〈第1話〉願いはここから始まった……。

 ────???


 白い靄のかかった空間。


 いくら見渡しても何も無い空間。


 上を見ても下を見ても、左右を見ても何も無い。


 視線を動かし周りの様子を見る事は出来るのだが、体が全く動かせない。まるで意識だけがふわふわと漂っている感覚。

 白い靄のかかった空間で、その感覚にしばらく身を委ねていると、目の前が急に眩しくなりある風景が眼前に広がる。


 (どこだ……、ここ)

 どういう訳か、俺は今見覚えの無い道を歩いている。

 いや、見覚えがないと言うのは嘘……か?見覚えはある。そう、ここは昼間道に迷って辿り着いた神社の境内だ。


 (なんでまた俺はここに……?)

 そんな俺の思考とは無関係に、体がどんどん境内の奥へ進んでいく。

 そして、俺はふと自分の視線が、小学生低学年くらいの高さしかないことに気づいた。


 (なんだ?どういうこと……?)

 自分の身長が低くなっている事に、思考が戸惑っていると、社殿の片隅に着物を着た、4人の子供達が集まっているのが見えてきた。


 (着物……?)

 小学生くらいの子供達が着物を着ている。この事から、俺はこの夢が現代の夢じゃないことを悟る。


 「おい!そっちに逃げんようにしちょけよ!」

 子供達は体を丸くしてしゃがみ込み、子供達の中央に居る"何か"を四方から囲み、逃がさないようにしている様だ。


 「勘助、《かんすけ》何しちょるん?」

 俺の口が勝手に動き、ガキ大将の様な子に声をかける。


 「おう!小太郎こたろうも来たんか。"面白い物"が居おるけぇ、こっち来てみぃ!」

 勘助と呼ばれた子が、嬉々として名前を呼び、俺の方へ顔を向ける。


 (小……太郎?)

 それは、あの"白い"少女が俺に向けて呼んだ名前と同じだった。

 小太郎は"面白い物"という言葉に首を傾げ、子供達がしゃがみ込んでいる場所へ小走りで駆け寄る。

 そして、子供達の囲んでいる"面白い物"を隙間から覗き見る。

 それは、"白蛇"の子供だった。

 子供達が持っている木の棒で叩かれたり突いたりされたのだろう、所々怪我をして血が滲んでいる。

 自分をイジメる人間が増えたと思ったのか、白蛇は小太郎に向かって大きく口を開け、威嚇してくる。


 「勘助!これ白蛇じゃないか!」


 (コイツ等蛇を虐めてやがる!)

 4人が白蛇をイジメていたと分かると、俺と小太郎の中に怒りが湧いてきたのを感じた。


 「おう!白蛇じゃ!珍しいじゃろ!?さっきそこの草むらから這い出てきちょったから、皆で捕まえたんじゃ!」

 勘助が得意げな表情で捕まえた白蛇を自慢してくる。


 「やめろよ!」

 小太郎は怒鳴りながら勘助を突き飛ばし、勘助は盛大に尻もちをついた。


 「お前なんて事しちょるんじゃ!白蛇は神様のお遣いって知っちょるじゃろ!それをこんなに傷だらけにイジメて……。この罰当たりが!」

 小太郎が怒っているのは、神様の遣いをイジメていたから、というのもあったのかもしれないが、それより何より、自分より遥かに小さい生き物を笑いながらイジメている子供達に、腹を立てていた様に感じる。

 俺もこの光景に腹を立てた。


 「いってぇ……」

 勘助が強打した尻を摩りながら立ち上がり、突き飛ばした俺……じゃなく、小太郎を睨んでくる。


 (で、デカッ!!)

 しゃがみ込んでいた時には気づかなかったが、勘助は恰幅がよく、身長も小太郎より高かった。


 「お前……、覚悟はできちょるんじゃろうな……?」

 突き飛ばされ、興を削がれた勘助が、怒りをこちらに向け、拳をバキバキと鳴らし臨戦態勢に入る。

 そんな勘助を見て、小太郎も身構えるが、体格の違いに気圧されてしまう。

 勘助は右腕を振りかぶり、勢いをつけ右の拳を小太郎の顔面目掛けて突き出してくる。

 勘助に気圧されていた小太郎は、避けることが出来ず、真正面からその拳を受けてしまい、そのまま後方へ転倒してしまう。


 (いってぇ〜……くない?あれ、なんで?)

