第18話 報告

「に、逃げるわよ」

皐月のその言葉を合図に、俺たちは今来た道を全力で引き返した。言うことを聞かない足を何度か拳でたたきつけ、俺たちはとにかく全力で走った。足がもつれて何度か転ぶ。途中、ランタンを落としたようだが、いちいち気にしていられない。がむしゃらに走っていたらいつの間にか2人の気配がしない。先に洞窟を出ているものと信じて俺は必死に走り続ける。途中羽を休めているガーゴイルを見たような気がしたが、無視して走る。走る。走る。とにかく走る。


ようやく明かりを視界にとらえる。もつれる足で何とか洞窟の外に転がるように出る。

良かった2人もいた。2人とも俺と同じように体中泥だらけだ。恐らく何度も転倒したのだろう。


「はぁはぁはぁ」

3人の息切れの音だけが響く。


皐月の指示で、俺たちは洞窟を抜けた後も、プーカに向かって走り続ける。

トロールはこちらに気づいていなかったので、洞窟を抜けた段階で安全だとは思ったが、それでも恐怖心を追い払うかのように俺たちは走り続けた。


流石に20分ほど走ったところでみんなの足が止まり始める。

「はぁはぁ、ここまで来れば大丈夫なはずよ」

「あんな化け物がいたなんて、NPたちもあいつに?」

息を整えながら皐月が答える。

「恐らくそうでしょうね。あんな化け物だったらNPがいくら束でかかってもかてるはずがないわ」

俺たちの会話を横目に、ダイヤは不快そうに不自然な歩き方をしている。

「あの、股のあたりが気持ち悪いので下着だけでも脱いできていいですか?」

そういえばダイヤが恐怖のあまり失禁していたことを思い出す。

「いいわよ、待っててあげる」と皐月が言ったにもかかわらず、ダイヤはなかなか動こうとはしない。流石に俺の目の前で脱ぐわけにはいかないだろうから、どこか木陰にでも行くのかと思ったが、やはり動く気配がない。


「皐月さん、お願いです。付いて来て下さい」

震える手で皐月の腕を掴みながらダイヤが言う。

あんな化け物を見たばかりだから1人になるのが怖かったのか。いつもなら、それくらい1人でしなさい、とでも言いそうな皐月だが、今回ばかりは何も言わずダイヤについていった。


その後俺たちは、道に迷いながらも日が沈みかけたころに、何とかプーカに戻ってこられた。

とにかくまず着替えたいです、というダイヤの意見で俺たちは一旦宿に戻ることにした。3人とも泥だらけだったため交代でシャワーを使い、着替えを済ます。早くホナウドに報告に行かないと、と思ったが疲れや安心感でもう1度城に向かう気力が湧いてこない。

