第1章 復活
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生きていられたはずがない。
車窓を流れていく雑居ビル群を見ながら、明神智則はそう思った。
どれくらいの高さがあるのかはわからないが、屋上から転落したら生きてはいられまい。
ぐしゃり。
その音を聞いた気がして、明神は我知らずのうちに身を震わせた。
「冷房効きすぎですか?」
隣に座るカメラマンの川島英治が尋ねた。若さゆえか小太りの体型のせいか、川島は暑がりだ。若いというが、後数年で三十歳、三十一歳の明神と大差ない。
「武者震いだよ」
「暑くなりそうですねえ」
川島は首を折り曲げ、車窓をのぞきこんだ。
ビルの谷間には台風一過の青空が広がっている。どんなに晴れていてもどこかくすんでいる都心の空だが、大雨と暴風とに晒され、洗いたての眩しい青空だ。
「雲ひとつないや。十月だってのに、これは暑くなるなあ」
着いたら起こしてくださいと言うなり川島は両腕を組んでうつらうつらし始めた。
二人を乗せた新幹線はスピードを増して都心を通り抜けようとしていた。
転落事故のあったビルの高さは何メートルだったのだろう。正確な数字は覚えていない。覚えているのは8階建てのビルだったということだけだ。8階建てのビルの高さは何メートルになるのだろう。
いや、正確な高さなどはどうでもいい。重要なのは、8階建てのビルの屋上から転落すれば死ぬという事実だ。
人間ならば……
生きていられたはずがない。
彼はよみがえったと言っている。
「よみがえった」というからには、一度は死んだのだ。
死んだ人間は生き返りはしない。
彼は、自分は人外の存在だからよみがえることが出来たと言う。
人外の存在だからよみがえったという彼の主張を信じる人間はいない。いるかもしれないが、ごく少数だろう。騒いでいる連中は信じているふりで面白がっているだけだ。
人外の存在などというものを本気で信じているわけではなく、よみがえったと主張している人物は死んだ人間のそっくりさんといったところだろうぐらいに考えている。その上で死んだ人間が生き返ったファンタジーを楽しんでいる。
明神はしかし、不愉快で仕方がない。腹立たしい思いでさえいる。
死んだ人間は生き返りはしない。
なぜ、よみがえらせるのか。
静かに死なせておけないのか。
胸の奥底に、彼女を喪った時の悲しみが沸き起こってくる。
よみがえるのは当時の感情ばかりで、彼女はよみがえらない。
彼、2hilニヒルは、8階建てのビルの屋上から転落し、死亡した。3年前の当時、若者に絶大な人気を誇っていたミュージシャンで、新曲のプロモーションビデオを撮影していた最中の事故だった。
2hilの死はファンに衝撃を与えた。2hilのいない世界に絶望し、多くのファンが彼の後を追って死の世界へと旅立っていった。ファンの後追い自殺は社会問題となり、毎朝新聞社会部の記者として明神は記事を書いた。
半年前の四月、2hilが「よみがえった」として突如、新アルバム、その名も「復活」を発売、活動を再開した。
世間は大いに沸いた。よみがえったと主張する人物は果たして死んだ2hil本人なのかどうか、大真面目に(または真面目を装って)議論を重ねている。
マスコミが取り上げるものだから、2hilの人気が再燃した。新しいファンがつき、旧譜がチャートを賑わしている。レコード会社の思惑通りだ。
2hilが事故死した直後、レコード会社はメモリアル盤、ベスト盤、ファンセレクト盤と銘打ったコンピレーションアルバムを数多く発売した。2hilが死んでしまった以上、新曲は二度と発表されない。すでに持っているCDに収録されている曲と同じだと承知のうえでファンは2hil恋しさにCDを買い漁った。
死人で散々稼いでおいて、今また一儲けしようとレコード会社は死人をよみがえらせた、明神はそう考えている。新人を売り出すには時間と金がかかるが、かつて売れていた死人を引っ張り出してくれば、昔からのファンはもとより、物珍しさから新しいファンがつく。死から「よみがえった」と言えば話題になる。金をかけて宣伝などしなくてもマスコミの方が黙っていない。活動再開を宣言したと同時に発売された新アルバム「復活」は売れに売れている。レコード会社は今頃笑いが止まらないだろう。
だが、明神は腹が立って仕方ない。
レコード会社は、2hilを愛し、彼の突然の死に絶望して命を絶ったファンの若者たちの存在をどう思っているのか。死んだ2hilを今また表舞台に立たせるとは、その死を悲しんだファンの気持ちを踏みにじる行為ではないか。
2hilにインタビューしたい。明神は社会部キャップに頼み込んだ。文化人、芸能関係者への取材は通常、文化部が担当する。三年前の社会問題と絡ませた記事にするならという条件でキャップは取材を許可してくれた。言われなくてもそうするつもりでいる。
今日がインタビューの日で、明神は長野県にある2hilの自宅に招かれている。
新幹線の車窓を流れる景色には緑色が濃くなってきた。
そろそろ川島を起こさなくては。
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