 顔面を殴られた小太郎の顔からは、鼻血が出ているのに痛みを感じない。

 痛みがないことに疑問を抱いたが、俺はここでようやく、これが夢なんだと気づく。


 (夢だと殴られても痛くないってホントだったのか!)

 と、俺は呑気に変な感動を覚えてしまう。


 「どうしたんじゃ小太郎!かかって来いよ!」

 勘助が鼻血を流しながら転倒した小太郎をニヤニヤと見下し、挑発してくる。

 小太郎はフラフラと立ち上がり、鼻血を着物の裾で拭い、体格差のある勘助に、勇敢にも立ち向かって行くが、顔面に受けた一撃が重すぎたようで、頭がクラクラして足元がおぼつかない。

 まだ立ち上がってフラフラの小太郎に向けて、勘助の右拳が再び飛んでくる。

 小太郎は、左頬で勘助の2発目の重い右拳を受けてしまう。

 だが、2発目は足に力を入れ、踏ん張って耐える。


 「このおおぉぉ!!」

 勘助の2発目の拳を耐えた小太郎は、右手に力を込めて、勘助の左頬目掛けて拳を思いっきり振る。

 だが、勘助は平気な顔している。いや、むしろニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。

 殴られては倒れ、殴られては倒れを何度も繰り返す小太郎。だが、何度倒れても、どんなに相手が強く大きくても、小太郎は立ち上がり勘助に向かって行く。そんな小太郎の髪は乱れ、顔は赤く腫れ上がり、着物も土埃と血で汚れてしまっている。


 (もういい!もういいからそのまま倒れちまえ!)

 痛みは感じないが、揺れる視界と足取りが、もう限界だと言っているのが分かった。

 勘助が最後の一発とばかりに、思いっきり右拳を振りかぶり、小太郎の左頬に叩きつける。

 そして、小太郎はついに地面に仰向けに倒れた。


 「はぁ…、はぁ……。弱い癖に俺に刃向かって来るなや……」

 殴っても殴っても立ち上がってくる小太郎に、勘助は殴り疲れて息を切らしていた。


 「ちっ!もう帰るぞ!」

 ムキになって小太郎を殴りすぎてしまった事に気分が悪くなってしまった勘助は、舌打ちをして怯えながら見ていた取り巻き3人に声をかけ、社殿に背を向け、取り巻きを引き連れて、倒れている小太郎を置き去りにして神社を出ていく。


 「はぁ…、情けない……。やられっぱなしじゃったなぁ」

 痛みよりもやられっぱなしだった自分が、弱く、情けなく、それが悔しかった小太郎は、涙をボロボロと流し静かに泣いた。


 (情けなく無い!お前は立派で勇敢だったよ!)

 夢の中の小太郎には、聞こえないと分かっていても、言わずにはいられなかった。

 ふと、泣いている小太郎の視界に、白蛇が動かずにずっとこちらを見ていた。


 「お前、なんで逃げないんじゃ?」

 小太郎の問いに反応したかのように、白蛇がチロッと赤い舌を一瞬出す。


 「っ!!」

 立ち上がろうとする小太郎の体に、勘助に殴られた痛みが走る。

 痛みに顔を歪めながらも、その痛みを堪えて、立ち上がった小太郎は白蛇に、フラフラな足取りで近づいて行く。

 白蛇は警戒し身構えるものの、近づいて来る小太郎を見ても全く逃げようとはしなかった。


 「逃……げんのか?」

 その問いに、白蛇は返事をするかのように再び赤い舌を一瞬出し、赤い瞳で小太郎を凝視する。


 「俺、白蛇見るの初めて……。お前、凄い綺麗じゃな……。世の中にはこんな綺麗な生き物が居るんか」

 (俺、白蛇見るの初めて……。コイツ、凄い綺麗だな……。世の中にはこんな綺麗な生き物が居るのか)

