EFREET

かもめ7440

第1話


イフリートはアラビアの伝承に登場する怖ろしい精霊のこと。

女性はイフリータと呼ばれる。

アラビアの精霊はジンニーと呼ばれていて、

唯一神アッラーフが天使(マラーク)と人間の中間的な存在として、

造ったもので、『クルアーン(コーラン)』にも、

ちゃんとその存在が明記されている。

イフリートはそんなジンニーの一種、

あるいはその同義語であると考えられる。

一説によれば、ジンニーは五階級に分類されるといい、

下から順にジャーン、ジン、シャイターン、

イフリート、そしてマーリドとなる。

この分類に従えば、イフリートは上から二番目の階級に属することになる。

この階級に関する伝承の出典は定かではないが、

少なくともボルヘスが『幻獣辞典』の中で、

「ジンは五つの階級からなる」と言及している。

基本的に僕はボルヘスが書いているなら間違いないことだ、

という方向で便乗する。エドガー・アラン・ポーとかもその類だ。

もう一つおまけに出せば、D・H・ロレンスもそうだ。


イメージ的には「炎の魔人」「炎の精霊」「炎の魔獣」として知られるが、

これはテーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』で、

炎属性のキャラクターとして登場したことによる影響が大きい。

イフリートも含めジンは、煙の無い火から生まれた種族だとされているため、

関係がないというわけではないが、

炎は自由に操れるにしても身体は炎で出来ているわけではない、

「ファイナルファンタジーシリーズ」や

「テイルズ オブ シリーズ」では炎の属性を持った魔神として登場する。

実際、一九八〇年代のゲーム関連の解説書の類には、

「アラビア伝承に登場する炎の魔神」などと、

まことしやかに記述されている。由々しきことで嘆かわしきことではあるが、

それが伝言ゲームの面白さのようでもある。

また、現代ではファンタジー作品で四大精霊の一角に列挙され、

サラマンダーの席を横取りしがち。

他が人型の精霊の中でサラマンダーだけが爬虫類であること、

また鬼神のような厳つい容姿が燃え盛る炎のイメージに合致するのが、

主な要因と思われる。


ところで二〇一六年あたりのTwitter界隈では、

ほうれん草の品種名がやたらカッコいい名前であることで沸いた。

「バハムート=病害に強い品種」

「イフリート=暑さに強い品種」

だから何だと思うだろう、僕も実はそう思っている。

他にも「ルーク」「ビショップ」「チェックメイト」

「ペルセウス」「アルデバラン」などと続く。

神話の魔獣やチェス用語、星座の名前。

命名者がガチの中二病である可能性もあるが、

欧米でも、キラキラネームや当て字に相当する名前は存在し、

こういうセンスを馬鹿にするつもりは毛頭ない。


さて、アラブ世界では、そもそも幽霊に関する報告自体が少ない。

しかも、一八、一九世紀に同地を旅したヨーロッパ人の旅行記や。

探検記の中の数少ない記述を見ると、

「幽霊(ghost)は知られていない」とか、

「普通の幽霊の概念は存在しない」といったことが書かれていたりする。

現代でも生者の前に現われた死者のことをアフリートや、

次で述べるジンと呼ぶことがある。

そのほかにも、レヴァント地方では死者の幽霊をさして、

アフリートと、モロッコでは同じく幽霊をさしてジンと呼ぶところがある。

アフリートは口語的な発音であり、

標準アラビア語ではイフリートと発音される。

イスラームの聖典クルアーン(コーラン)にも、

一個所だけ記述が見られ(第27章39節)

そこには、「ジンのなかのイフリート」とあり、

イフリートがジンの一種であることが記されている。

ジンはアラブ世界の妖怪の代表的な存在で、

クルアーンにも、「ジンの章(第72章)」をはじめ、

あちこちに記述がある。


ここまで説明すれば誰でも容易に解釈できる通り、

幽霊や妖怪の別の名こそがイフリートやジンであると解釈できるだろう。

偶像崇拝を禁ずるイスラーム世界で、

絵画の類があまり発達しなかったことと無関係ではなく、

また、このイスラームという宗教こそがイフリートやジンと総称される、

妖怪に対する信仰に習合させ―――た。

そもそも長い間、信じられてきた信仰というのを、捻じ曲げる、禁止する、

というのは誰がどう考えても難しい話だ。

口がある限り何処からだって噂は生まれるし、

人がいる限り恐怖はなくならない。

簡単に駆逐できるものではない。

それよりもそういったものを内部に取り込んでゆく方が、

新宗教の布教にはむしろ都合がよい。実際にもイスラームは、

古い信仰をすべて駆逐するのではなく、

一部を内部に取り込みながら信者を獲得していった。

その取り込みの典型的な例が、ジンやイフリートであり、

それはあたかも「ダンジョンズ&ドラゴンズ」で、

ジンを水、火、風、土の四大精霊と結びつけ、

それぞれ水の魔神をマーリド(Marid)

