第5話-④
本陣前の戦いは混迷を極めていた。
「ええい、何をやってる!」
悪趣味なほど華美な鎧に身を包んだサビオリ男爵が怒鳴る。
「相手は
本陣から飛び出し、恐ろしい速さで突っ込んできた一人の兵士。彼が前線の兵士とぶつかるや、恐ろしい威力で次々になぎ倒してきた。
「ここを通りたかったら、俺を倒してからにしろ!!」
肉食獣のような笑みと共に叫ぶ姿はすでに
そうなってしまえば彼の独壇場である。立ち向かう者も逃げる者も問わず、当たるを幸いに槍を振り回す。返り血を浴びたオズワルドが鬼神のように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
そこへ遅れてクィエル軍が加勢する。同士討ちの危険がある魔法や弓は使えず、全員が白兵戦を余儀なくされた。
しかも、見る者が見れば彼らの後ろには巨大な翼を動かす白馬がいた。額に銀の角を持ち、凪いだ湖のように透き通った双眸。
ペガサスとユニコーン。太古に滅びたはずの生き物の特徴を持ったそれは
本陣へ向かおうとする王国兵たちを突風でなぎ倒し、そこへクィエル兵が殺到する。
どうにかこうにか、その風を掻い潜って本陣の前まで来たとしても終わりではない。待っていましたと言わんばかりに矢や魔法の雨が降り注ぎ、地面を赤く染める。その先にある真新しく盛られた山が二重三重に本陣を囲んでおり、うっかりそれを踏めば爆発して体が吹き飛ぶ。爆発の魔法石をそのまま転用した地雷群である。突破しても死、もたもたしていても矢の的となって死ぬ。
ただでさえ心を折られた兵士たちにとって、かろうじて残っていた戦意をすり潰すには十分すぎる作戦だった。
「あ、あんなの人間じゃねえ!」
「化け物だ!」
「俺はまだ死にたくない!」
なけなしの武器を捨て、兵は次々に地に伏せた。回り込んでも後ろに逃げてもクィエル兵の餌食になる。だったら死んだふりをしていた方がまだ生還率が高かった。
しかし、それに気付かないのがサビオリ男爵である。魔法の練習もサボったおかげで見事に使えない彼は、たった一人のクィエル兵すら倒せない自軍の兵にただ苛立ち、八つ当たりをするだけだった。
そんな立場だけの彼を、窮地に追いやられた兵が守るだろうか。
「こ……っの、役立たず共が!!」
戦意を失くし投降する兵らに暴言を吐いて、サビオリ男爵は身を翻した。
味方を捨てて逃げたのである。
センリャクテキテッタイだと彼は言うだろうが、敵前逃亡なのに変わりはない。
何もかもが上手く行くと思ったのに。
国王が一万の兵を貸し与えてくれて、期待しているとの言葉を賜った。気難しい王子や将軍には辟易したが、この戦力があればまた領主に返り咲けると思ったのに。
実際はどうだ。わずか二千ほどの兵力を前に、いいようにやられ、
それもこれも、あの疫病神が戻ってきてからだ!
誠に遺憾だが、ここで自分だけでも逃げ帰ればまだ反撃のチャンスはある。
サビオリ男爵は、この期に及んでもなおそう信じ切っていた。
「ぐぁっ!?」
その足に激痛が走る。つんのめって倒れたサビオリ男爵は顔を上げ、
「ぶべっ!?」
鉄の爪先が顎に入った。
蹴りが入った拍子に歯が何本か折れたりしたが、気にしている余裕はない。
「ぶ……っが、ら、にゃにをしゅる!?」
なんとか起き上がると、涙で滲む視界に映ったのは、クィエルの紋章が入った鎧。
「妻の分だ」
冷たい声とともに今度は拳が入る。今度は奥歯が砕けた。
「これは娘の分」
さらに手にしていた槍を握り直し、左足を突き刺した。
「そして、息子の分だ!」
「ぎゃああああああああ!!」
サビオリ男爵は悲鳴を上げた。刺された足が焼けるように痛い。どうにかして抜こうとするが、足を振っても、槍を掴んでも、まったく抜けなかった。
周囲にクィエル兵が集まるが、誰も手を貸さない。逃げる素振りをしたらいつでも剣や槍でさせるよう、ただ獲物を手に見下ろすだけだった。
「い、い、痛い! いだいぃぃいいい~~!!」
「痛いか? お前にも痛覚があったんだな」
「なっ」
まるで男爵が無機物であるかのような物言いに、彼は一瞬痛みを忘れた。
「私はクィエル領主のユリティ・サビオリ伯爵だぞ! 貴様ら、こんなことをしてタダで済むとでも思っているのか!?」
「思っているさ」
答えた兵士は槍を再び握り、その穂をさらに深く沈める。
「ぎゃああああああああ!」
「あんたのことは好きにしていいと、領主さまから直々に賜っている」
領主。この場でそれが示すのは、男爵を蹴落とした
「き、貴様ら、あんなものに媚びへつらって……! プライドはないのか!?」
顔をぐちゃぐちゃにして罵る男爵に、兵士は鼻で笑った。
「少なくとも、民が飢えて凍えているのに飯を捨てていたあんたには言われたくないな」
そのまま槍を引き抜くと、血がどぷりと溢れ出た。
「ついでに手当てしとけ」
部下らしき兵士たちに指示を出し、隊長と思しき兵士は続ける。
「ああ、そうそう。あんたは殺さないよ」
それを聞いた男爵は、痛みに呻きながらあからさまにホッとした表情を浮かべた。
「うちには優秀な治癒術師がいるんだ。その人に治してもらいながら、みんなの気が済むまで痛めつけるからな」
目を見開いた男爵が叫ぶ。だがその口は猿轡できつく塞がれ、出てくるのは意味不明な呻き声だった。
――ユリティ・サビオリ男爵はその後、復讐という名の拷問に耐え切れず三日で発狂。そのまま食事もとらずに死亡した。遺体は糞尿にまみれた部屋の中で笑顔のまま倒れていたらしい。
なお、彼の家族はその後も旧サビオリ領から出ることはなかったという。
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