人生飛行計画理論

@j3gbv

1話  仮定
















人間のゴールは死とか成功だとかとするならば、スタートはどこなのだろうか。産声をあげてから、言葉を放つようになってから、誰かに愛されてから、といったように、スタートは皆違う気がする。そもそも、スタートラインに大いなるハンデがあるのだ。才能、門地、時代、外見、性格。これは、スタートの全く違う君と僕が、たった二つの同じゴールを見出すための優しい話だったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれないね。







───その優しい蒼眼が、僕を穿いた。


「カンパネラ、って何か知ってるかい?」


背丈の大きな僕でも十人は寝転がれそうな大きなベットに気だるそうに小さくなって横たわって、僕にこう問いかける。


「知らないさ。僕は君と違って学校に行けない。」


ベットの横に飾られた少し癪に障る程の華美な壺を、それとは対照に薄汚れてくすんだ黄色に変色してしまった雑巾で磨きあげる。しばらく僕が雑巾で磨き擦る音のみが響いて、ルフタは口をもう一度開いた。


「フランス語で、小さな鐘だってさ。僕の十三番目の弟の名だよ。こんな名前だと、小柄になりそうだ。」

「伯爵は珍しい程の大柄だ。君の身長を見れば分かるさ。」


このヴェルト伯爵家に拾われて三年。そして、病のせいで後継者候補から外れた哀れな少年のルフタに仕えて早ニ年になる。馬鹿みたいに健康な僕と、馬鹿みたいに体の脆いお前。何にも持ってない僕と、何もかも持っているお前。目も髪も純黒の僕と、金髪碧眼のお前。明日はなにか良いことが、と明日に期待する僕と、明日死んでしまうのではないかと明日に背を向けるお前。全て反対な僕たちは、素敵な明日を見つける為に旅に出る。この計画を、僕は人生飛行計画理論と名付けよう。この世から背こうとしている非行ではないよ、この世から旅立つ。そう、飛行なのだ。










一.仮定



日は沈み、静かな夜が今日も当たり前のように訪れる。やっぱり今日も僕はルフタに仕えていた。


「ゾマ、今日も僕生きてた。」

宙に伸ばした右手を、握っては広げを繰り返して不思議そうに見つめながら僕に言葉を零すルフタ。


「…良かったな。」


ぶっきらぼうに返した僕をふっと鼻で笑うと、ルフタは僕にそのサファイアのような蒼眼を向ける。


「けれど、昼の錠剤が一粒増えた。打つ点滴も、量が少しばかり多くなった。料理だって、塩分が足りないや。」


ルフタが口にする料理は味気なく、最早色の付いた白湯のようで僕には到底満足ができなかった。まるで死にかけだ。


「それは何より。長生き万歳だな。」


ルフタは食後には必ず親指の爪程の大きな錠剤を幾らか飲まなければいけなかった。それが何処に効くのか、飲まなければどうなるのかだなんて僕は学がないから分からないけれど、金属製の盃に綺麗な真水を入れてその真水で錠剤を流し込むルフタは苦しそうで、堪らなく可哀想に思えてくるのだ。


「ゾマは本音を言えないのだね。」

「本音を言わなかったことなんて一度も無いさ。」


窓で切り取られた四角い夜空をぼうっと眺める。カーテンは靡き、夜風が頬を撫でて気持ちがいい。僕は純黒の瞳を瞼にそっと隠すように五感の内一つを無くしてみると、より敏感になった触覚で夜風を感じた。夏の訪れだ、僕の名の季節がやってくる。まだ夜こそ涼しかったものの、もうじき蒸し返すような重たい熱い風が僕の体をうんと重くする。地球は何故太陽にこれ程近いのか、僕には到底理解が出来なかった。これだってきっと、頭が悪いせいだ。


「ゾマ、ゾマ。今日僕は異国語の授業で君の名前を習ったよ。」

「単純だろうね。夏だよ。」

「良いじゃないか。夏。ゾマ。」


ゾマ。異国の地では夏を意味する。何故僕の母が父がそう名付けたのかは知らないし知った所でもう僕は改名する訳でもないのだけれど、ただ僕を産んだ母と父と、生涯一度も会話したことがないというのは僕にとってはあまりにも寂しすぎる気がするのだ。会えば話すのは、僕を産んでから何をしたのか、何を思って息子を置いて行ったのか、僕は冬に産まれた筈なのになぜ夏という単語を名前に採用したのか、僕からの疑問形ばかりだろう。そのうち僕が問い詰めているような、僕が悪役のような空気が立ち込めて僕はいやになる。それならば。会わない方が、捨てられた息子という何とも社会的に蔑まれた立ち位置の方が、幾らかマシなのではないかと思う他無かった。


