バス停と幼馴染

かもめ7440

第1話




バス停がある。

正確には、信号機がない、

ポイントや分岐がない、停留所だろう―――か。

朽ちかけた雨よけの屋根。

待合室として小屋が設置されたバス停―――だ。

田舎ではバス会社や自治体、町内会、地元の有志などによって、

壁のついた小屋が設置される。

小屋の材料は木材やトタンが多いが、

稀にコンクリートやログハウス風のものもある。

縄張りの観念だろう―――か。

そしてここは、トタンだ。

木製の共同椅子。灰皿。傘入れ。

廃棄物のような人間の生活の痕跡を記す。

社章に、停留所名に、通過予定時刻のある、標識ポール。

昭和の香り漂う、色褪せたコカコーラのポスター。

雨が降っていた。

天井を眺め、電球に集まり始めた虫をぼんやりと観察していた。

遭遇頻度はそれほどでもない人懐っこい猫でもいれば、

もっと贅沢な時間つぶしの醍醐味を味わえたかも知れない。

気がつけば雨は止んで、

赤ん坊みたいな白紙に戻って―――いる。



―――それでも。

いつからだったか。

ふと気付くと、いて当たり前の存在になっていて。

いないことが、悲しいことに気付いて。

日本語すら、侵蝕され―――る。

皮を捲ったように赤味を帯びて来る。

要するに・・・・・・。



田舎のバスなど、三十分に一本あればいい方だ。

蠅が飛んでいる。

見えない壁に閉じ込められでもしたように、

すべてのものが黒ずんで見える、黄昏時。

無意識が泳いでいき単純な言葉を引き寄せようとする、

今まさに沈もうとしている太陽が、

山の向こうに昆虫の抜殻のような淡い感じで残り火を灯し、

綺麗な水を探す魚のように、風は、

この黒さを増していく茜色の空に留まる場所を探しているようだった。



―――叶わない、想い。

ただ生きる日々が続いていた。


背もたれにぐったりと寄りかかり、

バスが来るのを待つ。もう二十分は経ったはずだった。

眼の前が、内部から外部への反映でぼやけてくる。

眠い。

だから花が美しく、団子は美味しいとも言う。

すなわち、一兎も得ず。

頬杖をついて、うとうとし始めた頃だった。

バスのクラクションの音がして、

意識が現実に引き戻される。

硝子板に挟んだような、血の気の失せた鼻。

右を向くと、カーブした生垣の向こうから、

蜘蛛が糸を紡ぎ出すように、

三十メートル、いや、二十メートル、

ヘッドライトがこちらに近付いてくるのが見えた。

立ち上がる。

咽喉の粘着きが、咳止めドロップを想起させる。

バスが近づいてくる。

縁石のぎりぎりの所に立って、待った。

機械的に手をこすりあわせながら、

あらいぐま。

消えかかった緑のラインが走るボディ。

くたびれた外観のバス。

バスはスピードを上げ、

水を撥ねさせながら勢いよくこちらに向かってきて、

そして自分の眼の前を法定速度で、思わせぶりに通り過ぎる。

力を奪い去られたような疲労というよりも、

乳酸が隙間にしみこんでくるような―――疲労・・。

長く見続けてきた、

華奢で儚い輪郭が緋の中に溶け込んでい―――く。



スマホが鳴った。

「・・・・・・」からだった。

“凍った池の割れ目にちらと魚が見えた”

(それは、暗いところにいるらしい。

闇に包まれて、立っているらし―――い、)

「・・・・・・・・・」からだった。

“空っ風一つで、凍り付いてしまいそうな、夜”

(誰も、何もないらしい。今生きているところとは違う、

別の世界に、いるらし―――い・・)

「・・・・・・」からだった。

“マネキンの奥底に微かに疼く―――悲哀”

(もう、消えて、成仏して―――しまったのでは。

いや、そんなことはないはずだ。そんなことは。

だけど、その不安は拭えなかった。

心配で心配でしょうがなくて、同じような日々が続いた、)

「・・・・・・・・・」からだった。

“頬に当たる光にまぎれて蜂が襲い掛かって来る”