それは2人も同じだったようで「報告は明日にして今日はもう休もう」と言うと2つ返事で賛成してくれた。

夜中に何度も恐怖が蘇り、そのたびに目を覚ますことになったのは言うまでもない。


翌朝俺たちは3人で城に向かった。昨日と同じ門番で話が速かった。

「ちょっと待ってろ」と言い残し片方が城の中に消えて数分後にホナウドを連れて戻ってきた。

「ホナウド様、調査に行ってまいりました」

言葉遣いに気を付けながら話しかける。

「様はやめてくれ。丁寧すぎる敬語もできればやめてほしい」

「わかりした、ホナウドさん。調査に行ったのですが元凶を倒すこと話できませんでした」

確かに様はいらないと言われたが、いきなりさん付けとは、やはり皐月は肝が据わっている。

門番のNP2人は今にも皐月に飛び掛かりそうだがホナウドが窘める。


「それで、どうだったんだ?詳しく聞かせてくれ」

代表して俺が昨日、洞窟に入ってからの状況を順を追って説明した。

話を聞き終えたホナウドは目を見開いている。

「トロールが…NPたちがやられてしまうのも無理はない。君たちはトロールに会って怪我はなかったのか?」

「はい。先ほども言いましたように、相手に気づかれる前に逃げましたので。申し訳ございません」

「何を言っている。逃げて当たり前だ。むしろ良く逃げ切れた。トロールがいるとわかっていたら君たちを調査に向かわせなかった。危険な思いをさせてしまいすまなかった」

頭を下げるホナウドに俺たちはあたふたするしかなかった。


「でもよかったのでしょうか、トロールがいるとわかれば、農家たちは一層畑に寄り付かないのでは?」

俺の質問を聞いてようやくホナウドは頭を上げる。

「この前調査に向かわせたNPは、まさかトロールがいるなんて思わなかっただろうし、油断していたんだろう。今度はこの街の精鋭のNPを5人ほど向かわせるよ。いくらトロールといえど精鋭のNPには敵わないだろう」


愕然とするしかなかった。あんな化け物にたった5人で勝てるのか。目の前の門番を見ている感じ、到底勝てるとは思わないが、精鋭のNPとやらはどれだけ強いんだ。あんな化け物を5人で倒したらそれはもう、人間をやめている。トロールもNPも化け物だ。

驚く俺たちを尻目にホナウドが口を開く。

「約束通り中の書物を自由に読んでくれて構わない。さぁ遠慮しないで入って入って」

用があるのは皐月だけなので、俺とダイヤはやんわり断ったが「遠慮しないで」と何度も言われたため、皐月に付いていくことにした。こんな機会めったにないだろうからいい経験になるかもしれない。

だが俺たちが何を調べているのか、ダイヤはもちろん、この城の貴族やNPたちにも知られないようにしないと。


いつまでも隠し通せるものでもないし、いっそのことダイヤには俺たちは異世界からここに来て、帰る方法を探して旅をしていることを正直に言おうか、純粋なダイヤなら信じてくれるかもしれない。いや、信じてくれたとしてもそれを周りに言うかもしれない、もちろん親切心で、だがあまり知られると頭のおかしい奴らだと思う人も出てくるだろう。それだけならまだいいが、NPに目を付けられるのは旅路を急ぐ俺たちには障害でしかない。それに俺1人の判断で話してしまうわけにはいかない。皐月に相談してからのほうがいいだろう。


城の中は白を基調としたデザインで統一され、天井は高く廊下は果てしなく長い。俺たちは緊張しながら門番のNPの片方に案内され蔵書室を目指している。

ひと際強面な老人が目に入った。ギロリ、と睨みつけてきた老人に軽く会釈して通り過ぎようとしたが

「おい」

呼び止められてしまった。良く通る低い声だ。


どうやら呼び止められたのは俺たちではなくホナウドだったようで「はい父上!」と返事をして老人のもとに駆け寄る。

あの人はホナウドの父なのか。だから街の長であるホナウドにもあんな態度がとれるのか。ホナウドの父は息子とは似ても似つかぬ態度だ。


ホナウドは俺たちを指さして何やら熱心に父に訴えかけている。声までは聞こえないが、どうやら俺たちのことを説明しているようだ。幾度かの押し問答があって最終的には父が折れたようだ。俺たちに近づき、これ見よがしにため息をついて「蔵書室以外には入るなよ」とだけ言い残して、どこかに姿を消した。


「すまないね。気分を害してしまったかな?」

ホナウドが申し訳なさそうにい訊ねる。

「いえ、別に構いません」

「父は、何かと口うるさくて、頭が固い人でね」

失礼を承知で気になったことを聞いてみる。ホナウドなら許してくれそうな気がしたからだ。

「ホナウドさんは長ですよね。お父様のほうが権力を持っているようにも見えたんですけど」

NPが睨みつけてくる。やはり様をつけないと、相手の怒りを買うのではないかと肝を冷やしたがホナウドは全く気にするそぶりもない。


「まあ、権力で言えば俺の方が上なんだろうけど、そういうのあんまり興味がないから。数年前までは、父が長としてバリバリ働いてたんだけど、ちょっと体調を崩して勝手に俺を次の長に任命したんだ。何度も断ったけど、もう決まったことだ、と言って聞かないんだよ。ほかの街の長も大体は前任の長の親族がなることが多いから覚悟はしてたんだけどね、それでも嫌だったね。

