第2話-⑤

「……え?」

 オズワルドが別の意味で目を瞬く。

「風魔法? 俺が?」

 剣を下ろし、空いている手で自分を指さすオズワルドに、「相変わらず自覚なしかよ……」とディムはごく小さな声で呟く。

 実際、オズワルドは風の加護を持っている。だが彼には魔法の才能がなかった。だから剣の実力を示せる軍に入ったのだが、ディムの口ぶりではどうも違ったらしい。

「お前、風魔法で身体能力を上げてるんだよ。それも無意識のうちに」

「……はい?」

 素っ頓狂な声を上げたのはフレノールの方だった。

「ほ、本当ですか、領主さま!?」

「ああ。言ったところで無駄だろうと思って黙ってたんだけど、さすがにこの成長は予想外だった」

 死ぬかと思った、とディムは左肩を撫でた。

 いくら木剣でも、あの突きをまともに受けたら骨折していたかもしれない。真剣じゃなくてよかったと、この時ほど感謝したことはなかった。

「えー……俺が?」

 当のオズワルドは自分の体を見回しているが、身体能力の強化は自分自身にしかわからない。目に見えないものを見ようとしても無理だった。

「じゃあ、さっきのもお前が身体強化したのか?」

「いや、ちょっと違う」

 真っ先に生まれた可能性を、ディムは否定した。

「本当は墓場まで持っていくつもりだったんだけどな……」

 そうひとりごちて、彼は「あー」だの「うー」だの呻いて頭を掻く。

「……なんだよ」

「いや……うん」

 気の短いオズワルドが痺れを切らしそうになる。ディムは一際乱暴に頭を掻くと、いきなり軍服の襟を開いた。

「闇魔法、って知ってるか?」

「は?」

 唐突な問いにオズワルドは眉を寄せる。

 口を開こうとした彼を手で制し、ディムは襟の左側を開ける。

「失われた……いや、奪われた魔法」

 そこにあるものがよく見えるよう、彼は首をかしげる。

「認識阻害……簡単に言えば、相手の目を錯覚させる魔法だ」

 ウェンディは目を大きく見開く。

「俺は、それを使ったんだ」

 ディムの首には、「5R11X1」の英数字が刻まれていた。

 クィエルに来て一週間。その間、一度も見なかった、王都では見慣れていた光景。

 それは、祝福されざる者の証。国が所有する奴隷。人の姿をした家畜。

「……番号札ナンバーズ……?」

 おぞましいものを見たかのような声が、ウェンディの口から零れ出た。

「な……んで……?」

「なんで、と言われてもな」

 襟を戻したディムが肩をすくめる。

「生まれた時にこいつを刻まれたからな。豚と一緒に育てられて、歩けるようになったら労働だ」

 番号札ナンバーズは様々な労働に従事している。厳しいものでは鉱山での採掘や海での漁、耕作、引っ越しなどで重い家財道具を運搬する際にも使われる。軽いものなら公共施設の清掃や客引き、それにごく安価だが、夜の街で売られることもあるという。

 見目の良い番号札ナンバーズは貴族の玩具として可愛がられるという話もある。ディムは顔立ちが整っていたから、そちらの方だったのかもしれない。

 先々代の領主との縁もそこで出来たのだろうか。だが、そこから飛び出してわざわざ学園に通う必要も、ましてや剣を教えてもらう必要もない。いや、そもそも番号札ナンバーズが名前を持っている時点でおかしい。

 矛盾と疑問が頭の中を埋め尽くす。

「さっきのも、闇魔法で認識阻害……俺の影をその場に残して、同時に魔力で底上げした足で脱出したんだ。さすがにあそこから無傷で出られるかは賭けだったけど」

 ディムが何か言っているが、ウェンディにはもうほとんど届いていなかった。

「――へぇ」

 オズワルドが楽しそうな声を出した。

「いろいろ言いたいことはあるけど、お前をただの奴隷にしておくなんてもったいねえ」

『は……っ!?』

 全員が驚愕に目を見開く中、ウェンディは思わず叫んだ。

「な、にを言ってるの、オズワルド! 番号札ナンバーズに肩入れするの!?」

 ただの道具である番号札ナンバーズを擁護するような発言は、国への遠回しの侮辱になる。良くて罰金や数日の強制労働。最悪の場合、処刑されてしまう。

「あ? んなこと言ってねーだろ」

 だが、オズワルドは首をひねってちょっとだけウェンディを見ると、すぐにディムに視線を戻した。

「俺はこいつと会って、負けて、もっと強くなれた。でなきゃここまで強くなれなかった。そんな才能あるやつが埋もれてたのが信じらんねーよ。一体どうやったんだ?」

「…………。先々代に拾ってもらって、稽古を付けてもらった」

「そうか。んじゃ、その先々代にも感謝しねーとな」

 びしっ、と木剣の先がディムに定められる。

「俺のサイッコーのライバルを生んでくれたんだからな」

 ディムが不安げに眉を寄せる。

「……気にしないのか?」

「あ? なにが?」

「俺が番号札ナンバーズだってこと」

「そーいうのは他の連中の仕事」

 いっそ清々しいくらいオズワルドは言い切った。

「俺は国一番の武人になる。そのためのライバルがお前だったってだけだ」

 そういえば、学生時代もそんなことを言っていたなと、ウェンディは頭の片隅で思い出した。

 でも。だけど。

「ありえない……」

 ディムが番号札ナンバーズなんて。

 それを受け入れてしまうなんて。

「仕切り直すぞ」

「いいのか?」

 今度こそ本気で驚いたようにディムが聞き返した。

「まだ決着ついてねーんだ。さっきのはノーカンでいいからよ」

「……ああ」

 ディムは泣き出しそうな笑顔を浮かべたが、まばたきの後にはいつもの彼になっていた。

「次で決めるぞ」

「おっしゃ!」

 互いに距離を取り、再びオズワルドが駆け出す。

 先ほどと同じ、一瞬の接近。

 大上段からの振り下ろしを、ディムはステップを踏むように躱した。

 そのまま軸足をひねって体を回転させ、遠心力を乗せた剣をオズワルドの胴に叩き込む。

「ぐっ!」

 もろに受けたオズワルドが倒れ、その手から剣が転がり落ちた。

「一回見た技は通用しない」

 起き上がろうとするオズワルドの首筋にディムは剣先を突き付ける。

「学生時代に山ほど経験しただろうが」

「ぐぅ……」

 オズワルドは悔しそうに呻いて、地面に大の字で転がった。

「あー、もう! やっと一本とれると思ったのにー!」

 それが、彼の降参宣言だった。

「勝者、領主さま!」

 フレノールの宣言であちこちから歓声が沸き、練兵場に兵士たちが殺到する。

 ディムの手を借りて起こされたオズワルド共々もみくちゃにされ、なぜか二人そろって胴上げされている。

 そんな異様な光景に、ウェンディの頭はついに限界を迎えた。

「ウェンディさん……!?」

 リュミスの声が遠い。視界が暗くなる。手足からゆっくりと力が抜け、立っていられなくなる。

「ありえない」

 その言葉は、果たして声になっただろうか。

 確かめる術もないまま、ウェンディの意識は闇に沈んだ。

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