勝利の種別
昼過ぎに無事下山を終え、麓に着いた俺たちを出迎えたのは、驚きとも当惑ともつかないざわめきだった。集落の民は表向き
「アメールさん、晴れて宮仕えの身ですな。おめでとうございます」
事情を告げると、店主は皮肉めいた目配せと共にそう言った。横に兵士がいる手前、批判的な言葉を直に口にはできない。そこは互いに十分わかっていた。
「ま、いつまでかはわからねえがな。やることはやって、終わり次第帰ってくるつもりだ」
「円満に終われることを願っております。ことに今回は、良い主に恵まれておりますから」
良い主、のところで、店主の口調が少々大仰になった。馴染みの俺にしか判らない、絶妙な塩梅で。
「あの王子さん、そんなに有能なのかい」
俺も同程度の加減で返す。
「ご存知なかったのですかな? 大変人柄の良い御方ですよ。父君からの覚えもめでたく、評判は国中に知らぬ者なく――」
急に店主の言葉が途切れた。目に怯えの色が表れる。
隣の兵士が、物凄い形相でこちらを見ていた。店主は数度咳払いをした。
「――失礼。良き主の元で功を上げられることを、私としても願っております」
たっぷりの皮肉が籠った口調だった。やはりあの王子には、よほどの何かがあるらしい。
「ありがとな。それと例の手紙、結局活かせなくてすまなかった」
「気にしておりませんよ。アメールさんが最良の結果にたどりつけるなら、それが一番ですので」
哀れみと諦観の口ぶりだった。
同日夜、俺はエティエンヌと共に軍議へ参加した。地元領主の館を借りて行われた会議には、前線の諸将も顔を連ねていると聞かされた。軍服の生地や装飾は、最高指揮官級ではないものの、相当な上位に属するものだった。
エティエンヌは上座で型通りの挨拶を述べたあと、俺を促して立たせた。
「諸将、既に聞き及んでいると思うが。私は『神の料理人』アメール殿を得た。父に仕えたルネ・ブランシャール殿の、弟子にあたる人物だ」
エティエンヌは一度言葉を切り、一同を見回した。
反応は芳しくない。どこか呆れたような、冷ややかな空気さえ感じる。
「失礼ながらエティエンヌ殿下。殿下は自らの行いが、民にどのように認識されたか自覚しておられますかな」
将の一人が、あごひげを撫でながら言った。
「大きな成果を得るには、危険を冒す必要がある。『竜の巣に飛び込まねば竜鱗は得られない』と、古来から伝わる通りだ」
「殿下が戦士や狩人であれば、それもよろしいでしょうが。民の噂、聞き及んでおらぬとは言わせませんぞ」
「『料理人探しを口実に、霊山へ雲隠れした』『帰って来はしないだろう、神狼に食われるにせよ野垂れ死ぬにせよ』……悪い噂は兵卒の士気にも関わります。軽挙妄動は厳に慎んでいただきたく」
口々にあがる、諫言を装った非難の言葉。エティエンヌの頬にわずかに朱が差す。
「だが私は『竜鱗』を得た、文字通り竜の住まう山で。ここにいる神の料理人が、我々に王の力と権威をもたらすことは間違いない」
「常日頃お伝えしておりますように、それは殿下のなすべきことではございませぬ」
あごひげの将が、溜息と共にエティエンヌを見つめる。
「殿下の責務はただひとつ。『生きてそこに在ること』でございますよ。ヴァロワ王家直系唯一の生き残りとして、本陣で我らの旗頭となっていただくこと。それこそが殿下の唯一無二の役割でございます」
「ただ座っていれば、それでいいというのか」
エティエンヌの語気が、少しばかり荒い。あきらかに反語を意図した言葉を、諸将は薄く笑って受け止めた。
「そのとおりでございますよ」
「お解りいただけたなら幸いです」
「……だが、私は『炎竜王』ヴィクトールの息子だ」
エティエンヌの言葉尻が、わずかに震えている。
「知っての通り『神の料理人』の力、すなわち魔法を行使できるのは、正統の王権を持つ者だけだ。大いなる力の助けがあれば、戦局も我々の優位に傾くはず」
真っ赤な顔で、エティエンヌは一同を見回した。が、切れ長の青い目ににらまれても、諸将に動じた様子はない。
「魔法による示威、平時であれば有効でしょうな。ですが、事ここに至った今、戦略的な意味は小さいでしょう」
あごひげの将は机上の地図を指した。フレリエール王国の全土が描かれた布製の図に、白と黒の石が並んでいる。各々の石は都市や砦に乗っており、白が王家たるヴァロワ家の、黒が敵対する貴族連合の、それぞれ支配地域を示す。置かれた石は七割ほどが黒で、白は図面の右下あたりで押されている。
あごひげの将は諭すように言った。
「魔法がいかに強力でも、扱えるのは殿下と神の料理人だけ。二人にしか使えぬ局所的な力では、大局は覆せませぬ」
「殿下、戦術と戦略の区別はおつけください。魔法は戦術の勝利にしか役立ちませぬ。我々が考えるべきは戦略、すなわち大局の流れであって、ひとつやふたつの勝ち負けではございませぬ」
いたたまれない空気だった。ただひとりを除く場の全員が、同じ認識を確かに共有している。気付いていないひとりに向けられた、憐れみとも呆れともつかない視線が、傍で見ている俺にすら痛々しく感じられた。
元々白いエティエンヌの手が、固く握られ、ますます白くなっている。
「まるで私が、大局を見ておらぬかのような物言いだが」
ようやく発された王子の声は、明らかに震えていた。
「我が軍が、王の権威を証する絶大な力を得たことは事実。その威力を敵味方双方に広く印象付ければ、人心に大きな影響があるだろう。それこそが私の狙い」
「局所的な力に頼るのは、賭けですぞ。もはや我々に、分の悪い博打を打つほどの余裕はございませぬ」
生温い視線が、再び上座に集まる。
エティエンヌは鋭い目つきで一同を見回し、指で地図上の一点を差した。
「川の街リヴィエルトン。『大いなる橋』を擁する交通の要衝にして、現在地モンタリアーヌからも近い拠点都市」
「我々がまず目指すべき戦略目標ですな。しかし敵もそれは予期しておるはず。簡単に崩せる水準の守備では――」
エティエンヌは、あごひげの将を強く睨みつけて言った。
「我々はここで勝利する。圧倒的な力の差を、完膚なきまでの優位を見せつけた上で」
「ずいぶんと強気なご様子。そこまで仰るからには、勝算があるのですかな?」
「魔法の力があれば十分に可能なはず。そこを起点に、正統の王への畏怖が全土へと広がれば、流れは我々に味方するだろう。父がかつて魔法の力で、寡兵をもって軍船数百艘を焼き払い、大局の流れを引き寄せたように!」
動揺と当惑がないまぜになった、ざわめきが上がる。エティエンヌは不意に俺を振り向いた。
「という次第です。頼みましたよ『神の料理人』殿……リヴィエルトンの堅守を打ち破る魔法の一皿、準備をお願いします。可能なかぎり華やかな、完全なる勝利を我らに」
喉まで出かけた素っ頓狂な声を、俺は危ういところで飲み込んだ。
全部俺に丸投げかよ、冗談きついぜ――と軽口のひとつも叩きたかった。だが、エティエンヌの顔はあまりにも真剣だった。
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