俺は読書をしてたまに街を散歩でもしている日々がこの上なく幸せだったんだけどね。だから今でも政策にはあまり前向きじゃないんだよ。見かねた父が、会議なんかに出てるから俺は名前だけの長だよ。結局今でも実権はほとんど父が持っている」


長というのは世襲制なのか。目の前のこの男が少し気の毒になる。

ほどなくして、またしてもホナウドが誰かに呼び止められる。今度は女性だ。

「すまない、妻が呼んでいる。あとはそのNPにまかせるよ」

それだけ言い残して、ホナウドは女性のもとに駆け寄る。遠目で分かりづらいが、なかなかの美人だ。

ホナウドがいなくなると、急に心細くなる。また誰かに話しかけられたら、誰が事情を説明してくれるんだ。


どうでもいいが、蔵書室とやらは一体どこにあるんだ。もう10分程度は歩いている気がする。いくら広いと言えど歩きすぎだ。さっきから階段を上ったり下ったりしているが、あきらかに意図的に遠回りしているようにしか思えない。俺たちがこの城の地形を把握しないように対策しているのだろうか。ところどころにいる屈強な男たちに、恐らくNPたちだと思うが、訝し気な視線を浴びせられ居心地が悪い。中庭で訓練をしている者もいる。鬼気よ迫る表情で剣を振り回している。惚れ惚れするほどの速さだ。

ケイブゴブリンが持っていた剣の重さを思い出す。あんなものを振り回しながら素早い動きをしている。中には両手に持っている者までいる。

5人でトロールを倒せるというホナウドの発言はやはりはったりなどではなかったようだ。


道中皐月に気になったことを訊ねる。

「トロールってあんなに理性のかけらもないようなものなのか。今まで俺が見てきた魔物は少なくとも人間の子供ほどの知性はあったと思うんだが」

「個体差はあるけどトロールは頭の悪い魔物よ。でもあんなに狂っているということは脳に障害でもあるんでしょうね。頭に大きな傷があったでしょ。きっとNPが1撃喰らわせたのよ」

頭に傷なんてあったのか。全然気が付かなかった。あんな恐ろしい状況でもよく見ているな。皐月と1撃喰らわせたNPに感心する。


物珍しさで、辺りをきょろきょろ見回しながら歩いていると突然、

「ここだ」

と言って案内役のNPは扉の前で立ち止まった。

「妙な真似はするなよ。こんなところで暴れたら反逆者だと思われても言い訳できんぞ」

俺たちを脅すように言ったそのNPは、中にまではついてこなかった。そして部屋の中にも先客はいないようだ。つまり俺たちは3人だけというわけだ。いいのだろうか、こんな警備態勢で。それほど俺たちを信用してくれているのか、はたまた、俺たちなど暴れたところで一瞬で制圧できると思っているのか。もちろん変なことをする気は更々ないが、前者であるに越したことはない。


後はダイヤが、皐月が何を調べているのか悟られないように気を惹き続けなくては。

「ダイヤは読書とかするのかい?」

質問しながらも皐月に早く行け、とアイコンタクトを送る。うまく通じたのか、皐月はいそいそと文献を物色している。

「小説は読みますけど、こういう小難しいような本はあんまり得意じゃないです」


ダイヤが皐月に近づくのを察知しては声をかけて引き離す、という作業を3時間ほど繰り返したところで、ダイヤはトイレに行くと外に出て行った。これで俺も数分は気を張らずに済むと胸をなでおろしたとき、皐月に声をかけられた。

「ご苦労さん。ちょっと来て面白いもの見つけた」


皐月が手に持っているものを覗き込む。メモ帳のようなノートのようなものだ。いいように言えば年季が入っている。悪いように言えばボロボロ。これは何なのだろうか。

皐月は静かに中を開き俺に渡して、

「ダイヤさんが返ってくる前に早く読んで」

とだけ言い残して、また他の文献を漁る作業に戻った。

ノートの中を見て驚く。中身は予想していたよりも、遥かにボロボロだったこともそうだが、中身がすべて手書きなのだ。文章を一読して俺はさらに驚いた。

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