 小太郎の発した言葉と俺の思考がリンクし、初めて見る白蛇の美しさに、俺と小太郎は釘付けになり見惚れてしまう。


 「ごめんな……。痛かったじゃろ?ごめん……」

 真っ白な体なだけに、所々流れている血が目立ち、とても痛ましかった。

 小太郎が傷つけた訳ではないのに、目の前で自分を見上げてくる傷ついた白蛇に、ボロボロと泣きながら謝罪し、そっと頭に触れ傷が痛まぬように優しく撫でる。

 小太郎に頭を撫でられ心地よかったのか、白蛇はまた一瞬舌を出して反応する。

 そして、鎌首を持ち上げ、頭をぺこりと下げ、まるでお礼を言った様な仕草を見せ、境内の脇にある草むらに向かって這って行く。

 それを見た小太郎は涙を拭う。


 「もう人の前に出てきちゃダメじゃぞ!」

 草むらに消えていく白蛇の後ろ姿に、小太郎が手を振りながら声をかける。


 (この子……。すっげぇ優しくて勇敢な子だな……)

 俺は自分より小さい生き物を守って、自分より大きい奴に向かって行く、この小太郎という少年が凄いと思ってしまった。


~>゜~~


 8月18日自宅────朝

 

 ピッ───

 ピッ───

 ピッ───

 ピピピピッ───

 転校手続きをした翌日の朝、7時半にセットした目覚まし時計の電子音が、部屋中に鳴り響く。


 ピッ───

 けたたましく鳴る目覚まし時計を手探りで探し、アラームのストップボタンを押し、目覚まし時計を鳴り止ませる。


 「ん……。ふぁ〜……」

 俺は寝惚けた頭を大きい欠伸と背伸びをして、体を眠気から覚まさせる。


 「昔々、あるころに……。ってか。ありがちな夢?話しだったな……」

 まだぼーっとする頭で、さっき見た夢を思い返す。

 あの夢が鮮明すぎて、まるで自分が昔に体験した記憶だったかの様な錯覚に陥ってしまう自分が居る……。


 「ただの夢……、だよな?」

 ただの夢。そう思った。でも俺は"ここから何かが始まった"様な気がした。

 俺1人しかいない部屋で、自問自答した小さい声が、外から聞こえてくる小鳥の囀りでかき消される。そして、まだ横になっていた体を起こし、天井を見上げる。


 「ん……?あれ?俺、あの神社からどうやって帰って来たんだっけ……?」

 道に迷って神社に辿り着いた。そこで"白い"少女と目が合って、その女の子が俺の事を『小太郎』と呼んだ所までは覚えている。だが、そこからどうやって家まで帰って来たかがわからない。しかも、服を着替えずにベッドに入った様で、前の学校の制服を着ていた。

 昨日の神社からの記憶が綺麗さっぱり消えている事に、俺の思考が酷く混乱する。


 「そういえば、俺も小学生の頃蛇を助けた事あったっけ……」

 夢に出てきた白蛇ではなかったけど、あれはアオダイショウっていうのかな?が、先程見た夢の様に小学生時代に、蛇虐められていた所を助けた事を思い出した。


 「何か俺……、ここに来て変だな……。はぁ」

 俺は考えることをやめ、大きなため息をついて再びベッドに横たわる。


 「まだ夏休みでよかった……」

 白崎高校への初登校は、夏休み明けの9月1日からである事に、俺はデジタルの目覚まし時計に表示される日付けを見て安堵した。

 せっかくの夏休みで、横になったついでに、二度寝を決め込もうと思った時、リビングから人の気配と微かに会話が聞こえてくることに気づいた。


 「あれ、父さん達居るのか」

 二度寝をしようと思ったが、両親が居るならと、ベッドから抜け出し、部屋に散乱する引越しの荷物が入ったダンボールを避け、リビングへ向かう。

 廊下を抜け、リビングの扉を開くと、朝食を済ませ、食後のコーヒーを飲みながらタブレットに視線を落としているスーツ姿の父と、キッチンのシンクで、朝食に使用した食器を洗っている母の姿があった。


