と音がして、慌てて手を引っ込めようとしたが、遅かった。バスルームの扉が開いてダイヤが顔をのぞかせる。


「えっ!お2人ってそういう関係だったんですか?あたし全然気づきませんでした!邪魔でしたらちょっと外にでもお散歩してきましょうか?」

慌てるようにダイヤが言う。

面倒くさいことになった。皐月は眉を寄せてため息をついている。ネガティブな感情の時はわかりやすく顔に出るんだな。


俺たちは日記のことや異世界のことは秘密にしながら何とかダイヤの誤解を解いた。ダイヤは「本当ですか~?」と言ってニヤニヤしていたが、俺の必死さが伝わったのか最終的には理解してもらえた。


「この街の文献はあらかた見れたわ。次に近い町はタイガね」

翌朝、開口一番皐月が呟く。

図書館も城の中まで調べたのだから、この街にもう用はない。本屋はまだ調べ切れていないが、何せ俺たちには金がないのでそれは諦めるしかないだろう。

俺と皐月は自然とダイヤに視線を向ける。それに気が付いたダイヤは不思議そうに小首をかしげている。子犬のような、その仕草に危うく胸を射抜かれそうになる。小動物観があると前々から思っていたが子犬という表現がぴったりだ。となると、皐月は何だろう。考えるまでもない。見た目も性格も猫そのものだ。かわいいペット用の猫ではなく、攻撃的な、近寄りがたい方の猫だ。


「ダイヤさんはどうするの?あなたが行きたがっていた街と、反対方向を私たちは目指すんだけど」

「前にも言いましたけど、あたしはホークに行きたいのではなくここではないどこかに行きたいだけなので、あたしも付いていきます。2人が迷惑じゃなければですけど…」

そう言うだろうと思っていた。

「前にも言ったと思うけど、迷惑じゃないわ。次からはそんなこと聞かないでね」

もっと優しい言葉で言えばいいのに、相変わらず皐月は不器用だ。当のダイヤが今の言葉で嬉しそうだから別にいいか。


荷物を詰め、次なる目的地、確か名前はタイガ、その街に向かって俺たちは旅立つ。

「ダイヤ、失禁するほどトロールに怯えてたけどトラウマとかにはなってないか?」

道中、何の気なしに聞いてみた。

「はい?何のことですか?」

目の笑っていない笑顔で答える。

何のことって、あんな強烈な体験を1日2日で忘れられるわけがないだろう。いや恐らく一生忘れられないほどの強烈な体験だった。


「大丈夫ならいいんだけど、この先魔物に会うたびに失禁しないか心配だったんだ」

「は?あたしは20歳です。大人です。おしっこなんか漏らしたことはありません」

笑っているがやっぱり目は鋭い。

やっと自分がデリカシーのない質問をしていたことに気が付いた。ダイヤの中で失禁したことはなかったことになっているのだろう。


2人に気まずい空気が流れる。

そんな様子を皐月はにやにや笑いながら傍観している。俺が攻められているのが愉快でたまらないらしい。サディスティックなやつめ。

「もし私がダイヤさんと同じ立場だったら、多分伊織君のことをどつきまわしていたと思うわ」

やっと口を開いたかと思ったが、ろくなことを言わない。怖すぎる。どつきまわすなんて言葉を女の子から初めて聞いた。皐月は冗談などではなく、そうなったら本当に1発や2発は手を出してくるだろうな。

そこからダイヤの視線は冷たかったような気がしたが「本気で怒ってはないですよ」と言ってくれたので、俺は何とか救われた。


「わーお!見てください!凄く綺麗ですよ」

ダイヤが興奮気味に指をさしている方に視線をやると、なるほど、思わず声を上げたくなるようなきれいな湖と花畑がそこにはあった。

「確かに綺麗ね。あそこで少し休憩にしましょ」

皐月の声が心なしか弾んでいるような気もする。皐月にも花を愛でるという感情があったのかと驚く。いや皐月の家の花壇は確か、枯れはてて放置されていたはずだ。単純にダイヤが嬉しそうにしているのが微笑ましいだけだろうか。


花畑に腰を下ろし湖を眺めながら休憩する。

花畑を見て思い出した。プーカでダイヤが案内してくれたお気に入りの場所だと言っていたあの花畑を。そんなことを考えていたら1つ思い出したことがある

「そういえばダイヤ、あの時俺になんて言おうとしたんだ?」

「あの時?」

心当たりがないのか不思議そうな顔をしている。

「ほら、プーカの街から出たとこの花畑でさ、何か言おうとしたんじゃないのか?」


あの時はダイヤが口を開いたのと悲鳴が同時に聞こえ俺たちはゴブリンと戦うのに必死でそんなことなど、ついさっきまで忘れてしまっていた。

「そうなの?ぜひ私も知りたいわね。良かったら聞かせて」

一瞬困ったような表情をしたが、すぐに真剣な眼差しになる。


「そうですね。いつまでも2人に隠しているわけにはいきませんし。実はあの時あたしが旅をしていた理由を話そうとしたんです。

あの、今からあたしが言うことを信じてもらえなくても構いません。でも変な奴だと思ってあたしを1人にしないでください。それだけは約束してください」

「わかった。約束する」

ダイヤは今度は皐月に目を向ける。

「皐月さんも」

「はいはい、わかったわよ。絶対1人になんかしないから」


その応えを聞いて安心したように息を吐き、ようやく語りだした。なぜ、危険を冒してまで1人で旅をしていたのか、なぜその理由を今まで俺たちに隠してたのか。

話を聞き終えた俺たちは、あまりの驚きにしばらく言葉を失った。

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