2-19

「電話でもそう言っていたね。どうして2hillじゃないと言い切れるんだい?」

「だって、吉井くん、2hillがデビューする前に死んでますから」


 殴られたかのような衝撃だった。目の前が真っ暗になった。急に他の部屋から漏れ聞こえてくる歌声が気に障るようになった。


「そうなの?」


 突然、高い声が古館の耳をつんざいた。声の主は郁美だった。郁美は目も口も丸めて驚いた顔をしている。


「そうだよ。ああ、そっか、郁美は違う高校に行ったんだっけ。私と絵里奈は吉井くんと同じ高校に進学したから知ってるけど、吉井くん、高校生になったばかりですぐに死んだんだ」

 彩女の話に絵里奈も肯いてみせた。郁美はそうなんだと素直に事実を受け入れた。古館の頭はいまだにぐらりとしていた。


「吉井零士が死んだのは何年前?」


「えっと」と彩女は指を折って数え、「6年前です」と答えた。


 6年前。2hillのデビューは4年前だ。吉井零士は2hillのデビュー前に死んでいた計算になる。


「どういう亡くなり方をしたのかな。事故だったのか、それとも病気だったのかな?」

「さあ、詳しくは知らないんですけど、病気ではなかったと思います」


 彩女の歯切れは悪い。


「ああ、でも、病気っていえば病気だったのかな……病気というより、怪我といった方が正しいかなあ……」

「もしかして、自殺だったりしたのかな」


 絵里奈がぼそりと言った。彩女は肯定もしなければ否定もしなかった。


「自殺って、何で絵里奈はそう思うの?」と、郁美が古館に先だって尋ねた。

「吉井くんね、化学の授業中に薬品が顔にかかって火傷したんだ」


 彩女をうかがいながら絵里奈が語り始めた。彩女はその通りだと言わんばかりに肯いてみせた。絵里奈の記憶違いは彩女が正すか、足りない記憶は補完してくれるのだろう。


「危険な薬品だから気をつけて扱うようにって、実験の前に先生にすごく注意されていたのにね。吉井くんの不注意からの事故だったけど、先生はすごく責任を感じてしまったらしくて、腕のいい整形外科医を探す、費用は全部自分がもつって言ってたらしいの」

「そんな話、何で知ってるの?」

 珍しく彩女が驚く番だった。


「お母さんが、吉井くんのお母さんと知り合いでさ。お母さんから聞いたの。費用の心配はいらないからって熱心に勧めてくれたのに、当人が嫌がって困ってるっていう話も聞いた」


「変な話だね」

 郁美が割って入った。


「なんで?」と絵里奈が目をしばたかせた。


「だって、あれだけきれいな顔してたんだよ? 高校は別になったけど、私、吉井くんの顔は覚えている。あんなきれいな顔の男の人は吉井くん以外、いまだに見たことないもの」


「人間離れした顔だったよね」と彩女が口を挟んだ。「きれいすぎて女子にはかえって受けが悪かったけど」


「男子も、女みたいな顔だって言ってたっけ。近寄りがたいっていうか、だからか、いじめじゃないけど、仲間外れな感じで、独りでいることが多かったように覚えてる。高校でもそうだった?」


 郁美の問いかけに、彩女と絵里奈が同時に肯いた。


「それだけきれいな顔してたのに火傷しちゃって、整形で元に戻せるっていうなら、私なら絶対にする。しかも、費用も出してもらえるんでしょ? 嫌がるっておかしいよ。整形手術でも火傷の痕がなおらないっていうんだったら、悲観して死にたくなる気持ちもわからないでもないけど、そもそも手術自体を受けたくないっていうのは変、すごく変!」


「自殺はあくまでも噂だから」


 郁美に気圧され、絵里奈はたじたじになった。


「自殺とも考えられるような死に方だったのかな?」


 古館は絵里奈に尋ねた。絵里奈は少し逡巡した後、


「用水路で発見されたんです。自転車も一緒に落ちていて、自転車に乗っていてあやまって用水路に落ちたんじゃないかって言われてます。そうだよね?」


 同意を求められた彩女が肯いた。


「事故なんだと思う。でも、自殺かもしれないって噂が流れるのもわかる気がする」

「それはどうして?」


 古館に尋ねられ、彩女は考えこんだ。言うべきかどうか悩んでいるというよりは、言葉を探しているというようにみえた。


「吉井くん、自分の顔が嫌いみたいだったから」

「ええ? なんで? あんなにきれいな顔、羨ましいのに!」


 郁美が口を尖らせていた。美女ではないが、愛嬌のある顔立ちの郁美は、それはそれで可愛らしいのだが、隣の芝生は青く見えるのだろう。


「さっきも言ったけど、あんまりにきれいすぎて、学校で浮いてしまっていたから、じゃないのかな。呪われた顔だ、この顔のせいで不幸になるって、クラス代表でお見舞いに行った時に吉井くん本人がそう言ったの。その通り、不幸な結果になったけど」


 


 新幹線に揺られながら、古館は旅を振り返った。結論からいえば吉井零士は2hillではなかった。2hillがデビューする数年前に事故で亡くなっている。事故というが、自殺とも疑わしい事故だったという。


 死んだのは本当に吉井零士だったか、そんな疑いが頭をもたげてくる。吉井零士の顔は薬品による火傷で顔半分が爛れていたらしい。別の死体の顔を焼いて吉井零士に仕立てあげる、吉井零士本人は整形手術で元の顔に戻り、2hillとして……と考えてきて、背中がぞくりとなった。


 そんな馬鹿なことがあるか、吉井零士は死んだのだろう。


 しかし、二野宮達也の件がある。二野宮達也は書類上は死んだ人間だが、2hillとして生きている。吉井零士だって死んだことになっているが、ひょっとしたら2hillとして生きていたのかもしれない。


 どうなっているんだ、と、古館は我知らずのうちに頭を横に振っていた。あまりに強く降りすぎたせいで軽いめまいがした。世界がくるくると回っている感覚はめまいが収まった後もしつこく付きまとっていた。

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