 「おはよう」

 朝の挨拶をしながら、父佐々木和人ささきかずと母佐々木小和ささきこよりのいるリビングへ入る。


 「あら、コージ起きたの?まだ夏休みだったから起こさなかったんだけど……、朝ご飯食べる?」

 リビングに入ってきた俺に、母が気づき朝食をどうするか尋ねてくる。

 ちなみに、父と母は俺の事を"コージ"という愛称で呼ぶ。

 どうやら母は、夏休みでまだ寝ているだろうと、気を使って起こしに来なかった様だ。

 父もリビングに入ってきた俺に気づくと、タブレットに落としていた視線を一瞬俺の方へ向け、「おはよう」と素っ気なく挨拶をして、再びタブレットに視線を戻す。


 「うん。食べる」

 俺は短く簡潔に答え、父の座っている正面の席に腰を下ろす。


 「すぐ用意するから少し待ってね」

 食器洗いを後回しにして、母が俺の朝食を用意し始める。


 「……。父さんさっきから何見てるの?」

 先程からタブレットから目を離さない父が気になり、俺は声をかけてみる。


 「ん?見てるんじゃなくて読んでるんだよ。新聞を」

 そう言って父は、俺の問いに応え、タブレットを見える様に画面を俺の方に傾ける。そして、タブレットのタッチ画面をスワイプして次のページを開く。


 「新聞?そんなのタブレットじゃなくて、紙の新聞読んでるもんじゃないの?こうやってふんぞり返って新聞広げてさ。てか、ニュース見るんだったらテレビとかの方が良くない?」

 俺は今自分が言った仕草をして見せる。

 何故俺がこう言ったかというと、朝のリビング、用意された朝食、それに手を付けず新聞を大きく開き、どこの記事を読んでいるのか、というより、本当に読んでいるのか分からない父親。そんな光景をアニメやら漫画のワンシーンでよく見ていたからだ。


