うんこ復権の日

ななおくちゃん

前編

 元兵は便器の中を食い入るように見つめていた。

 今朝がた、ベッドから起き上がり、いつものようにトイレにこもって、一本ひり出した。普段ならすぐ水洗ボタンを押すところなのだが、ふと自分の中から出てきたものに目を向けると、頭のてっぺんから爪先まで、電流のような衝撃が走った。


 なんて魅力的なうんこなんだ――。


 先程からスマートフォンの着信音が鳴り響いている。会社からの連絡だ。時刻はやがて正午を迎えようとしている。元兵はもう5時間も、自分の排泄物に見惚れ続けていたのだ。

 元兵には排泄物を愛好する嗜好はない。便器を覗いて自分の糞便を見ることくらいはたまにあったのだが、あくまで健康面を確認する程度の動機であり、それ以上の理由はない。この日もその程度のつもりで便器に目を向けただけなのだが、気が付けば釘付けである。

 眠り姫のように、便器に横たわるその一本糞は、長さ15~6㎝程度で環境に優しい。色あいは冬の都会によく映えるシックなブラウンで、消化不良の不純物を含まず、そのフォルムはどこか知性も匂わせる。香りもどこか芳醇なワインを彷彿とさせる。元兵が健康体であることの証拠である。

 

 この美しさを、独り占めするのは罪だ。


 元兵はスマホのカメラを起動すると、そのうんこをあらゆる角度から撮影した。犬耳をつけたり、モノクロで取ってみたり、美顔撮影アプリで撮ってみたりと趣向を凝らしてみた。さらに、形を崩さぬよう慎重に、便器からうんこを取り出すと、とりあえずリビングに置いて、もう一度いろんな角度から撮影した。

 この魅力的な物体の存在を、今すぐ大衆に教えなければ。この世にふたつとなく、もう二度と生まれることもないだろう、刹那の時を刻むこの芸術を、なるべく多くの市民に伝えるのだ。


 問題は、このうんこの写真をどのように他人にシェアするかである。そういう性癖の持ち主が集うWebサイトなどに投稿するという方法もあるが、自分の愛するうんこが性的に搾取されるのは御免だ。SNSにアップすることも考えたが、普段は誰から求められているわけでもなく食事の写真を掲載しているだけのSNSに、突然無修正の排泄物をアップしようものなら、大して多くもないフォロワーから病んでいるのかと思われる。裏垢を作ってもいいが、うんこの写真1枚アップしてるだけのアカウントに、一体どんなスキモノが注目するのか。


 だんだん苛立ちが募ってきた。俺は自分のうんこをみんなに見てほしいだけなのに、どうして嫌われたり、病んでいると思われたりしないといけないのか。だいたい、うんこはみんなから平等に出るものなのに、なぜ下品なものだと、汚らしいものだと忌避されないといけないのか。どうしてうんこがこんな思いをしないといけない? この理不尽は誰が、何のために始めたことだ?


 そうだ。逆にうんこの価値を向上すればいいのだ。うんこが素晴らしいものであると、みんなに思わせればいいのだ。うんこをプロデュースし、人気コンテンツへと成長させればいいのだ。


 昨今、草の根運動でうんこを盛り上げるのは、悪手と言える。効率が悪いうえ、自分の身元を明かしながら活動するのはモノがモノだけにリスキーだ。やるならばやはりネットだろう。とはいえ、元兵にはそんなノウハウはない。とりあえず、めぼしいPR会社にあたってみて、ネット戦略でうんこを人気者にすることにした。


 しかし、メールや電話で依頼をしても、どの会社からも面談する前に断られてしまった。頭がおかしいと思われたかもしれないと考えると、元兵の気持ちは穏やかではなかった。しかし、自分が今から行おうとしているのは、社会に深く根付いた「うんこは汚い」という価値観を根底からひっくり返すものである。革命を起こすものは誰でも、最初はおかしなやつだと思われていたと、なんか適当な有名人が言っていたような気がしなくもない。今はじっと耐える時期なのだ――考え方をそう切り替えて、元兵は自分を慰めた。


 時間が立つと、うんこが乾いてその魅力を失ってしまう。いつか水に流される運命にあるとしても、その価値を大衆に認められることのないまま乾いていくのは耐えられない。元兵がうんこにニスを塗っていると、スマートフォンが鳴り響いた。


