異世界からの脱出

夏乃 三日月

第1話 穴

ふと目を覚ますと青い空が俺の目に入ってきた。

「???どこだここ?」

痛む頭を押さえながら体を起こしてみる。あたり一面草原、奥のほうには山が見える。

見覚えのない場所で寝ていたようだ。意味が分からなかった。ひどい吐き気もする。

「なんでこんなところにいるんだ?」

そう一人で呟いてみたが答えなど返ってくるはずもなかった。とにかくこうなる前の記憶を思い出そう。

そう、確か俺は大学の友達と飲み会をしていたはずだ。



「かんぱーーーい!!!」

その合図を皮切りに各々缶ビールを掲げて飲み会は始まった。この春から大学3年生になった俺たちは春休みの期間、就活が始まると時間も無くなるだろうなどと理由をつけてここぞとばかりに毎日のように遊んでいた。


いつもお決まりの5、6人のメンバーで集まっては子供のころの夢を朝まで語ったり、テレビゲームで騒いだり、今日のように宅飲みをしていた。

飲み会も中盤に差しかかったところで酒が足りなくなり、じゃんけんで負けた俺が買い出しに行くことになった。

「俺ハイボール」 「私は酎ハイお願い」などのリクエストを適当に受け流しコンビニに向かった。


4月に入ってからかなり暖かくなったが流石に夜はまだ冷えるな、などと考えながらコンビニまで足を進めている途中に前方に黒い何かがあった。何かのゴミか野良猫かなと思い近づいてみる。ゴミでも猫でもなかった。


それは穴だった。 

直径70センチほどの丸い穴。マンホールでも外れたのかと思い中を覗き込もうとしたとき、ふらついた。だいぶ酔っていたのもあるのだろう、そのままバランスを崩し俺は穴に落ちた。


そこで記憶は途切れていた。

ということは、ここはその穴の先なのか。

とにかく早く帰るためにもここがどこか調べよう。はやる気持ちを抑えてスマホを取り出し地図アプリを開こうとするが、圏外だった。もちろんWi-Fiもない。

「嘘だろ」

かなり田舎っぽいが完全に山の中というわけでもない。それなのに圏外。ここにきてようやく俺は恐怖を覚えてきた。


とにかく看板か何かあればここがどこなのか手掛かりが掴めるだろうと思い辺りを今一度よく見渡してみる。遠くのほうに街らしきものが見える。

とにかくあそこに行ってみるしかない。痛む頭に顔をしかめながら俺は小走りでそこに向かった。ようやく町の全貌が見えてきたとき思わず立ち止まり息を飲んだ。

そこには現代の日本とは到底思えない中世ヨーロッパ風の街並みが広がっていた。

「まじかよ」

思わず声が漏れる。

「日本じゃないよな、ここ」

状況を飲み込めなさ過ぎて思わず立ち尽くしていると中年の女性が歩いているのが目に入った。英語は中学生レベルだがいつまでもじっとしているわけにはいかないので勇気を出して声をかけてみる。


「エクスキューズミー」

「??」

女性は不思議そうな顔をしているだけだ。 発音が悪かったのだろうと今度はなるべくネイティブに言ってみる。

「エクスキューズミー ウェアーイズディス?」

「■■■■■■■」

今度は俺が不思議そうな顔をした。彼女の言っている言葉が何一つとして聞き取れなかったからだ。発音が良すぎて聞き取れないとかそういうレヴェルじゃない。俺が今まで聞いてきたどの言語にも当てはまらないような気がした。

もしかしたらこの女性の頭がおかしいのかもしれないと思い、他の人に声をかけてみることにした。


少し離れたところで何やら作業している初老の男に歩み寄り先ほどと同じように話しかけてみた。

「エクスキューズミー ウェアーイズディス?」

「■■■■■■■」

また不思議そうな顔をして先ほどの女性同様聞きなれない言語で返してきた。


俺は絶望した。英語が通じないほどの辺境の地にいることをここでようやく自覚したからだ。だがこれ以外に何ができるというわけでもないのでとにかく運よく英語もしくは、いないとは思うが日本語が話せる人を見つけるまで話しかけ続けるしかないと思い今度は目の前を横切った黒髪の背の低めな若い女性にこれまでと同じように話しかけた。


「エクスキューズミー ウェアーイズディス?」

すると彼女は目を丸くして明らかに動揺している様子で

「噓でしょ」

と、何とか俺の耳になんとか届くくらいの声量で呟いた。

その言葉を聞いた瞬間俺は「良かった、日本語話せるんですね」

と言い安堵感が込み上げてきた。

そんな俺とは対照的に信じられないという顔をした彼女は

「日本語....信じられない」

と、また小さな声で呟いた彼女の目は、ほんのり潤んでいるように俺には見えた。

「あなたなんで日本語を」

彼女は何にそんなに動揺しているのだろうと不思議に思いながら

「一応日本人なので日本語は得意ですよ」

と返した。

「ほんとに、ほんとに日本人なの!?!?」

「ええ、そうですよ」

すると彼女はおもむろに俺の腕をつかみ

「人気のないところに行くよ」と言いそのまま歩き出した。

何が何だかわからない俺は、とにかく彼女に付いて行くことしかできなかった。


数分歩いたところで彼女は立ち止まりこちらを振り返った。

「聞かせて、あなたここにどうやってきたの?」

聞かせてと言われても困る。自分自身状況がよくわかっていないのだから。

「信じてもらえないと思うけど....」

とにかく俺はこれまでに起きた状況を嘘偽りなく彼女に話した。


「そう、大体わかったわ。ありがとう」

そういって彼女は黙り込んでしまった。

「あの、そういう君はどうしてこんなところに?」

「私もあなたと同じなの。穴に落ちたの。恋人とのデート帰り、彼との話に夢中になって足元なんて気にもしてなかった。気づいた時にはもう遅かった。差し出した彼の手を掴むことができずに無情にも私は落ちた。もう5年も前の話だけど」