 「今時紙媒体の新聞は古いだろ。紙はかさばるし。電子媒体の方が便利だよ。それにテレビばかり見て活字離れするのも良くない」

 タブレットからは目を離さず、父は俺に応える。

 そんな父を俺はテーブルに頬杖をついて観察する。


 「そういえば、昨日はごめんなさいね。ちゃんと転校手続きできた?」

 朝食の盛り付けをしながら、母が昨日の転校手続きの際に、同伴出来なかった事を謝罪してくる。

 今日の朝食のメニューは、トースト、目玉焼き、サラダ、豆腐の味噌汁といったスタンダードな朝食だ。


 「できた。てか、今日休みなら今日で良かったんじゃない?」

 できた朝食を俺の前に並べてくれている母に、1人だけで手続きをした不満があったわけではないが、日程を今日に出来なかったのか聞いてみる。


 「朝ゆっくりできるだけで今日も仕事よ。出勤が遅い分、帰って来るのも遅くなるから」

 自分の飲むコーヒーを用意し、父の隣の席に母が腰を下ろす。


 「なら、晩御飯作っとく?」

 母に晩御飯の事を聞きながら、トーストを手に取り、テーブルの上にあるまだ片付けられていなかったマーガリンを塗り、そのトーストを口に運ぶ。

 佐々木家は両親が働かないと貧しい、という訳ではなく、母が仕事好きで、俺を産んで幼稚園に上がる頃に復職し、共働きをしている。

 父曰く、「専業主婦でもいい」と言ったことがあるらしいが、母は断ったらしい。

 そんな母は忙しいながらも、家事と仕事を俺が小学校を卒業するまでやっていた。父も家事に無関心という訳ではではなく、母を気遣って協力的に家事を手伝っている。

 幼稚園の頃なんかは母の代わりに、父が迎えに来ることがわりとあった。

 中学に上がった頃からは、多忙な両親に代わって「俺が晩御飯を作る」と言い出し、料理をする事が多くなった。

 晩御飯を作り始めた頃は、料理本を片手に作っていたが、今では食材さえあればレシピ無しでもそれなりの料理はできる様になっている。


 「お願いできる?お金渡しておくから。メニューはコージに任せるわ」

 そう言って母は申し訳無さそうな表情をする。


 「了解。何か買っとく物とかは?」

 食欲を誘う香りと湯気を立てている味噌汁を啜る。だが、その味噌汁に少し違和感を感じた。


 「あれ?味噌変えた?」

 違和感の正体は味噌の味だった。どうやら引っ越す前まで使っていた味噌を変えた様だ。


 「そうなの。あっちで使ってた味噌がこっちで売ってなかったのよ。それにしても……、コージもお父さんもよく分かるわよねぇ……。美味しくなかった?」

 2人から同じ反応をされ、味が心配になった母が、俺と父の顔色を交互に伺う。


 「美味しくない訳じゃないよ。ただ気になっただけ」

 俺は味噌汁を啜りながら母に答え、正面に居る父も無言で首を縦に振り、俺の答えに同意した反応を見せる。


 「そう。なら良かった。あ、牛乳がもうないから牛乳と何か漬物とか買って置いてもらえる?」

 俺と父の反応に安堵した母は、手をパンっ!と叩き、買い足す物の注文をしてくる。


 「漬物は俺の好みでいい?」

 母と父のを交互に目配せしてみたが、父は相変わらずタブレットを見ていて、こちらの質問を聞いているのか分からない。母は「いいわよ」と答え、コーヒーカップに口を付ける。