(女性に告白された。ずっと言いよどんでいると、

返事待ってますから、と言って逃げるように去っていってしまった。

自分の方が逃げ出したかった。

一体、何を言えばいいのだろ―――う、)



まるで、俺に気付かないように、

俺なんか、存在しないとでも言うよう―――に。

嘲笑する俗物のひがみのように、

もう一度クラクションを鳴らした。

ああ、まただ。

きっとここには『幼馴染の彼女』がいるんだ。

手塚治虫とキャプテン翼のテンプレート、

交通事故という伝家の宝刀。

だのに、死んだ魚のような膜が拡がるのは何故だ。

彼女がいるだけで、自分と同調して世界をズレさせてしま―――う。

だから、また乗り損ねてしまった。

恐怖と悲しみと愛しさを各頂点とする三角形。

おそろしいほどに、恐怖と悲しみが無表情だ。

ポイントが一切加算されない。

いいんだ、と思う。

自分が道化じみていても、キチガイ沙汰であろうとも。

電話を入れてくれたらいい。

鋭利なナイフで横方向に薄くスライスしたように、

紙細工の花のような唇を動かす。

待ってる、ずっと。

非感情的なものを琥珀色の樹脂にでも閉じ込めたような頭を振る。

甘い誘惑、身の毛のよだつ恐怖、

焼き尽くすような怒り、深い悲しみ。

断ち切ることも、正面から受け止めることもできな―――い。

そんな、忘れられない、忘れてはいけない、

ただし、それ以上大きくさせたくない自分の中の爆弾を、

まさに冷凍保存する。

これで何度目になるのか、もうわからない。

スマホを取り出して眺めながら、

本当はこんな歪な関係を終えなければと心の何処かで、

思っていること、を・・・・・・。



間違って――いた、

間違って、いたのだろうか?

