25

 コンテス村の牧草地に行ってくる……庭の手入れを一通り終えたネルロが屋敷に戻って行く。部屋で着替えてから出かけるのだろう。やっとネルロの小言から解放されたリザイデンツ、ネルロが使った道具を片付けてから自分も屋敷に戻っていった。


 するとリザイデンツを待っていたのはマリネ、

「ネルロさま、朝食を摂らずにお出かけになりました」

すぐに奥から出てきて報告した。


「あぁ、コンテス村に行くと言っていた。ティータイムには戻るだろうから、何か軽いものを用意しておいてくれるかな?」

「承知いたしました――しかしリザイデンツさま。キャティーレさまと言いネルロさまと言い、食が細すぎます。お二人とも、一日に一食か二食しかお召し上がりになりません。しかも不規則。特にキャティーレさまは深夜に召しあがることが多く……あれではお体に障ります」


「そうか、心配かけて済まないね」

「リザイデンツさまから、もう少しご自身を大切になさるよう、仰っていただけませんか?」

「うん、折を見て注進しておく。だが、聞き入れてくれるかどうかはなんとも言えないよ。まぁ、二人ともお元気だ。きっと今の量で足りているのだよ。わたしもちゃんと見ているから、マリネが気に病むことはないからね」


 キャティーレとネルロが同一人物(と言っていいのか迷うところだが)だと知っているのは、病床のドルクルト侯爵とリザイデンツだけだ。眷属である屋敷の召使たちさえ知らない。吸血の一族でも、キャティーレのようなケースは聞いたことがなかった。だから秘密にしたほうがいいと、ドルクルト侯爵は判断した。

『多重人格と言うのは聞いたことがある。だがキャティーレの場合、髪の色も変わってしまう』

我が一族に、己の姿を変える能力はない。


 双子だということにするか? 出産に立ち会った医師や助産師の手前、それはできない。だからネルロは親族、妻の妹の子だとした。


 侯爵夫人の妹は、夫人の出産と時を同じくして難産でこの世を去っていた。侯爵がネルロの存在に気付いたのと同じころ、夫人の妹の夫が後妻を迎えることになった。夫人の妹の命を奪った難産は死産だったが、遠く離れた他家での出来事、言わなければ知られることもない。遺児を預かって欲しいと言われ引き取ったのがネルロ、そんな話をでっち上げた。


 それにそんな話なら、もしもキャティーレがネルロに変わることがなくなっても、ネルロは生家に呼び戻されて居なくなったことにできる。


 だから屋敷の者どもはネルロが眷属だとは思っていない。力の強い魔法使いだと思っている。もちろんネルロの前で、自分たちが吸血の一族だと知られないよう気を使っている。そして、キャティーレとともにこの屋敷で育てられたネルロに愛情を感じないはずもなかった。


 斯くして、夜は自室に引き籠って魔法の勉強をしているネルロと、夜の魔獣退治に備えて昼は自室で寝てしまうキャティーレが出来上がった。


 吸血の一族を吸血鬼などと呼んで、面白可笑しく物語に描かれることがあるが、あれは虚構だ。永遠に生き続けるだの、太陽の光を浴びたらちりになってしまうだの、殺すには銀製品を使えだの、鏡に映らないだの、教会や聖水やニンニクが苦手だなんて全部でたらめだ。ただ吸血の一族が他の人間と違うのは、生きていくのに人の生き血を必要とすることだけだ。


 それだって繁殖に必要なだけで、子どもの頃には不要だ。性衝動と吸血衝動は密接に結びついていた。性的な欲望を持たない限り、吸血衝動は起きない。そして吸血しない限り、生殖機能は不完全なままだ。吸血が射精と排卵を促し、次世代へと命を繋ぐ。


 もちろん性交は快楽を伴うわけで、そのあたりは一族以外の人間と変わりない。生涯一人の配偶者を守ると誓約する前は、欲望から手当たり次第に相手を求める者もいた。だが、吸血した相手を必ずしも眷属に引き入れることはない。気に入った相手だけだ。いわゆる遊びの相手は、吸血し欲望を果たせば不要、しかしその相手は血を失えば命も失う。それが問題だった。


 そして問題は他にもある。いったん動き始めた生殖機能は停止したりしないということだ。健康ならば性欲もあってしかるべき、だがこれは決まった相手、要は配偶者が居るから解決される……はずだった。


 なぜ『生涯一人を配偶者と定め』なんて誓約したんだ? 生涯一人ではなく、単に配偶者としていれば、再婚だってできない話じゃない。祖先を恨むが誓約は撤回できない。お陰で、妻を亡くしたドルクルト侯爵のように、渇望で心と身体が弱ってしまい命尽きる者が出てくるのだ。


 マリネが自分の持ち場に消えた後、リザイデンツはドルクルト侯爵の部屋に向かった。毎日一度は訪れ、報告を入れている。


 今日は幾分加減がいいようだ。サンルームでお茶を楽しむ侯爵を見て、リザイデンツがホッとする。侯爵の部屋は、調度品は違うがジュリモネアが通された部屋と同じ造りだ。


「今日はご気分がよろしいようですね」

リザイデンツの愛想笑い、侯爵も微笑みで返す。


「昨夜、キャティーレが庭でダンスしていた相手はジュリモネア嬢?」

それを見られていたか……


「ダンスしたのは真夜中と聞いております。そんな時刻にお起きなっていては、お身体に障りますよ」

「うん、なんだか目が覚めてしまってね……ご挨拶にいらした時には驚いて、不躾にもじろじろ見てしまったよ。美しいお嬢さんになられたね。ダンスを楽しむなんて、キャティーレも気に入ったんだろう?」

「えぇ、まぁ、婚姻の準備を始めるよう言いつかりました」

「そうか。結婚式にはわたしもぜひ出席したいものだ――司祭は元気か?」


「前回お会いした時は、腰が痛むと仰っていました。まぁ、お年ですから。明日あたり、教会の都合を窺いに行こうと思っております」

「そうだな。ダンコム伯爵に会うのも久しい。もちろん挙式にはおでになるのだろう?」

「花嫁の親族なしの挙式など考えられませんよ。昨日、ダンコム伯爵には書簡をお出ししております。追い追いご都合を知らせてくれることでしょう」

そうかそうかと頷くドルクルト侯爵、微笑みを消すことなくそれを眺めるリザイデンツの胸中は複雑だ。


 病床の侯爵にキャティーレとネルロの三角関係について相談するのは躊躇ためらわれた。


 今でもドルクルト侯爵は時おり口にする。

『キャティーレの異変に気が付いた時、すぐに対処していれば、ネルロは存在せずに済んだかもしれない』


 幼児期が過ぎ、自我が確立してくればネルロは消えると見込んでしまった。でもそれは間違いで、青年になった今でもネルロの存在は消えていない。


 そしてリザイデンツは知っていた。妻を自死に追いやったのはきっとネルロの存在だと、ドルクルト侯爵が考えていることを――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る