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 困惑するリザイデンツを置き去りに、ネルロはまた泣きじゃくり始める。リザイデンツが声をかけても子どものようにわんわん泣き続けるだけだ。


 仕方がないので気のすむまで泣かせることにしたリザイデンツ、隣に腰かけるとネルロを軽く抱き寄せて、髪を撫でたり背中をさすったりしていた。ついでにじっくりネルロを観察する。


 首筋の噛み痕はジュリモネアが付けたものだろう。だったら、やっぱりジュリモネアを獲得したのはネルロ。いいや、身体は共有しているのだから決めつけるわけにはいかない。


 しかしネルロは『ジュリモネアが好きでたまらなくなった』と訴えている。それはこの噛み痕がもたらしたものだ。愛の呪縛を施されると交わりの喜びによって眷属の血が目覚める。その結果、絶頂を迎えた時、無意識のうちに相手を吸血する。その刺激が相手をも絶頂に導く……わたしの知識ではそのはずだ。


 その知識が正しければ、少なくともは成功したらしい。まぁ、二度目からは吸血しなくても可能らしいから、時には失敗することもあると聞いている。いつだったか侯爵が『昨夜は疲れていて、途中で眠ってしまってね。カテネルレ侯爵夫人を怒らせてしまったよ』と愚痴っていたことがあった。


 問題は、ジュリモネアを眷属に引き入れたのがキャティーレとネルロ、どちらなのかということだ。


「ネルロさま。ジュリモネアさまはどうしていらっしゃるのですか?」

少し落ち着いたところでネルロに訊いてみた。するとヒクヒク咽喉を鳴らしながらも

「まだ寝てる」

と答えがあった。寝ているのをネルロが知っているのなら、ジュリモネアはキャティーレの寝室にいるということだ。


「どんな様子でしたか?」

続けてリザイデンツが訊いた。


「ぐっすり眠ってた以外はよく判らない……ジュリモネアに気づいた途端、その、なんだ。強烈にしたくなって、でも、彼女の首筋には噛み痕があって」

「ネルロさまが付けたのではなくて?」

「たぶん違うと思う。僕には判らない」

ってことはキャティーレだ。


「ねぇ、リザイデンツ。僕の判断は正しかったんだよね? 凄く自分を抑えつけたんだ。そうじゃなければ僕、ジュリモネアをちりにしちゃってたよね?」

子どもの頃のままの顔で、縋るような目つきで見上げてくるネルロをリザイデンツに突き放すなんてできない。

「賢明なご判断です。ネルロさま、よく我慢なさいましたね」


 正直リザイデンツには判らなかった。キャティーレとネルロは別人格だ。でも厳密に言うと別人じゃない。我ら吸血の一族は昔の誓約が今も有効で、初めて交わった相手以外と交われば塵と化して消えてしまう。


 ネルロの話しからジュリモネアに愛の呪縛を施したのはキャティーレだと判った。つまりジュリモネアは眷属となった。キャティーレ以外と間違ってでも交われば、塵と化す運命を負ったのだ。だが……ネルロはキャティーレ以外に含まれるのか? ネルロはそう思い込んでいるようだ。はっきりしたことはリザイデンツには判らない。けれど否定すれば余計にこんがらがっていく。


 侯爵に訊いてみようか? 博識な侯爵ならあるいは……いや、侯爵も知らなさそうだ。キャティーレがネルロになってしまうのが判明した時、こんなケースは聞いたことがないと頭を抱えていた。それに侯爵は病床、ややこしい問題を報せるのは忍びない。


「えっと……聞きづらいのですが、目が覚めた時、ネルロさま、服は?」

ちょっと躊躇ためらってから、いつものようにキャティーレを罵るネルロ、

「着てなかった……くそっ! キャティーレのヤツ、脱いだ服をベッドの周りに散らかしっぱなしだった」

リザイデンツが慌てて

「その服は?」

と訊いた。


「ジュリモネアの目が覚めた時、キャティーレの服があるのに本人が居ないのは拙いと思って、ドレスルームに放り込んだ」

「いい判断でしたね」

リザイデンツがホッとする。


「それと、ジュリモネアさまの服はどうしましたか?」

どうせ脱ぎっぱなしで放置されていたはずだ。キャティーレの服と一緒にドレスルームに入れられていなければいいのだけれど。


「えっ?」

顔を赤くして、ネルロが俯く。

「ジュリの服には触れない。そのままにしてきちゃった……ダメだった?」

上出来でございます。あのドレスルームに他人が入っちゃ困る。ネルロのクローゼットもあるのだから。


「それでよかったのですよ。ジュリモネアさまの侍女に片付けて貰いましょう――ではわたしは、ジュリモネアさまを迎えに行くようナミレチカに言いに行きます」

立ち上がったリザイデンツ、ネルロが、

「じゃあ、僕は……ここにいてもいい?」

リザイデンツを見上げる。


「もちろんでございます――ソファーで申し訳ありませんが、よろしかったらお休みください。今、毛布をお出しします」

「すぐ戻ってくる?」

「そのつもりですが……ネルロさま、お食事は?」

「そう言えば空腹」

「厨房に行って、食事を貰って戻ってきます」

「うん、リザイデンツが戻ってくるまで起きて待ってるから、急いでね」


 キャティーレの部屋にはジュリモネアがいる。だからネルロはそちらに戻れない。


 女神のレリーフの扉をノックすると、すぐにエングニスが顔を見せ、リザイデンツが何も言わないうちに、エングニスの後ろで乱暴にドアを開ける音がした。

「ジュリモネアさまがお戻りになりません!」

駆け寄ってきたナミレチカがエングニスを押し退けてリザイデンツに訴えた。


 昨夜のうちにジュリモネアはキャティーレの部屋で過ごすと連絡しておくべきだったか? しかし、本当にそうなるか、はっきりとは判らなかった。だからキャティーレがジュリモネアと自室に入った後、リザイデンツはお茶とジュースを乗せたワゴンをキャティーレの部屋の前に置いておいた。その際そっとドアを確認したが、やはり施錠されていて開かなかった。


 鍵をしたのはリザイデンツが入って来れなくするためで、キャティーレにジュリモネアを閉じ込める意図はないとリザイデンツは思っていた。ジュリモネアが自分の部屋に戻りたいと言えば、キャティーレは女神の部屋までジュリモネアを送って行ったことだろう。キャティーレならそうするはずだ。


 女神の部屋に来る前に、キャティーレが自室としている『冬の陽だまり』には寄ってきた。廊下にリザイデンツが置いたワゴンはなかった。キャティーレが部屋の中に入れたとしか思えない。気を利かせろの言葉の意味は、部屋に来るな、だったのか、それとも飲み物を工夫しろだったのか?


 蒼褪めているナミレチカにリザイデンツが

「ジュリモネアさまはキャティーレさまのお部屋にいらっしゃいます」

事も無げに言った。


「それって……キャティーレさまと?」

顔を引きつらせるナミレチカ、後ろでエングニスがムッとしているのがリザイデンツにも判った――

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