「ゾマ、ゾマ。」

「なんだよ。静かにしろ!」


少し声を荒げてルフタの方を向くと、ルフタは笑ってからかうようにこう言った。


「やっぱり、君は二度呼ばなければいけないね。」


途端に自分がひどく幼稚に思えてくる。まるで自分が優位に立っていると錯覚する子供と、子供を褒めそやす大人ではないか。ルフタの方が精神面では成長しきっているということが僕は許せないのだ。自分では何もできないルフタと、自分では何も分からない僕達なら、きっと僕の方が精神は達観しきっているというのに。


「どうしてルフタは、それほどに穏やかなんだ?僕は君が癇癪を起こしたところなんて見たことがないよ。」

「僕は命があまり長くはないからね。癇癪を起こす体力があるなら、それで一日でも長く生きるんだ。」


少しの静寂に包まれる。嫌なことを聞いてしまったのだろうか。ルフタは、癇癪を起こさないのではなく、生きる為に置いていく荷物で早い段階から「怒り」を捨てたのだろうか。


「…嫌なことを聞いたね。悪かった。」

「気にはしないよ。それで、僕の質問なんだけれど。」






ルフタは、遠い星を見て呟いた。


「あの星は、何万光年も前に輝いていたんだ。」

「光年って何だよ。僕は分からないんだってば。」

「ずっと長い間ってこと。僕は、何万光年も先にはどうなっていると思う?」


長い間、が僕は分からなかった。ヴェルト家の使用人に怒られている時間は何分にしろ長く感じたし、偶にある休みの日に街に行く時間は一日とはいえ凄く短く感じた。ふと、ルフタが今日に習ったと教えてくれたものがある。人間には二つの時間がある。体感時間と実際の時間。ルフタが言う「長い間」が、体感時間による物なのか、実際の時間による物なのかは分からないけれど、とにかくずっと長い間だという確信だけがあった。


「決まっているじゃないか。死んでいるよ。君だけじゃない、僕もだよ。カンパネラも、伯爵も。」

「じゃあ、一年後は?一年後には、誰が死んでいる。」


その問いに即答出来なかったことを、今でも申し訳なく思っている。実際、ルフタは薬がなければ生きることができないのだ。その薬は高価で、ヴェルト家が没落してしまえば全てが終わってしまうも同然のことで。


「それは分からない。断定なんて出来ない。」

「じゃあ、予想。予想でいいよ。」


多分、ルフタはもうすぐ死ぬのだろう。いいや、ルフタの信仰している宗教の教えで言えば神が迎えに来る。だけれど、生憎僕は無神論者だ。本来、神など不明確な物を信じる事ができるのは、信じるという行為ができるほど余裕がある人だけなのだ。僕は不明確な物に縋り付くほどの余裕は無い。ずっと先に迎えに来てくれるかの心配ではなくて、今日を存分に生きなければいけない。ルフタだってきっとそうだ。今日を生きる為に必要なのは、自分が指組みをして祈ることができる神様なんかじゃない。自分の体と意思なんだ。だから、ルフタを迎えに来る神からルフタを守ってやる。


「誰も死なない。君も僕も、死なない。」


ルフタは目を丸くして、その蒼眼を丸出しにする。それから、とびきり嬉しそうな顔で笑うんだ。


「そうだね、ゾマ。僕は、君は死なないよ。」

「僕は死なない。何か起こらない限りはね。」


何かとは何だと笑い合う僕達は、本当にずっと生きられている気がした。ルフタが言う何万光年だとかでさえ、一瞬のように感じる気がするんだ。実のところ、僕はこの生活が嫌いではなかった。下手をすれば仕置を受けるし、たまに身分の差を感じて悔しく苦しくなって好きではなかったけれど、嫌いではなかったのだ。鳥籠の中の鳥よりかは、今日の獲物を一人で取りに行かなければならない野生の鳥の方が、ずっとマシな気がするから。病と身分に捕われたお前よりかは、少年のまま社会に投げ出された僕の方が、ずっと恵まれている気がするから。


「それじゃあ、僕はもう行くよ。」

「うん、おやすみゾマ。」


その優しい声に頬が撫でられるのを感じて、僕はゾマの部屋を出た。

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