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ジュリモネアは床にペタンと座ったまま、キャティーレは膝をついたまま、互いの表情を探っていた。
キャティーレにしてみれば、目の前に居るのが現実のジュリモネアなのか、夢見るジュリモネアなのかが判らない。でも……
(なんで歓迎の晩餐の時に気が付かなかったんだろう?)
と思っている。どちらも見た目は同じだ。見分けがつかない。
晩餐の時は父が決めた婚約者という思い込みから、毛嫌いしてロクに顔も見なかった。夜中に森で見た時は魔獣退治でそれどころじゃなかったし、声でジュリモネアだと判ったから気にもしなかった。
そうだ、領内を探しても見つけられるはずがなかった。近くに住んでいるというのはわたしの思い込みだ。また会いに来ると彼女が言ったのを、気軽に会いに来られる近さと勝手に思ってしまったんだ。
だけど、性格まで同じってわけでもなさそうな気がする。夢見るジュリモネアは控え目で、口数が少なくて、うっとりするような笑顔でわたしを見詰めてくれた。
うっとりするような笑顔? それは……今、目の前にいるジュリモネアもそうだ。だったらこれは夢見るジュリモネアなんだろうか?
いっぽうジュリモネアのほうは、自分がどうしてへたり込んでいるのかがよく判らない。必死で記憶の糸を手繰っている。
そうだ、わたしプロポーズされたんだ。はい、承知いたしましたって答えようとして……答えたんだったっけ? そのあたりがよく判らない。急に気が遠くなって、そうか、わたし、だからここに座り込んじゃってるんだわ。貧血かしら? 貧血なんか起こしたことがないからよく判らない。
キャティーレさまが不安そうな顔をしているのは、ひょっとしてわたしのことを病弱だと思ったのかな? 風邪を引いて寝込んだばかりだし、病弱なことをわたしが隠していると思っているのかも。病弱な妻なんて嫌なはずだわ。
こないだ花畑でも気が遠くなった。でもあれは風邪のせい。風邪で気が遠くなるのかなんて判らないけど、お医者さまが風邪だって言ったのだからそうなのよ。そして今は風邪をぶり返した。良くなったからって、すぐに動き回り過ぎたんだ。健康だけが取り柄なのに病弱だなんて思われたくない。ここは弁解しなくっちゃ。
「あの……」
「えっと……」
と、呼びかけたのは二人同時、思わず言葉を止めてしまった。そしてどちらも相手の言葉の続きを待っている。そう、見つめ合ったまま……
先に決断したのはキャティーレだった。リザイデンツを遠ざけた理由を思い出していた。この娘に『愛の呪縛』を仕掛ける権利があるのは婚約者のわたしだ。
「ジュリ、わたしの妻になってください」
この呼び方なら現実でも夢の中でも大丈夫なはずだ。
名を決めろと言われ、本人とかけ離れていないほうがいいと思い〝ジュリ〟にしてしまった。現実のジュリモネアを夢見るジュリモネアと間違って呼びかけてしまうことも考えてって打算もあった。だけど喜んでくれたから、これでよかったんだろう。
ジュリモネアがマジマジとキャティーレの顔を見る。良かった、嫌われてない。それにしても……なんでこんなに嬉しいんだろう? やっとここに辿り着いた、そんな気がする。
「はい、承知いたしました」
キャティーレから目を離さずジュリモネアが言った。
「生涯あなたの傍を離れません」
あれあれ? こんなこと言うつもりじゃなかったのに。でもいいや、結婚するんだもの、結局そうなる。
「ジュリ……」
きっと夢の中のジュリモネアだ、そう感じるキャティーレ、胸に込み上げる熱さ、やはり愛しい恋焦がれた人、
「愛しているよ」
ジュリモネアを見詰めたまま囁いた。
愛してる? 一抹の不安をまたも感じるジュリモネア、会って間もないのになんでそう言い切れるの? でも、深く考えるのはやめよう。
キャティーレが恐る恐る手をあげてジュリモネアの頬に触れる。ジュリモネアに拒む様子はない。だから思い切って訊いてみた。
「キスしてもいいか?」
さっきいきなり倒れ込んだ時は拒まれたと感じた。きっとそうじゃない、驚いただけだ。
ジュリモネアは答えてくれない。返事の替わりに、キャティーレを見詰めたまま目を閉じた――
やっと夜が明けたというのに、乱暴にドアを叩く音にリザイデンツが目を覚ます。
「リザイデンツ、起きろ!」
ネルロだ。やっぱり来たかと思いながら起き上がり、ガウンを羽織った。
ネルロは怒っているようだ。と言うことは、キャティーレは目的を果たしたのだろう。これから忙しくなる。キャティーレの婚姻式の準備を本格的に始めなくてはならない。でもその前に、ネルロを納得させるのが先だ。ネルロの協力が必要だ。
「どうしたのです、ネルロさま?」
自分でも白々しいと思いながらそう言って、リザイデンツがドアを開ける。
「リザイデンツ……」
リザイデンツを見るなりネルロが情けない声になる。そしてポロポロと涙を流し始めた。
「なにしろ中へ……誰かに見られると拙いことになります」
ネルロを抱きかかえ部屋に入れるとドアを閉めた。
ソファーに座らせてからもネルロは泣きじゃくっている。それを眺めながらリザイデンツは茶を淹れた。泣き声と嗚咽の合間に『キャティーレが』だの『ジュリが』だのと聞こえる。そう言えば、初めて顔を見た時ジュリモネアは『ジュリでいいわ』と言っていたなとリザイデンツが思い出す。
おおよそ判っているのにリザイデンツがネルロに訊ねた。憶測よりも確かなことを聞いておいたほうがいい。
「どうしたのです、ネルロさま? リザイデンツにお聞かせください。わたしにできることがあるやもしれません」
ネルロの前にティーカップを置きながらリザイデンツが言った。
「熱いから気を付けるのですよ」
心の中でリザイデンツがネルロに話しかける。わたしにとってはキャティーレ同様大切に慈しみ育てた可愛いネルロ、泣かせたくはなかった。だけど人生には泣くしかない時もあるのです。諦めなさい……執事だ秘書だと言ってもしょせんは召使の一人に過ぎない。主筋のネルロ相手に、面と向かっては言えなかった。
ティーカップを両手で包み込むように持ったネルロが茶を啜る。少しは落ち着いてきたようだ。それでも時どきしゃくりあげる。辛抱強く、ネルロが話し出すのを待つリザイデンツだ。だが、ネルロがやっと口にした一言に仰天する。
「リザイデンツ……ジュリが好きで好きでどうしようもなくなった。僕はどうしたらいいの?」
涙で潤んだ目で自分を見詰めるネルロにリザイデンツが絶句する。
まさか……ネルロがジュリモネアに『愛の呪縛』を?
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