 母の答えに俺は「了解」とだけ返し、食事を続ける。


 「あ、そういえばさ」

 俺が出した声に母だけ顔を向けてける。


 「父さんと母さんって"小太郎"って名前聞いた事ある?」

 俺は今朝見た夢と既視感のあるこの地が気になり、両親にそれとなく聞いてみることにした。

 父はタブレットから視線を外し、母と顔を見合わせる。


 「"小太郎"?さぁ……。聞いた事ないわね……」

 母は頬に手を当て、考える仕草をする。たが、母には思い当たる人物が居なかった様で、隣に座る父に視線を向ける。


 「俺も聞いた事ないな」

 父は見ていた新聞の画面を閉じ、タブレットをテーブルの傍らに置き、もう冷めているコーヒーを飲む。


 「親戚の人とか、御先祖様にそんな名前の人がいたとかないかな?」

 再び両親は顔を見合わせ、2人共「居ない」と首を横に振る。


 「そっか……。あ、じゃあさ俺って小さい頃に此処に来たことある?なんなら、俺がまだ母さんのお腹の中にいた頃とかにさ」

 知り合い、親戚、御先祖様にそのような名前の人が居ないと聞くと、今度は過去この地に連れて来られた事があるか問いただす。


 「ないな。岩国に来たのは俺も母さんも初めてだ。観光でも新婚旅行でも来たことは無い」

 そう応えて父は、コーヒーを飲み干す。


 「そっかぁ……」

 母の胎内にいた頃の記憶、所謂胎内記憶が今更になって、無意識に思い出されて懐かしく感じているのかと思ったが、そうでも無い様だ。

 昨日から感じている不思議な既視感が解決出来ず、俺は残念な気持ちになる。


 「でも、どうして急にそんな事聞くの?」

 中々に食い下がり、徐ろに残念そうな顔をする俺を見て、少し心配そうな表情で母が質問してくる。


 「別に……。ちょっと気になる事があっただけ」

 そう答えた俺に対して、母は追求してこなかった。


 「そう……。あ、コージ昨日何かあった?私が帰って来た時には部屋に居たみたいだけど、晩御飯に呼んでも部屋から出てこないし、その服昨日まま見たいだし……」

 昨日の様子がおかしかった上、服装も昨日のままな俺を何かあったのかと、母が心配してくる。


 「俺……、帰ってきてた?どうやって?いつ?」

 母の就業時間的に分からないとは思ったが、自分がいつ、どうやって帰って来たか気になって聞かずにはいられなかった。

 というか、先程の話しを聞く限りでは、母が帰宅した時には、俺はもう帰って来て自室に居たらしい。


 「知らないわよ……。歩いて帰って来たんでしょ?」

 先程から変な事を聞いてくる俺に、母は頬に手を当て困った様に首を傾げる。


 「うん……。そう……だよねぇ……」

 俺は目の前で首を傾げている母に、返ってくる答えが分かっていたかの様な反応をする。

 そんな俺と母のやり取りを見ていた父が、タブレットを持ち、徐ろに席を立つ。


 「そろそろ行ってくる。コージは夏休みだからってダラダラせずに、ちゃんと勉強しろよ。来年は受験だろ」

 そう言って父は、ソファに置いてあった革の鞄にタブレットを入れ、その鞄を持ちリビングから玄関へと向かって行く。

 父から勉強と受験というワードを持ち出され、俺は、「はいは〜い」と渋々といった感じで返答する。

 そして、俺と母はリビングから出ていく父の背中に「行ってらっしゃい」と声をかける。俺は朝食を続け、母は残ったコーヒーを飲み干し、父のコーヒーカップと自分のコーヒーカップを持ち、キッチンに行き、途中だった食器洗いの続きをする。


 「それじゃ、母さんも仕事行く仕度するから」

 洗い物を片付けた母が、水で濡れた手をタオルで拭いながら俺に声をかける。


 「ふぁ〜い。後は片付けとくよ」

 トーストに齧り付いたタイミングで声をかけられ、俺は間抜けな返事をしてしまう。


 「これお金。ここに置くわよ」

 母はそう言ってテーブルに、樋口一葉さんを1人……、もとい五千円札を1枚置く。


 「……。多くない?」

 母が渡してきた金額に、一瞬固まってしまう。

 先程頼まれた物を買うには、千円札1枚あれば事足りる。イレギュラーな物があったとしても、2千円あれば十分だろう。

 だが、テーブルに置かれた金額は5千円。どう考えても多すぎる。

 

 「頼んだ物の他に何か必要な物がありそうだったら買っておいて。あと、コージも文具で必要な物があったらついでに買っておきなさい」

 5千円を渡してきた理由を聞いて、「あぁ、なるほど」と声に出さずに納得する。

 まぁ、それにしても多い気はするのだが……。

 母は着替えをするため、自室に入っていく。

 俺達家族は、こっちに来て最寄り駅からは少し遠いが、築4年の綺麗に管理されている3LDKの部屋を借りた。

 間取りは、廊下を挟んで6帖の洋室と7帖の洋室、その隣に和室が一室あるのだが、父と母は7帖の洋室を使っている。和室は今引越しの荷物があり、荷物が片付けば、父が仕事で使うらしい。


 「さて……」

 朝食を食べ終え食器をシンクに置き、レバー式水栓のレバーを少し上に動かし、蛇口から水を出す。

 スポンジラックに置いてあるスポンジと洗剤を手に取り、洗剤を含ませスポンジを持っている右手を数回握ったり開いたりを繰り返し、スポンジを泡立たせる。

 泡立ったスポンジで、自分が使用した食器を洗ってい、隅に重ねていく。

 自分が使用した食器を全て、泡立てたスポンジで擦り洗いしたら、最後に積み重ねた食器に着いた泡を水で洗い流し、水切りの食器ラックに並べる。

 食器を洗い終えた俺は、冷蔵庫の取手に掛けられているタオルで、水を拭いそのついでに本日の夕食を決めるべく、冷蔵庫を開け中の食材を確認する。


 「ふむ……」

 顎に手を当て、冷蔵庫の1番大きいメインの扉を開け、中の食材を見回す。

 冷蔵庫の中には、玉子6個、飲みかけの牛乳が1本、使いかけのハムとベーコン、そして、封の開いているスライスチーズ、その他諸々のマヨネーズ等の調味料があった。

 続いて、冷蔵庫の1番下にある野菜室の取手に手をかけ、野菜室を開く。

 野菜室には、胡瓜、キャベツ、人参、玉ねぎ、ピーマンが、それぞれビニールの封を開けられた状態で保存されていた。


 「う〜ん……。使いかけの物が多いなぁ……」

 封の開いている食材は痛みが早い。なので、俺は

 使いかけの食材を最優先に使えるメニューを考えることに決めた。


 「今日も暑くなるだろうし。さっぱりした冷やし中華にでもするか」

 夕食のメニューが決まった俺は、野菜室を閉じ、とりあえず買い出しは昼過ぎからにしようと、まだ荷物の散乱している自室に戻ることにした。


~>゜~~〜


 ────???


