森の街ベルフォレ攻略戦

 俺たちがコカトリスのクリーム煮フリカッセを食べ続けて三日。決戦の日は訪れた。

 払暁と共にベルフォレへ向かった使者は、陽がまだ東の山々を離れないうちに戻ってきた。エティエンヌは本陣の天幕の中で、差し出された書簡の封蝋を細い指で割った。


「ベルフォレ市長より回答を受領した。かの者らは、我が慈悲深き降伏勧告を拒否し、無為なる抗戦を行うとの由。従って我は、ベルフォレ市長に対する宣戦をここに布告する!」


 諸将の歓声が上がる。伝令が辞去してしばらく後、先遣隊がベルフォレ東門へ進軍を開始した旨の連絡が入ってきた。

 報告を受けるエティエンヌの表情に、翳りがある。俺は、鎧とマントをまとった背中を強く叩いた。


「大丈夫だ、必ず勝てる。機を逃しさえしなけりゃな」

「はい。わかっています」


 緩慢な頷きが返ってくる。

 その「機」を作るのが大変なんだがな――という話は、これまでの三日で散々打ち合わせたから、今は繰り返さない。この戦い、勝負は一瞬で決まる。だが決定的瞬間を作るためには、少なからぬ犠牲を払う必要がある。

 今発った先遣隊は囮だ。敵を倒すのが目的でなく、むしろ倒されるための部隊だ。事実上彼らには、死にに行けと命じたようなものだ。


「あいつらの戦い、活きるかどうかは俺たち次第だ。活かす気があるなら腹くくれ」


 軽く肩を叩いてやると、エティエンヌはぎこちなく笑った。

 しばらくすると幾人もの伝令が、戦況を伝えに駆け込んできた。


「先遣隊、ベルフォレ東門にて敵守城部隊と交戦中。敵投石部隊・長弓部隊による損害多数」

「攻城用投石器、二基損傷。破城槌、一基中破。部隊長より、攻城作戦の継続判断が要請されております」


 予定通りの展開だった。

 攻城戦は、普通に攻めれば攻撃側が圧倒的に不利。あえて強行突破を仕掛けるなら、少なくともそう見せかけているなら、必然の損失だ。

 本陣内に集う諸将が、促すようにエティエンヌを見た。作戦は既に上層部へ共有されている。あとは総大将が命を下しさえすれば、すべては手筈通りに進んでいく。


「……追加兵力の投入を」


 エティエンヌの表情が、険しい。

 勝つためでなく、いちど負けてみせるための戦力。だが惜しんで疑われてしまっては、すべてが終わる。

 自らの口で犠牲を命じることは、彼にとって少なからぬ痛みだろう。彼の本質が、ジャックに聞いた通りの慈愛の人であるならば。


「追加部隊は先遣隊と合流し、ベルフォレ東門への攻撃に参加せよ。撤退を指示するまでの間、攻撃の手を緩めることのなきよう」


 犠牲のための言葉を携え、伝令が四人駆け出していく。

 命を下した本人は、伝令の背を険しい表情で見送った。






 伝令が矢継ぎ早に駆け込んでくる。


「破城槌、完全に破壊されました。部隊の損害も甚大です」

「攻城用投石器、三基破壊。運用可能数、残り一基となっております」


 前線がはっきりと壊滅状態に陥っている。さすがに潮時だろう。

 エティエンヌを見遣れば、憂いに満ちた横顔からいくつも溜息が漏れている。天頂の太陽は、そろそろ西に傾き始める頃合だ。


「殿下。犠牲はもう十分でしょう」


 将軍からあがった声に、ようやくエティエンヌは顔を上げた。何かを払うように数度首を振り、諸将を見回す。切れ長の目は細められ、覗く瞳は憂いに満ちていた。


「もう大丈夫か。作戦を、次の段階に進めてもよいのか」


 エティエンヌの声には不安の色があった。戦況を自力で判断することが、おそらくこの王子様にはできない。もともと戦略眼を欠いているのか、それとも父に疎まれたゆえに軍略の教育を与えられなかったのか。いずれにせよ、重要な判断を他人に頼らねばならないのは、彼の大きな弱点になりうる。

 別の将が進み出た。


「むしろ過剰なほどでしょう。いまや敵にも味方にも、我らが前線部隊の勇戦を疑う者はおりますまい」

「そうか」


 沈痛な顔でひとつ頷いた後、エティエンヌは勢いよく椅子から立ち上がった。


「全攻城部隊に、ベルフォレ東門からの撤退を命じる」


 憂い含みの、しかし凛とした声だった。どこか憑き物が落ちたような響きもあった。


「同時に、別働部隊の進軍を開始する。残存全部隊、東門へ展開せよ!」


 諸将が深々と一礼し、天幕を辞去していく。いくつもの背を見送りつつ、エティエンヌは疲れた表情で溜息をついた。少なからぬ心痛があるのだろう。かつて鶏一羽さえ殺せなかった男が、己が命令で多くの人間を死に追いやってしまったのだから。