火の魔神をイフリート(Efreeti)

風の魔神をジンニー(Djinn)土の魔神をダオ(Dao)とした如くだ。


そして僕は「幽霊的身体」「ゲームの時代」という風に理解する。

マンガやラノベが拡張していった環境は、

「マンガ・アニメ的リアリズム」で、

そういうシンクロだったのではないか、と。

オタク系文化はアメリカ的な消費文化をいかに「国産化」するかで、

それは情報エントロピーが捨てられていく海のような機能だ。

色んな言い方があるけど、「現実遊離」とか「透明化」だろうか。

そして一九八八年から翌年にかけて宮崎勤がおこした、

連続幼女誘拐殺人事件の報道によって、

オタク青年は非社会的で倒錯的な趣向をもつとされ、

オタクという言い方そのものに差別表現が滲むようになった、

そして今、そんなものすらもとっちゃらかったような、

不思議な現代空間を、寓意画のように考察す―――る。

アレゴリーは洞窟画や母音子音の出現以来、

われわれの表現とコミュニケーションの最も深いところで働いている、

編集的表現作用だ。


さて、イフリートはしばしば『千一夜(アルフ・ライラ・ワ・ライラ)』

に登場する。ランプや指輪、瓶などに封じられていることも多い。

「アラジンの魔法のランプ」に登場するランプの精霊も、

イフリートで、ランプをこすった人間のどのような願いを叶えてくれる。

実体はなく、変幻自在で、種々の魔法を使いこなす。

そしてアラジンはイフリートの魔法によって国王になった。


『千一夜』の中ではジンニーとイフリートという単語の使用は、

厳密には区別されておらず、同じ存在のことをある時はジンニーと呼び、

ある時はイフリートと呼んだりしている。

巨人を意味するマーリドもイフリートやジンニーを指す言葉として、

用いられている。強いて区別すれば、

ジンニーの中でも特に恐ろしいもののことをイフリートと表現する。

だのに、女性をさらって大理石の箱の中に閉じ込めておくものの、

眠っている間に次々と浮気をされてしまっているという話や、

漁師に騙されて青銅の壷に封印されてしまうなどの、

間抜けな一面も多くある。

全然関係ないけど、アラビアン・ナイトが当初どういうものであったかは、

いまでは僕等にはまったくわかっていない。写本もない。

それがかろうじてわかるのは、十五世紀。

ファティーマ朝のカイロで「千一夜」が、

物語としてまとまって流行したということだけなのだ。

このことはエジプト人アル・マクリージーの、

『アル・ヒタト』という地誌も伝えている。

こうして、現在確認されている最古の『アラビアン・ナイト』手写本は、

パリの国立図書館にあり、それが15世紀半ばのものなのだ。

もちろんそこにおけるジンやイフリートがどんな風に描写されていたかは、

聖書の男 根主義的な一面や、差別・迫害ならびに、

いまとなっては突拍子もない奇跡とか悪魔とかを想像するだけで事足りる。

世界中には本当に色んな人がいることをYouTubeから窺い知るわけだが、

もちろんご存知のように、これ昨日や今日、突然始まったわけではない。

何だか急に物々しくなったな、なりました―――ね。


ヨルダンの北部にある、邪視信仰があるクフル・ユーバーの、

隣村に住む男が、村境であるこの村のT字路で、

ジンが踊っているとしか考えられないような物音を聞いた。

この男が迷信など信じる類の人間ではなかったということから、

新聞記事にまでなってしまったというものがある。

この記事についてクフル・ユーバーの人たちに意見を求めると、

三通りの答えがある。

別にそんなの聞かなくてもわかるって、いいからいいから、

ちょっと聞いていきなよ。

そう、予想していたように三通りあった。

一つは記事の内容が出鱈目だろうというもの、

もう一つは本当だろうというもの、

そして最後はどちらとも判断しかねるというもの―――だ。

実際のところ、僕はそれについてどうでもいい。

どんな話でもそれ以外の答えはないとみんな知っているからだ。

でも多数決の論理、少数派でも影響力が強い人間がいるなど、

そこには様々な心理学があることも容易に想像できるだろう。


何が言いたいかというと、

「イフリートやジンは存在したか否か」だ。

たとえば人体自然発火現象が起こって、この怪物が誕生した可能性だ。

(もちろん、9.11ツインタワー崩壊、

原因は溶融アルミニウムの水蒸気爆発だったというけど、

その煙を見ていた人がまるで悪魔のようだと言ったものかも知れないが、)

人体を燃焼させるには、少なくとも摂氏一,〇〇〇度の高温が必要だ。

でも住居内で人が灰化して発見された事例は数々記録されているが、

人体自然発火現象の奇妙な事例は、

遺体の周囲に火が拡がらないこと―――だ。

人だけが綺麗に燃える、これを見た昔の人はそれについて、

どんな風に考えたのだろうかとちょっと思ったのだ。

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EFREET かもめ7440 @kamome7440

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