「5年!君はこんなところに5年も住んでいるのか!教えてくれないか、ここはいったいどこなのか、どうやったら日本に帰れるのか!」

息巻く俺をなだめるように彼女は口を開いた。

「その前に自己紹介しない?私たちまだお互いの名前も知らないし。」

言われてみれば確かにそうだ。

「俺は夏井なついです。年は21歳の大学3年生。趣味は映画鑑賞とサウナ巡りです」

「下の名前は?」

伊織いおりですけど」

「ここでは普通下の名前で呼び合うの伊織君」

いきなり下の名前で呼ばれて少しだけ鼓動が早くなった。そんな僕の様子など気にも留めず彼女が自己紹介を始める。


「私は皐月、嶺井皐月みねいさつき。さっきも言ったけどここでは下の名前で呼び合うのが普通だから皐月と呼んでね。年齢は25。5年前ここに来る前はOLをやっていたわ。趣味は美術館巡りと読書。トレードマークはこのウルフヘアー」

ぱっちりとしたツリ目気味の目を細めて嶺井皐月と名乗った女は自分の髪に手櫛を通した。


「美術館巡りと読書なんてなんかおしゃれだね嶺井さん」

「話を聞いていなかったの?もう一度言い直して」

そう言って彼女は少し呆れたような表情をした。

「美術館めぐりと読書なんてなんかおしゃれだね.....皐月さん」

「よろしい」

皐月は顔をほころばせた。

あまり初対面の女性に対していきなり下の名前で呼ぶような性格ではないだけに名前を呼ぶだけで少し緊張した。


「伊織君はどこの大学行ってたの?」

「名もない中流大学だよ。受験勉強から逃げた結果だよ」

「逃げたの?」

「別に受験だけじゃないさ。部活や子供のころからの夢からも逃げてきた。本気になってダメだった時が怖いからね。そういうのらりくらりな性格なんだよ」


少し気まずい空気が流れ、初対面の女性にこんな話をしたことを俺は少し後悔した。

すると彼女はそんな俺の思いを知ってか知らずかおもむろに口を開いた。

「ポケット何入ってるの?」

「スマホだけど」

ポケットからスマホを出そうとしたとき俺は初めて他にも何か入ってることに気が付いた。タバコとライターだ。

「スマホは何の役にも立たないけどアメスピあるじゃん。1本頂戴」

そう言うと皐月は残り2本しか入っていないタバコの1本を抜き取り火をつけた。

喫煙者だったとは意外だなと思い、俺も最後の1本に火をつけた。

「ゲホッゲホッ」

彼女がせき込み少し照れたような顔をしながら

「ここに来る前は吸ってたんだけどね。もう5年も前のことだから。久しぶりに吸うとあんまりおいしくないね」

と言い訳をするかのように言った。

「ここにはタバコないの?」

「残念ながらないね。伊織君も今日から禁煙生活だ」

残り2本しかなかったうちの1本を取られたことへの怒りの視線をむけながら二人で最後の1本を味わった。


「さっきの質問なんだけどさ。ほら、ここはどこなんだって言ってたでしょ」

そうだ、本題はそれだった。

「私が5年ここに住んで分かったことは、ここは私たちのいた世界とは違うってこと。中世ヨーロッパ風の街並み、剣と魔法があり魔物が跋扈ばっこしているゲームの中に飛び込んだかのような世界。言ってみれば異世界ね。元の世界への帰り方はまだわからない。そして元の世界からこの異世界に来たのが私だけじゃないことがついさっき分かった」

最後の一言は俺のことを言っているのだろう。


そんなことより聞き捨てならない言葉がいくつもあった。剣と魔法?魔物?

皐月は本当はあまり関わってはいけない人種なのだろうかと思い始めた。


「信じられないって顔してるね」

そう言うと皐月は立ち上がり右手を前に出した。

「ウォーター5ペンテ

聞きなれない言葉を皐月がつぶやいた瞬間、伸ばした右の手のひらから勢いよく水が飛び出した。蛇口につないだホースを限界まで捻ったような水の勢いに思わず後ずさる。


「これで少しは信じてくれた?」

まだ頭は混乱しているが目の前でこんなものを見せられたら少なくとも魔法があることは信じるしかないだろう。

「あ、ああ。分かった。とりあえずは信じてみる」

皐月は微笑みながらこちらを見つめる。

「ようこそ剣と魔法の異世界へ。」


そしてこう続ける。

「早くこんなところからおさらばしましょ」

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