 夢を見た。


 いや、夢ではなく昔の記憶。

 

 懐かしい記憶。


 あの人と出会った時の大切な記憶。


 私が恋と言うものを知った大切な記憶。


 私の"願いが始まった"きっかけの記憶。


 私の大事な大事な記憶……。


 

 (なんだろ?境内が賑やか……)

 この日、神社の境内から、何やら楽しそうで賑やかな声が聞こえてきた。

 どうやら人間の子供が数人境内で遊んでいるみたいだ。

 私はその楽しげな声に好奇心を抱き、不用意に草むらから出ていき、人間の子供達の前に姿を晒してしまった。

 私の存在に気づいた1人の子供が、こちらを指さし興奮したように大声で叫んでいた。

 その時すぐに草むらに逃げ込めば良かったのだが、初めて見る人間の子供と、先程の叫び声に驚いてしまい、しばらく身体が硬直してしまった。

 硬直から解放され、草むらに逃げ込もうと身体を動かし、草むらの方を向いたが、大柄な人間の子供が私の進行方向に立ち、逃げ道を塞いでいた。

 私は草むらに逃げるのを諦め、反対側に逃げようと身体を動かす。

 だが、反対側には別の子供が回り込んでおり、逃げ道を探している間に残っていた2人の子供に左右の逃げ道も塞がれてしまった。

 四方の逃げ道を塞がれ、私の身体は目の前に居る自分より何十倍も大きな人間に対する恐怖で、萎縮してしまって動かなくなってしまう。

 せめてもの抵抗を見せるため、萎縮した身体を1番大柄な子供の方へ動かし、鎌首を持ち上げ、口を大きく開き精一杯の威嚇をする。

 私のその反応が面白かったのか、大柄な子供はニヤリと嫌な笑みを浮かべるのと同時に、私の頭に強い衝撃が走る。

 人間の体格にばかり気を取られていたが、子供達は皆手に木の棒を持っている事に今更気づいた。

 おそらく先程の頭への衝撃は木の棒で殴られたのだろう。


 (いたい……。頭がクラクラする……)

 脳震盪で気を失いそうになるが、頑張って意識を保ち、弱々しく再度威嚇をする。

 子供達にとって、小さい生き物のこういった抵抗は面白く、次にどんな反応するのかわくわくするのかもしれない。そして、今度は身体を木の棒で殴られた。

 殴られた痛みに身を捩らせると、子供達は笑っていた。

 この時の私は、まだ生まれてから半年くらいしか経っておらず、皮膚(鱗)が弱く殴られた箇所が裂け、血が流れていた。

 私は少しでも身を守るため、身体を丸めた。私が何か違う反応をする度子供達のイジメはヒートアップしていく。


 (いたい!いたい!!いたい!!!もうやめて!!!)

 その後も、何度も身体を木の棒で殴られ、何度も突かれ、私の身体は傷だらけになっていった。

 なんで私は人間の前に姿を晒してしまったのだろうと自分の好奇心に後悔した。

 殴られ続ける間、なんで人間は自分より小さな生き物をこんなにも傷つけられるのだろうと人間を憎んだ。


 (だめだ……。わたし、ここで死んじゃうんだ……)

 この時私は死を覚悟した。


 「勘助、何しちょるん?」

 

 痛みに耐え、意識が朦朧としていると、また1人人間の子供が増えた。

 四方を囲んでいる子供達の隙間から、後から来た子供が顔を覗かせる。

 その子供は"小太郎"と呼ばれていた。

 私は力を振り絞って小太郎と呼ばれた子に威嚇する。


 (おねがい!私にもういたいことしないで!)

 人間に伝わるわけはないと分かっていても、私はその思いで威嚇した。。

 すると、小太郎は私の姿を見ると大柄な子供、勘助を怒鳴り突き飛ばしていた。私と他の3人は突然の出来事にキョトンとして固まってしまった。

 小太郎に突き飛ばされた勘助は、強打した尻を摩りながら、標的を私から遊びの興を削いだ小太郎へと変更する。


 (この子は私を助けようとしてくれてる……?)