 二時間後、元兵は古びたビルの一角にいた。


「その『うんこを人気者にする』という依頼、是非引き受けたいと思いまして」


 ガラステーブルの向こうで屈託のない笑顔を浮かべている男は、折花と名乗った。インターネットを中心としたPR事業を手掛けているらしいが、ビルの一室に構えたこのオフィスには、元兵がIT企業に対して抱いていたような洗練さや洒落っ気はなく、昔の組事務所のような雰囲気を漂わせている。


「当社ではSNS運営代行や動画・HP作成など、オンラインブランディングをメイン事業にしてましてですね。取引先に大手企業はもちろん、自治体なんかからの依頼も受けているんですよ」


 ホームページを覗いたら、ポートフォリオにそれらしい実績が掲載されていた。どのみちどの会社も自分の依頼を引き受けてくれないので、ひとつ信じみるのもいいのかもしれない――そんな気持ちで来てみたものの、それにしてもわからなかった。


「どうして、こんな仕事を引き受けてくれるのか――そう思っているんでしょう? ではひとつ伺いますが、なぜうんこは嫌われていると思います?」


 元兵は無言で考えてみたが、汚いから、という安直な答えしか出てこなかった。しかし、なぜか薄笑いを浮かべている折花を見ていると、そんなベタな答えを口にしてしまったら、なんだか小馬鹿にされそうで、言葉にすることはできなかった。 


「旧来、うんこは栄養源として大地に還すことで、人間に、いやあらゆる生物に多くの実りを与えてきました。ですが、いつの間にか単なる『汚物』として避けられるようになった。それがどうしてだかわかりますか?」


 元兵は首を横に振る。


「既得権益を破壊する存在だったからですよ。農薬を製造するメーカーと政治家が癒着し、巨万の富を得ようとするのに、うんこは迷惑だったのです。思い出してください。農家と農業団体は、政権を担っている政党の支持基盤のひとつじゃないですか」


 途端に話のスケールが大きくなったので、農薬と肥料の用途はそもそもまるで異なることも知らない元兵はすぐに理解が追いつかなかったが、きっとそうなのだと思って頷いた。


「うんこはどんな人間でもするものです。ほぼただで手に入るうえ、化学品を一切含んでいない栄養満点の肥料だ。そんなものが存在していたら、農薬は売れなくなってしまう。そこで農薬メーカーは、政治家に売上のいくらかを渡す代わりに、『うんこは汚いものだ』というイメージを国民に植え付けることで、うんこは溜めて使うものではなく、水に流して捨てるものであると、そんなものより農薬を使うべきだと、そう訴えたのです。また、政治家は農業団体に手を回し、農家が農薬を手に入れやすくするよう配慮を施すことで、農家は与党を支持するようになるうえ、農薬の売上が上がることで、政治家のもとにはさらに多額の汚い金が回るようになるんですよ。今、うんこの立場が低きにあるのは、これすべて、権力による陰謀なんです」


 意外な事実の連続に驚くばかりだったが、事実であるかどうかを考える前に、折花の言葉にはなんともいえない説得力があり、元兵はその情報の波にただただ飲まれていた。情報のプロフェッショナルが言ってるのだから、きっと間違いはないだろうと思った。


「これを見てください」


 折花はポケットからスマートフォンを取り出すと、元兵に画面を見せた。YouTubeの画面が開かれており、動画のサムネには「◯◯党の利権に切り込む!」と書かれてある。


「これは私が運営しているYouTubeチャンネルです。この動画の再生回数がわかりますか? 6万回。つまり、6万人の人間がこの事実を知っているのです。日本の人口から考えると、6万人なんてたいしたことのない人数だとお思いになるかもしれませんが、あの東京ドームの最大収容人数は5万5000人です。私が少し声掛けをするだけで、東京ドームを埋めることができるんです。そんな人間の言うことに、誤りがあったら大変ですよ。そんな嘘つきに、偽りなき情報を生命線としているPR会社なんて運営できないですよ」


 元兵は昔、オフ会の幹事になって参加者を募集したところ、自分以外誰も来ずにオフ会を中止したことを思い出した。それに比べて眼の前の男は……東京ドーム!

