灰の残骸

 翌日、俺たちはリヴィエルトンを発った。

 目指す王都は、中央街道を西方へ進み、大森林とブリアンティス平原を抜けた先にある。進軍の途上エティエンヌは、街道沿いのいくつもの街へ降伏勧告の書簡を送った。意外にもそれらはすべて、ほぼ同じ内容の返書となって戻ってきた。

 すなわち、無血開城の承諾だ。

 貴族連合は既に兵力を大きく後退させており、街道沿いの街は抵抗なしに王家の軍勢を受け入れた。あまりにも順調な進行ではあったが、敵の意図はすぐに明らかになった。


「連中、ベルフォレに立て籠もりやがったか」


 斥候の報告に、俺は思わずうめいてしまった。傍らではエティエンヌが、険しく眉間に皺を寄せている。

「森の街」ベルフォレは、フレリエール王国内でも有数の城塞都市だ。広葉樹の森を切り開いて造られた大城壁は、ひとたび東西南北の大門が閉ざされれば鉄壁の要塞と化す。難攻不落の都市だ。

 一方で、ベルフォレは物流の要衝でもあった。東西を繋ぐ中央街道と、南北を走る別の大街道がここで合流しており、ここさえ押さえれば王家軍の勢いはさらに増すはずだ。

 そしてひとたびベルフォレを突破できれば、王都ブリアンティスまでの間に大きな障壁はない。つまりは王都の奪還が射程に入ってくる。


「ここで貴族連合は時間を稼ぎ、援軍を招集するつもりのようです。つまり、時間が経つほど私たちは不利になります」


 報告書を片手に、エティエンヌは俺を見つめた。

 俺たちは既にベルフォレ最寄りの街へ到着しており、敵兵力についてもおおよその情報は得ていたが、攻略の糸口は掴めない状況だった。敵の軍勢は大城壁の中へ留まり、積極的に攻めてくる様子はない。


「それでエティエンヌさんよ、また俺に頼む気か。『可能なかぎり華やかな、完全なる勝利』を我らに、って」

「いいえ。此度は『可能なかぎり速やかな、完全なる勝利』を」

「無茶の度合いは変わってねえよ。まあどっちにしろ、作戦は魔法食材の在庫次第だがな……ギヨームのおっさんに確認してくるわ」

「策が、あるのですか?」


 身を乗り出してくるエティエンヌに、どう答えたものか迷う。


「昔、師匠とヴィクトールが使った手がなくはねえ。が――」


 言葉を継ごうとして、ためらう。

 ひとつの魔法食材が頭に浮かんでいた。だがあれは、できれば使いたくない。

 いや、しかし、今は手段を選んでいる場合では――


「何か問題が?」


 青い双眸が見つめてくる。何も言わないわけにはいかない。


「……食材の値がめちゃくちゃに高い。とんでもなく金を喰う」

「資金面の心配は無用です。戦勝の暁には貴族たちから賠償金を取りますので」


 やり過ごせたようで、ほっと一息をつく。

 作戦に、高価な食材を要するのは間違いがない。だが問題の本質は、もっと他のところにあった。






 ギヨームは相変わらず小太りの腹を揺らしながら、在庫表を俺に手渡してくれた。目を通せば、求める食材は一覧の末尾近くにあった。

 見つけた瞬間、俺はわずかに落胆した。心のどこかで在庫切れを望んでいたようだ。


「ヴィクトール前王陛下の攻城戦といいますと、どうにも『丸ごと燃やす』印象が強うございますね……石造りのベルフォレを焼き尽くすのは、さすがに難しいのではと愚考しておりますが」

「焼かねえよ。俺には俺の考えがある。あんたは黙って、必要なものを揃えてくれさえすりゃあいい」

「承知しておりますよ。これほどの大商い、みすみす逃がす商売人などこの世におりません」


 満足げに話すギヨームを横目に、俺は発注書へ羽ペンで品名と数量を書き込んだ。書類にはこの後、兵站責任者の署名が必要になるが、金額に目を剥かれるのは間違いないだろう。

 だが、そこはエティエンヌに話を通してある。問題はその先、魔法食材の運用だ。

 ヴィクトールが敵の砦を「丸ごと燃やして」勝利したことは何度かあった。だがレクラタント川の会戦同様、それは魔法の炎ではなかった。炎は魔力のないただの火であり、火計実行の時点で勝ちは決していた。天衝く業火は「炎竜王」の力を示す演出にすぎない。

 それらの場で、実際に使われた魔法はなんだったのか。俺は知っている。忘れられないほどに、よく知っている。

 あの魔法さえうまく運用できれば、ベルフォレを速やかに陥落させることもできるだろう。しかも人的な犠牲は最小限ですむはずだ。どうにもならないのは、己のこだわりだけだ――

 考えた瞬間、古い記憶が俺の胸中に蘇ってきた。いつまでもぐずぐずと消え残った、熾火おきびのような残骸だった。






 ……原形を留めない、真っ黒な廃墟。焦げ臭い空気。風に舞う細かなすす。澄んだ青空の下に広がる、灰の残骸。あの日ヴィクトールは、誇らしげにそれらを俺へ見せた。天に輝く太陽を背に、陽光にも劣らない晴れやかな顔で、笑っていた。


「ルネ・ブランシャール、我が王冠よ。これこそが君の力だ」

「俺は何もしてねえよ。黒い雷を一発、出しただけだ」


 うつむいたのは、照れくささのためだった。罪の自覚などなかった。自分が何をしたのか、あのとき俺は知らなかった。知ろうともしなかった。


「一兵卒も損なわずに反逆者を滅ぼせたのは、ひとえに君の魔法あってのことだ。君はもっと自らを誇るといい」

「でも――」


 言いかけて、正面から抱きしめられた。

 広くて厚い、あたたかな胸板だった。思い出せば、今でも涙が滲むほどに。


「ありがとな、ヴィクトール。俺みたいなのを、こんなにも大事にしてくれて」

「私は、大切にする価値のあるものを大切にしているだけだよ、ルネ」


 あのとき俺が流したのは、確かに嬉し涙だった。

 今となっては、すべての温もりは、もはや痛みでしかないけれども。

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