トマトの皮のように中が透けて見える。

少し考えて、出した答えは、イエスだ。

瞬間、一筋の煙になって消えてしまいそうだ。

このせいで長い間苦しんでいた。

きっと―――間違って、いたのだろう。



電話が、鳴った。

それを自覚した瞬間に、唇をすぼめ、額に皺が寄り、また目頭が熱くなる。

電話を取ると、電話の向こう側から躊躇うような息が漏れた。

そして、しばらく黙っていた。

その後、静かに言った。



「忘れて」と・・・・・・。

カッと湧き上がる怒りは何なのだろう―――か。

何万個もの吸盤があり、ルービックキューブのように組み合わさる。

高分子吸収体とでもいえそうな時の流れというマインドセットで。

「忘れない、嫌だ、絶対にそうしない」

声が延びたり縮んだり、歪んだりする。

圧搾された息の塊。

でも子供が駄々をこねているだけだ。

認めることはできるのに口には出来ない。

状況判断はつけられても結論は出せない。

子供だ。

「でも死人は死人であるべきで、

生きている人と話しちゃいけなかった・・・・・・」

悔しかった。

そうだと思う、そうに決まっている。

一般論としては・・・補助線としては・・・・・・・。

―――ガイドラインとしては。

生きている人と死んでいる人は結ばれない。

わかっている、だって顔が見られない。

手にだって触れられない。

時計の針やカレンダーだってろくすっぽ見ていない、

こうやって話すのだってもうどれくらいぶりだろ―――う。

でも首を振った、多様性なんだよ、と。

人と違うことだってあるんだよ、と。

言わなければ―――言葉を一生懸命になって、探す。

言わなければ、すぐにこの電話は切れてしま―――う。

一度はじまった恋は止められない。

何処までも一途に彼女を想い続ける。

「・・・・・・好きなんだ、ずっと」

どうしてそれを、もっと早く口にしなかった。

伝わっている、いつかきちんとする、

先延ばしにした、その結果がこれなんだと思うと胸が詰まった。

涙だって出てきてはくれなかった。

怒りは悲しさで、辛さそのものだった―――から。

「―――でも」

こんなことを続けちゃいけない。

言いにくいことを言うつもりなのだろ―――う。

表情に硬い芯が入る。

でも、ようやく心が決められた気がした。

「結婚しよう、籍も入れなくていい、

結婚式も、ウェディングドレスも着せてやれない、

だけど、こんなに想い合っている、だから電話は繋がった、

中途半端な気持ちならすぐに終わった、忘れられなかった、

簡単に切り捨てられるものではなかったから、悩んだ」

「・・・・・・馬鹿だよ」

切り捨てるように、言う。

わけもなく天井のひと隅を見る。

置き換えのきかない状況に句読点をつくるために。

「・・・・・・初音ミクをお嫁さんにする人もいる、

Vチューバ―を恋人にしたり、アニメのキャラを嫁という人もいる、

一緒だよ、何も変わらない、たまにこうやって話せるだけでいい」

「・・・・・・駄目だよ、そんなの、人生が滅茶苦茶になってしまう、

幸せになれないよ、それじゃ・・・・・・」

「幸せは俺が決める」

南を甲子園へ連れて行くみたいな台詞だ。

アニメーションだったら―――いい。

現実には、その言葉の重さがボディブローのように溜まっていく。

「・・・・・・それに、いつまでこんなことが出来るかだってわからない、

もしかしたら、この会話が、最後の会話になるかも知れない。

その後、どうするの、そうならない保証なんかないんだよ、

もっと考えなくちゃ駄目よ、わたしのことじゃなくて、

自分のことを、足元をちゃんと見て、現実的な相手とそうするべきだよ」

「じゃあ、お前の幸せは?」

「わたしは―――」

我儘を言わない時、自分の気持ちに嘘をつく時、少し饒舌になる。

夜の学校へ忍び込もうとしたとある場面が思い出せる。

でも本当は、夜の学校に彼女は忍び込んでみたかった。

まるで自分の気持ちを無視するように・・・・・・。

死んだら、すべての権利を失ってしまうのが当たり前みたいに・・・・・・。

「例外って、想定内であれ想定外であれ、最初から選択肢として、

あるんだ。きっとこれが最後の会話なら、途方に暮れるだろう、

だったら、どうしてお前は俺に愛していると言ってくれないんだ、

たかだか生死なんていうカテゴリーで結論をつけただけさ。

いや、それは錆びついた錠前をつけただけさ。

輪廻があったら、次だって、ある。

次が無理なら、その次だって、ある。

考えようによっちゃ、いまこの一瞬だって、その長い助走だ」

ひゅう、と、通気口から風が抜けていくような音がした。

電話口から笑い声がこもれて、次第に雑音が混じり、

嗚咽が聞こえた。

泣き声を聞くのは辛い、本当は顔を見て慰めてやりたくなるからだ。

右手が虚しく空を切る。

一枚の紙切れのように遠ざかる。

風の強い日にレシートを追いかけまわしていた、夜。

こんな空振りも、徒手空拳も、擦れ違いも、一度や二度ではない。

だけども、声というコミュニケーションしかない僕等には、