 それだけ、彼の言葉には多くの人間を動かすだけの価値と裏付けがあるのだろう。


「ときに、テレビや新聞はご覧になりますか? 不思議に思ったことはないですか? どうして、テレビや新聞はうんこを映さないのかを。排泄浴は食欲や性欲と同じ人間の欲望なのに、メシは映せても、エロは映せても、うんこは頑なに映さず、なんなら笑いものに仕立て上げる。大食い番組はあっても、大出し番組はない。濡れ場はあっても、漏らし場はない。それは、旧来のマスメディアがすべて、政府に潜り込んだ反日勢力の傀儡だからなんです。うんこのように国益につながるコンテンツに対し、ネガティブキャンペーンを展開することで、利権構造の保護に与しながら、この国にダメージを与えることができる。うんこの不当な扱いは、反日マスゴミの陰謀なんですよ。でも、オールドメディアに騙されない、本当に賢い人は知っています。正義はそんなところにはないと。私の動画の再生回数がその証明です。私は自分の言葉に、たしかな自信がある。それは私の言うことが『真実』だからなんです」


 元兵の頭に、殴られたような衝撃が走る。俺は今まで、何も考えずにテレビを眺めては、ゲラゲラと笑って、たまに社会問題に安直なツッコミを入れたりしている。

 でも本当は、実はこの国にもっと根深い闇が存在するにも関わらず、それらは何も報道されないまま、自分はメディアの情報に踊らされていただけで、本当に大事なことが何も理解できていなかったとしたら?

 そして、東京ドームの収容人数より遥かに多くの人間が、自分のように権力にとって都合のいい情報で洗脳されていて、それが「うんこは汚いもの」だとしたら?

 それこそ本当の意味で――“臭いものに蓋をする”だ。 


「でも私は、さっきの動画を出してからというもの、いろんな団体から嫌がらせを受けているんです。当然、利権に切り込まれたら困る者達からです。私は執拗な攻撃を受けて気付きました。悲しいかな、我ら無力な市民の訴える正義はいつでも脆弱で、権力はいつでも強大で、不正を訴えるだけでは勝てない、と」


 すると、折花はテーブルから身を乗り出し、元兵の手を取り、強く握った。湿っぽく、熱い手だった。


「しかし、そんなときに貴方から話を伺い、私はこれは運命だと思った。私は実直な性格のあまり、やり方が真っ直ぐすぎて気付かなかった。違うんです。相手を貶すのでなく、自分たちの魅力を訴えればいい。『うんこを人気者にする』。これだったんですよ、私達に、いや日本に必要だったのは。うんこをなぜ『黄金』と呼ぶのかわかりますか……それは、本来は輝ける存在だからなんです。これは古事記にも載っているんですよ」


 古事記にも……そうだ。人類が生まれて、歴史上で、うんこをしなかった時期なんてあったか。日本という国は、あらゆるものに神仏が宿ると信じてきた。だったら、人と常に寄り添い、自然の恵みを育んできたうんこにも、神が宿っているはずだ。

 そこで元兵は気がついた。この国は古来より、「黄金の国」と呼ばれていたそうではないか。そういえば縦に長い。

 うんこを忌み嫌うということは、この国そのものを憎むということだ。そんな反日的な思想が、この社会に跋扈していて本当にいいのか?

 俺が今ここにいるのは、うんこの魅力に気付けたのは、この国に宿る神仏の霊的な力に導かれた結果なのではないか?


「うんこが市民から大きな支持を得ることで、人々は既得権益の闇に目を向けるようになる。そうなれば、利権の存在も白日の下に晒され、あらゆる陰謀の正体が、国民の目が光る中で詳らかになるでしょう。そうなれば貴方は救世主だ。貴方がひり出したこのうんこが、正義のうんこが、日本を変えるのです」


 俺のうんこが、国を動かす。俺のうんこが、正義のシンボルに……。


「この仕事、受けさせてください。この国の闇に、光を突きつけるお手伝いをしてくださ……いや、お手伝いを。そしていつか、二人で迎えましょう――うんこ復権の日を」


 元兵は全身に感じる甘い痺れと、少しの不安と、強烈な高揚感の中にいた。じっとこちらを見つめる折花から、目をそらすことができなかった。


「さあ、一緒に叫びましょう。アンチうんこを……ぶっ壊す!」


 気が付けば、元兵は折花と一緒に、声高らかにそのフレーズを連呼していた。

 折花は頭の中で、こいつからいくら絞れるだろうと、電卓をはじいていた。


後編につづく

https://kakuyomu.jp/works/16818093089103658661/episodes/16818093089133584513



 


 

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