第三章・もう一度

しゅらららば22/喫茶店と告白



 カケルが風花に車で連れてこられたのは、先程までと反対側の、彼女のマンションのある方角にある店であった。

 例の事故現場から近く、オフィスビルの合間にある隠れ家的な喫茶店。

 生徒など絶対に来ないようなその店の、最も奥まった席に二人は座って。


「それで? 菫子ちゃんから、か、……天城くんが危機だって連絡来たんで助けましたけど」


「いやもうホント助かりましたヤッチー先生、聞いてくださいよ、リラってば初デートだって騙して俺をラブホに連れ込もうとしてですね――」


「――――もっと詳しく、詳細に」


「やっちー? ちょっと顔恐いんだけど???」


「はよはよ、私は冷静ではいられませんよ?」


「あっ、はい……」


 愚痴をこぼしつつ軽い説明で終わらせる算段であったが、カケルは風花に気圧されて詳しく話すことになった。

 最初は冷静に聞いていた彼女であったが。


「……で、ですね、連れてこられた場所がラブホだったんですよ」


「ふむふむ」


「当然、拒否するじゃないですか。俺の気持ちはそこまで行ってないし、でもリラがですね……その、――俺が忘れた恋人だって」


「――――――――――…………………………は、ぁ???」


 風花は目を丸くして驚いた。

 ただ驚いただけではなく珈琲カップを持っていた左手は震え、右手で持っていた小さなサンドイッチを握り潰して。

 カケルは彼女が一瞬だけ、憎悪をするように、悔しそうに唇を噛んでように見えたが。


「(気のせいかな?)あ、やっぱり驚くよなっ! だよなだよなぁ、俺も信じられなかったんですが、照れくさくて恋人だったのをみんなに隠してたって言うし、あのラブホで初体験しに行ったけど事故にあって、そのコトに悩んで……って感じで」


「そ、そーなんですねぇ……」


「俺の部屋に買った覚えの無い高価な物があるんですよね、リラって実家太くて実はお嬢様だし、プレゼントだったのかなって」


「……………………」


「んでその後でですね、菫子があたしも混ぜろって、……あれ助け船のつもりだったのかな、事態は悪化しましたけど結果的に助けてくれましたし。――あ、もしかしてやっちーに連絡してましたかアイツ? ……もしもーし、聞いてるやっちー?」


「あ、うん、ごめんごめん、聞いてましたよ。……でも、そっかー、へー、そーくるか、そーなっちゃったかぁ」


「……やっちー?」


 どうしたのだろう、とカケルは怪訝な顔をした。

 風花は悲しげな顔をしたと思えば次の瞬間、暗い顔をして、そのまま嫌に明るい笑顔を。

 ころころと表情が変わる姿を見れるのは嬉しいが、喜ばしい変化ではない。

 ――それに。


(どうして泣きそうな目をしてるんだ……)


 きゅっと胸が締め付けられるような痛み、誤解だと無意味に謝りたくなるような衝動。

 風花は部活の顧問で、保険医で、仲がいい教師と生徒というだけでしかないのに。

 手が届く距離にいる今、彼女は泣いていないのに涙を拭いたくなってくる。

 ――そんな顔をさせたかった訳じゃない。

 ――どうしてこんなにも罪悪感があるのだろう。

 ――カケルと風花は他人なのに、他人であるのに。


(まいった、俺はどうして……)


 まだ温かい珈琲カップを両手で包み込むように持ち、半分ほど減った中身を眺めた。

 黒い水面に己の顔が映る、躊躇いや葛藤を表すように揺れている。


(なんて不道徳だよ、恋人を忘れてしまって新しく好きになっちゃうなんてさ)


 別れた訳じゃないのに、目の前の彼女は年も身分も違うのに。

 少しでも側に居たくて、踏み込みたくて。

 でも、でも、でも、――だから、心のままに。


「今日はありがとうやっちー、…………風花」


「っ!? かっ、あ、天城くん!? どうして名前で」


「聞いて欲しい風花、俺は生徒で、風花は保険医だって分かってる、大人と子供で、こんなの間違ってるけど」


「カケル――ッ、それ、は」


「お試しでいいんです、仮でもいいんです、……他の誰にも伝えなくて良い、秘密にして誰にも知られずに、だから」


「待って、待ってください、待ってよカケル、どうしていつもヘンに思い切りが――」


「――好きです、俺と恋人になってくれませんか?」


 嗚呼、と漏れた声はカケルと風花、果たしてどちらのものであったか。

 静かにまっすぐと見つめ答えを待つ彼の前で、彼女は動揺しきょろきょろと瞳を動かしたあと俯いて。

 その白い頬に、ぽろぽろと涙がながれるのが見えた。

 ――これ以上何かを言うと、更に泣かせてしまいそうで。

 でも。


 泣かせたい訳じゃない、だけど笑わせる方法なんて知らないから。

 カケルは珈琲カップを置いて、サンドイッチを握り潰したままの風花の右手を己の両手で汚れるのも厭わずに包み込んだ。

 彼の掌の暖かさに、彼女ははっとなって顔を上げる。


「いつのまにか風花を愛していた、だから側に居たいんだ、迷惑なら今すぐこの手を振り払ってくれ、……少しでも俺に好意があるなら、どうか…………風花の笑顔が俺は見たいんだ」


「~~~~~~~~ぁ、ずるい、ズルいですよ、卑怯者、カケルくんは卑怯者ですよぉ……」


「卑怯でいいよ、答えをくれないか風花」


 カケルは微笑みながら、彼女の返答を待った。


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