 だが、本当の勝負はこれからだ。決定的瞬間は目の前に迫っている。


「行くぜエティエンヌ。これまでの何もかもを、無駄にしねえためにな」


 革手袋で覆われた手を上から握ってやれば、端正な横顔がほんの少し笑った。






 エティエンヌと二人、街道の真ん中に立ち、正面遠方のベルフォレ東門を望む。

 遠目にも惨憺たるありさまだった。壊された投石器や破城槌の残骸が、街道を塞ぐように転がっている。石畳が血で染まり、無数の石や折れた矢が散乱している。

 負傷者を守りつつ、兵士たちは徐々に後退していた。街道を退却する兵士たちが、横を駆け抜けていく。

 固唾を飲んで、敵の出方を窺う。敵部隊が追撃に出てくればよし、出てこなければ、いままでの犠牲は無意味に終わる。


 ――頼む、開いてくれ。

 ――でなきゃこれまでの全部、なんのために費やしたのかわかりゃしねえ。


 呼吸も忘れて見守れば、目の前で城壁の大門が開きはじめた。

 心臓が高く打つ。ついに、この時が来た。


「アメール殿」

「ああ」


 城門が開き切るのを待たず、俺たちは革手袋を外し、両掌を眼前に掲げた。

 開いた城門の内に、敵部隊の姿が見えた。狙い通りだ。

 街道の真ん中に立つ俺たちに、敵が気付いた。弓兵が弦を引き絞り、狙いを定めてくる。


「正統なる王に反逆する者たちよ――」


 若干うわずった声で、エティエンヌが宣言する。

 俺は、身の内のマナを掌に籠めた。痺れるような冷たい力が、全身から湧き立ってくる。


「――己が行いを悔い、我が前にひれ伏すがいい!」


 エティエンヌが叫ぶと同時に、俺は力を解き放った。

 漆黒の稲妻が、城門へ向けて走り抜けた。軌跡の上で、敵兵が一斉に弾き飛ばされ地へ倒れた。

 言葉にならない叫び声が、押し潰されたような呻き声が、無数に重なり響く。

 絶叫は、城門の上からも聞こえた。弓矢の攻撃は止んでいた。

 苦悶の声の中、俺とエティエンヌは開け放たれた城門へ駆けた。護衛の兵が数名、遅れてついてくる。


 黒い稲妻、すなわちコカトリスのマナ「畏怖」。この戦いの勝敗を決定づける力だ。

 コカトリスの一睨みが人をすくみ上がらせるように、コカトリスのマナもまた、知性ある生物に恐怖を呼び起こす。抵抗の気力を完全に失わせるほどの強烈な怖れだ。かつ、マナをいちど浴びてしまえば、恐怖は数時間持続する。

 言うまでもなく、戦場で使えば強力無比だ。難点は調達費用の高さと、マナが届かなければ意味がないこと。

 畏怖のマナは、稲妻状に直線で飛ぶ。門を閉じた城内に外から送り込むことはできない。ゆえに何らかの手段で門を開けさせる必要があった。

 マナの飛び先を開けるためだけの、あまりに大きな犠牲。考えれば気が遠くなるが、今の俺たちにできるのは、散った命を、負わされた傷を、無駄にしないことだけだった。


 門内へ侵入し、俺たちは城壁を上がる階段を探した。衛兵たちに畏怖のマナをごく軽く浴びせつつ、見つけた狭い石段を上る。

 城壁の最上部に立てば、眼下一面にベルフォレの街が広がっている。白漆喰に赤い煉瓦の屋根が、街路に沿って整然と並び、中央にはひときわ高く中央庁舎の尖塔がある。貴族連合の旗が翻る三角の屋根へ向けて、俺は掌をかざした。


「いくぜ」


 エティエンヌが無言で、横に掌を並べる。

 ベルフォレは小さな街ではない。全体を恐怖で包むには、一人分ではマナが足りない。エティエンヌと併せ、二人分の力がどうしても必要だった。

 だが、すべてはうまくいった。和やかな食卓でエティエンヌは十分に食べ、マナを蓄えてくれた。門は開き、俺たちは今ここにいる。

 俺は身の内すべてのマナを呼び起こし、掌に集めた。傍らのエティエンヌからも、満ちる力を感じる。

 ひとつ目配せをし、頷き合い、重ねた掌を掲げ、ふたたび正面へ向き直る。


 青い空を裂くように、俺たちは黒い稲妻を放った。

 吸い込まれるような黒が走り抜け、尖塔で弾け、宙に散る。

 一瞬遅れて、ぞっとする気配が前方から吹き抜けた。マナが炸裂した中央庁舎から、ここは大きく離れているはず。それでいてこの悪寒、計り知れない力だった。

 エティエンヌは、用意していた杉の葉束を取り出し、石畳の上に積んだ。俺が火を点けた。

 白い煙がまっすぐに立ち上る。「制圧開始」を指示する狼煙だった。


 ついてきていた護衛兵に火の始末を任せ、俺たちは城壁を降りた。

 赤煉瓦の美しい街並が、街路に沿って続いている。だが鮮やかな建物の間には、おそるべき光景が広がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る