2-12
年が改まってしばらく経った頃、古館は明神の自宅に招待された。中央線O駅から徒歩10分ほど、周囲のマンションに埋もれるような形で二階建ての細長い明神の自宅はあった。
「こんにちは。古館さん、ですね」
迎え出たのは明神の妻、紀子だった。明神と同じ年くらいか、少し年下か。小柄で色白、親しみのある面立ちの美人だ。
「明神は今、買い物に出ていますけど、すぐに戻りますから中で待っていてください」
玄関先に立ったそばから出汁のいい香りが古館の鼻をついた。
「おでんを作っているところです。お好きだといいんですけど」
古館が手渡したビールを受け取り、紀子は「ありがとうございます」と礼を言った。
「ちくわぶを忘れていたとかで、慌てて近所のスーパーに買いに行っているんです。ちくわぶってご存知ですか?」
「何ですか、それ」
怪訝な顔をしてみせた古館にむかって紀子がくすりと笑った。
「知らないですよね、ちくわぶ。東京ではおでんの種としてポピュラーなものらしいです。小麦粉をちくわの形に練った食べ物です。私も東京に出てきて初めて食べました」
「おでんはこちらでも食べてますが、ちくわぶなんてものがあるなんて知らなかったなあ」
「知らないと注文もしませんものね。古館さんはどちらの出身ですか?」
「鹿児島です。紀子さんは?」
「私は秋田です。秋田といえばきりたんぽですけど、材料が米と小麦粉という違いこそあれ、ちくわぶもきりたんぽも似たようなものです」
なるほど、では、ちくわぶなるものはきりたんぽに似た形状で味は小麦粉だと想像していると、明神が帰ってきた。
「ああ、古館さん。いらっしゃい」
明神は息せき切って駆け込んできた。「靴、脱ぎっぱなし!」と、台所へと駆けこんでいく明神と入れ違いに紀子が玄関へと向かった。
「すいません、お待たせして。おでんにしようと思っていろいろ揃えたんですが、ちくわぶを買い忘れてしまったもので、急いで買ってきたんです」
明神が買い物袋の中身をぶちまけてみせた。調理台の上に棒状のものが転がった。ハサミで切られたプラスチック包装からちくわぶなるものがまな板の上に転がり出てきた。なるとの親分のような大きさの練り物だが、ちくわのように中央に穴が開いている。材料が小麦粉だからか色は乳白色だ。
「これが、ちくわぶ、ですか」
「あ、古館さんも知らなかった口ですか? 出身、どちらです?」
「鹿児島です」
「ちくわぶが東京のものだということを僕は逆に知らなくて、紀子にちくわぶって何と聞かれて初めて全国区のものではないんだと知ったんですよ」
ちくわぶは斜めに二つに切られ、ぐつぐつと煮立っている鍋に次々と投げ込まれていった。
「関東風のしょうゆが濃い目の味付けですけど、構いませんか?」
「うまけりゃ何でもいいですよ」
鍋を食卓のカセットコンロに移し、古館が買ってきたビールで乾杯した。初めて口にしたちくわぶは、とかしきれなかった小麦粉の塊を食べているようで味気なかった。
腹が一杯になったところで話は本題に入っていった。そもそもおでんを食うために集まったわけではない。情報交換が目的だ。
「3年前、2hillは死んだ。ところが半年前、よみがえったと言って活動を再開、死んだはずの本人だと主張している。テレビ番組で事故前と同一人物だと証明された」
すっかり炭酸が抜け、生ぬるくなったビールで古館は喉を潤した。台所では紀子が後片付けに勤しんでいる。
「例のテレビ番組には何かトリックがあると僕は思っています」と明神が返す。「どういうトリックなのかはわかりませんが」
「トリックがあるはずだと考えるのは思い込みかもしれない」
古館の言葉に明神がはっとなった。
「それはどういう?」
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