覇道と詐術
三日後。
夜明けと共に王都へ向かったヴァロワ王家の使者は、陽が東の山から離れきるよりも早く帰ってきた。先方の返書は、ほとんど即時に用意されたようだ。ならば内容は明らかだ。
最寄り街中央庁舎の大ホールで、エティエンヌは書状の封を開けた。
「王都ブリアンティスを不当に占拠する貴族連合軍は、我々の寛大なる退去勧告を拒否。無為なる抗戦を通告してきた。従って我は、貴族連合盟主に対する宣戦をここに布告する」
背筋に緊張が走る。いまだ貴族連合は王国西部を広く支配しており、王都を奪還しても戦は終わらない。だが東部地域がほぼ王家に帰順した今、中央部に位置する王都が手中に戻れば、勢いは大きく王家側に傾くはずだ。この戦いで流れが決まる。
「全将兵に告ぐ、戦闘準備を整えよ。現在より我々は王都の貴族連合軍と交戦状態に入った。いかなる不測の事態にも対応できるよう、備えを整えよ」
諸将が敬礼し、次々と辞去していく。
作戦はこの三日間に打ち合わせた。あとはこちらの読み通りにさえなれば。
俺はホールを辞去し、厨房へ向かった。今日も狐火葵のギモーヴを作らねばならない。今回の切り札は「その時」が来るまで作り続ける必要がある。
だが戦術的な意味以上に、菓子を喜ぶ王子の顔が脳裏を離れない。
「今度こそは、人があまり傷つかなきゃいいんだがな……」
独り言が漏れる。あの笑顔を、できればあまり曇らせたくはない。願いつつ俺は、ギヨームから受け取った狐火葵の根を煎じ始めた。
この力を実戦で使ったことはまだない。ヴィクトールは甘い菓子にあまり食指を動かさなかったし、それ以上に戦術の方針と合わなかった。かの炎竜王は、内実がどうであれ、見た目上は大兵力と「魔法の」炎で圧倒する戦い方を好んだ。完膚なきまでに己の力を見せつけるのが、かの絶対王者の戦い方だった。
だが力を示せば、それだけ犠牲も増える。
これから俺たちが実行する作戦は、詐術の
「エティエンヌはエティエンヌだ……父親とは、違う」
また言葉が漏れる。半分は俺自身に言い聞かせていた。
仕える王が違えば、歩む道もまた異なるはずだ。エティエンヌを導きつつ、俺自身もまた、ヴィクトールの影を断ち切らねばならない。
互いにとってこの戦いが、新しい
宣戦布告から半日。昼下がりのバルコニーから見える景色は、不気味なほどに昨日までと同じだ。ハーブティーを酌み交わしつつ、俺とエティエンヌは眼下の景色を眺めた。
「変わらないな」
「ああ。怖いくらいに動きがねえな、双方」
いまだにヴァロワ王家軍と、王都の貴族連合軍との間には、一切の戦闘が起きていない。王家軍は駐屯地である街から動かず、貴族連合軍も城壁外に出撃してこない。王都城壁の上に兵士たちは見えるが、隣町からでは芥子粒ほどの大きさだ。目を凝らさなければ見えない。
とはいえ、俺たちが動かないのは作戦の内ではあった。
「あちらさん、様子見で出撃してくるかと思ってたがな」
「それだけ慎重を期しているのだろう。だからこそ私たちが鍵になる」
「だな。あとは、あちらさんがどれだけ乗ってくれるか」
傍らの机の上には、昨日までと同じく狐火葵のギモーヴが皿に盛られている。俺は山の上からひとつを摘まみ、手中のティーカップに落とした。水面に粉砂糖がぱっと散る。
「アメール?」
エティエンヌが咎めるような声を発した。
「ああそうか、この食べ方を見るのは初めてか……ギモーヴはな、温かい飲み物で溶かしてやっても美味いんだぜ。このハーブティーも狐火葵だからな。同じ草同士、相性はぴったりのはずだ」
にやりと笑い、ギモーヴ入りの茶を飲み干す。