眼を逸らすこと、耳を外すということが愛の不信になる。

糊付けされたような強張っていく時間。

人を愛することの難しさを―――思い知る。

「・・・・・・愛してるよ」と彼女が少し掠れた声で言った。

声が、花咲くように弾んだ。

どう聞いても力のない声なのに、その言葉だけは違って聞こえた。

真っ暗闇の中かから、一筋の光明が見えたような気がした。

アヴェ・マリアでも流れてきたのかと思った。

夜の中でも光が感じられる、眼や口元が話し掛けている気がする、

そして自分の発言を肯定されている。

「・・・・・・俺も愛してる―――だから、答えてくれ・・、

汝貧しき時も富める時も病める時も健やかなる時も、

この者の傍にいることを―――誓うか?」


そこで、そこで―――だ、惜しげもなくシリアスモードだった、

クールガイだった俺の仮面が剥がれたのは。

すごく恥ずかしかった。ハズカス。

バッカスみたいに言うな、でもハズカス。

そこで、いや、そこで―――なんだ。

武士の情けだ、ハズカス。

何言ってるんだろう度数がレッドゾーンを突破していた。

やれやれなのだよ、まったくね。

それならもう国会議事堂に売国奴めと車でぶちあたる方がまだ正しかった。

核ミサイルのスイッチを押す、以下同文。

エリア51で宇宙人の手先めと車で暴走して、

不法侵入と判断され、機関銃で撃ちまくられる方がまだ正しかった。

押し入れを開けるとドラえもんがいた、以下同文。

でも、この気持ちは変えられない。

永遠も刹那も一緒だ、心の中にあるものだと思いたい。

「誓うわ、たとえそれが―――どんなに悲しい結果になっても・・・」

―――悲しい結果にならない確率は低いだろう。

前例がない。古今東西、愛想がいいような話以外聞いたことはない。

自分と他人を結ぶ通路が崖崩れを起こして、

そこからハッピーエンドを迎えたらご都合主義へまっしぐらだ。

マッシュポテトだ、それは関係ない。

でも何もしないでいたままなら、それは後悔になる。

自分の気持ちに嘘をつくことになる。

「どんな悲しい結果になっても、最後の最後まで、幸せだ、

その後のことはもう考えるな、お前が俺のことを好いてくれている、

その事実だけで人生は最良のものだった、

これはハッピーエンディングだと思える・・・・・・」

「ねえ、顔赤くなってるよ」

見えてないだろ、とは言わなかった。

声の震えだけでわかるぐらいに、同じ時間を過ごした。

手が微かに震える。

感動、じゃない。単純に面白可笑しい滑稽さのせいだ。

でもそれが心地よかった。

幼馴染に本当の意味で戻れたような気がした。

「お前もな」



バス停がある。

朽ちかけた雨よけの屋根。

待合室として小屋が設置されたバス停―――だ。

木製の共同椅子。灰皿。傘入れ。標識ポール。

そしてまだ色褪せたコカコーラのポスター。

超高齢化社会、ドーナツ化現象。

過疎化して、若者が減りまくったそのあおりで老人しかいない、

この町に、一時間一本ならまだ御の字という老人が今日も座る。



―――叶わない、想い。

そんなもの、言い訳だったと思える。

蜃気楼に騙された砂漠を行く者。

生の原理。

たとえ電話がかかってこなくても、

もうこれでおしまいだと告げられても、

人の気持ちは変えられない、

それが不安や絶望を投げ入れることだと知りながら、

負いきれぬほど、全身に錘をつけてゆ―――く。

それでも、この世界の起こるべくして起こった奇跡は、

二人を運命の名の下に出会わせ、

そして人生のつれあいへと結びつけた。

人間に会話という概念があって、本当によかったと思う。

イメージの中での距離感はいつまでも変わらなかった。

時折は、それは触れてみたいとか、

顔を見てみたいと思うこともあっ―――た。

でも考え方次第である、なければないで、

想像力はそのアシストをしてくれる。

バス停の近くに家を買った。

幸せになる。なってみせるのだ。

故郷に仕事はなくとも都会にはある、

テレワークの普及などによって努力次第で、

ニートの親戚みたいでもかろうじて暮らしていけた。

現実の迷路を暗示しているような謎を解く鍵、

この石の街で。



「もうすぐ会えるだろう―――か・・・」

静かに息を引き取ろうとする老人の傍に、

ぽたり、と透明の雫がスマホの画面に滴る。

さながら重たいドアを音を立てて閉めたように、

世界は繋がった。コンポジットす―――る。

波動であると同時に粒子、

時間と空間に展開を与える現実的認識、

澱みが、ズレが、狂いが、濁ったまだらや線となって浮かび上がり、

いつかの彼女の手がしなやかに伸び、

画像処理技術や音声付加技術。

名前という衣装をまとい、

その交差点が筋のある物語に変わってゆき、

長い間、二人は誰よりも傍にいたことを証明する。

世界はそのようにして優しく終わる。

遠くで鴉の鳴き声が聞こえた拍子に眼を覚ましたと思う、

―――そこはアダムとイヴが迷い込んだ、視野が狭まる、世界だ。


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