思った通り、表面が緩んだギモーヴから、狐火葵の酸味と砂糖の甘味が強く溶けだしている。両者がハーブティーのほのかな香りの中に広がり、別々に飲み食いするのとはまた違った趣がある。
エティエンヌが怪訝な顔で、摘まんだギモーヴを眺めている。交戦中の軍隊の総大将とは思えない、無防備で素直な表情だ。なにやら、無垢な若者に悪い遊びを教えているようで愉しい。
「まあやってみな。溶かし加減は好みでいいぜ。なんなら全部溶かしちまっても、それはそれで美味い」
白い指から、薄黄色の塊が落とされた。ティーカップに浮く菓子を見つめるまなざしが、あまりにも真剣で可愛い。
しばらく無言のまま、時が過ぎた。
塊が半分ほど溶けたところで、エティエンヌはカップを取り、やたらに緊張した面持ちで口へ運んだ。が、すぐに表情はほころんだ。
「確かに……美味しい。溶けかけたギモーヴが、甘くてとろとろしていて、こう――」
言いつつエティエンヌは、ポットからハーブティーを注ぎ足した。そして今度は二つ、ギモーヴを投入する。
味については饒舌なエティエンヌが、今は言葉を忘れている。無言の絶賛が、料理人としてはたまらなく嬉しい。
同時に、少しばかり胸の内が重くもあった。このティータイムの目的を、エティエンヌも俺も忘れてはいない。これは、ただ楽しむためだけの茶会ではないのだ。
俺は若干の緊張をも覚えながら、ギモーヴ入りハーブティーを飲み続けるエティエンヌを、じっと眺め続けていた。
陽が山に隠れれば、秋の平原は急速に闇に落ちていく。西の空から赤味がすっかり消え、星々のまたたきが天を満たした頃、俺とエティエンヌは覆い付きのランタンを手に街を出た。
衛兵数人に守られつつ、ランタンの火と月明かりを頼りに街道を進む。王都東門を視界に捉えたところで、全員が歩を止めた。
「準備、いいか」
エティエンヌは無言で、両の掌を門へ向けて掲げた。俺も、
「はぁあぁ、っっ……!」
気迫と共に、マナを解放する。
ぞっとするような冷気と共に、白い霧が立ち籠めた。霧は凝集し、無数の人の形をとった。
青白い肌に白い髪、冷たい鉄の鎧兜。一切の生気が感じられない人影が、数百体現れた。剣と槍とを一斉に掲げ、門へ向けて行進していく。
俺とエティエンヌは頷き合った。
「退くぞ」
「ああ」
俺たちはそれ以上何もせず、街道を引き返した。
しばらく行くと背後から、慌ただしい騒ぎ声が遠く聞こえた。振り向けば、物見櫓には灯りが点き、人影へ向けて矢が降り注いでいた。貫かれた影が、煙のようにかき消えていく。
あれは、狐火葵のマナで生み出された幻影だ。かの神聖植物は、狐火や人魂、幽鬼や亡霊の出る沼に育つ。植物が幽鬼を生んでいるのか、幽鬼のいる所に植物が育つのか、因果関係はわからない。確かなのは、亡霊めいた幻を生み出す力が植物に宿っていることだ。
幻影は、実体のある物に触れられれば消える。戦力としては役に立たない。だが、干戈を直接交えるだけが戦いではないはずだ。使いようはいくらでもある。
ヴィクトールの下で、この力を実戦に使ったことはない。王宮内での軽い見世物に、何度か出してみせた程度だ。だがそのときに、現れる幻影の特徴はおおよそ理解した。そのうえで、戦場に投入することも可能だと俺は判断した。
(ただの木偶人形ではないか。魂も籠らぬ者どもに何ができる?)
頭の中のヴィクトールが、呼びかけてくる。
心の中で、言い返す。
――見せてやるぜ。俺たちは戦える、あんたに頼らずともな。
俺とエティエンヌは、勝たねばならないのだ。これからも勝っていかねばならないのだ。
過去の力に寄りかからず、己の頭で考え、己の足で歩みつつ。
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