 だが、小太郎は何度も殴り倒されていた。

 それはそうだ。勘助と小太郎とでは体格差があり過ぎる。

 何度も何度も 殴り倒されても小太郎は勘助に立ち向かって行く。


 (……)

 2人が揉めている間に逃げればよいのだが、私は自分より強い相手に立ち向かって行く小太郎から目が離せなかった。

 そして、何度目かの転倒後、小太郎は息を切らし仰向けで、立ち上がらなくなった。


 「はぁ……、はぁ……。弱い癖に俺に刃向かってくるなや……」

 勘助も殴り疲れたのか、息を切らしていた。

 もう起き上がって来ない小太郎を見て、「ちっ!」

 と舌打ちをして、他の3人の子供に声を掛け、3人を引き連れて境内を出ていく。


 (助かった……の?)

 まだフラフラする頭を起こし、4人の出て行った方向を見る。

 境内から去って行く子供達を見て、私はホッと安心した。

 私が安心していると、仰向けで倒れたままの小太郎から、泣き声が聞こえてきた。


 (そうだ。まだこの子が居たんだ……!)

 私は身構えはしたものの、不思議とこの小太郎からは、逃げようと思わなかった。

 私が逃げずに小太郎を見ていると、倒れたままの小太郎の視線が私に向いた。


 「お前、なんで逃げないんじゃ?」

 小太郎の問いかけに、私はチロっと舌を出して反応して見せた。

 逃げない私を見た小太郎は、痛みに顔を歪めながら立ち上がり、フラフラとした足取りで近づいてくる。


 「逃……げんのか?」

 私と小太郎はお互いを凝視する。

 私はチロっと一瞬舌を出し、近づいて来た小太郎の匂いを嗅いでみた。

 蛇は匂いを感じ取る際に、空気中の匂いを2つに分かれた舌の表面に集め、口内にあるヤコブソン器官という、2つの小さな窪みに差し込み匂いを感じ取っている。


 (いい匂い……。優しい匂いだ……)

 この子私には痛い事はしないと不思議と安堵した。


 「俺、白蛇見るの初めて……。お前、凄い綺麗じゃな……。世の中にはこんな綺麗な生き物が居るんか」

 私を見ていた小太郎が、そう呟いた。


 (綺麗?私が綺麗?)

 私は生まれた時から、弁財天様の加護と寵愛を強く受けている様で、他の蛇に比べ、神格と知能が高く人間の言葉も少しだが理解出来た。

 小太郎から「綺麗」と言われ、私は嬉しくなった。


 「ごめんな……。痛かったじゃろ?ごめん……」

 小太郎は急に泣きながら私に謝り、頭をそっと優しく撫でてくれた。

 頭に触れられた瞬間少し傷んだけど、小太郎の手はとても暖かかった。


 (なんで貴方が謝るの?なんで私の為に泣いてくれているの?貴方は私を助けてくれたんだよ?)

 その想いを伝えたくて、私はチロっと舌を出した。

 小太郎は自分と同じ人間が、私の様な小さい生き物を傷つけて笑っていた事が、やるせなくなって泣いていたのかな……。

 もう少しだけこうしていたいと思ったが、さっきの子供達が戻って来ないとも限らない。

 名残惜しかったが、私は頑張って痛みに耐えながら首を持ち上げる。


 (ありがとう。この恩は忘れないよ)

 小太郎に伝わるか分からないが、感謝を込めて頭を下げ、小太郎に背を向ける。


 「もう人の前に出てきちゃダメじゃぞ!」

 背後に小太郎の声を聞きながら、私は元居た草むらへ戻って行く。



 もし、私が人間だったら……。


 もし、私が生まれ変われるのなら、次は人間に生まれ変わりたい……。


 生まれ変わってさっきの彼と……。


 こうして、私の︎︎"︎︎願いは︎︎ここから始まった︎︎ ︎︎ ︎︎……"︎︎


~>゜~~~~


 小太郎と初めて出会った時の記憶を見終わり、私は目を覚ました。


 いや、目を覚ましたと思ったが、周りを見回すと何も無い、どうやら私の意識はまだ現実に戻って来てないようだ。

 しばらく何も無いこの空間で呆けていると、目の前に光を放ち、天界に居る天女が羽織っている羽衣を揺らめかせ、両手に琵琶を持ち、美しい着物を着た神々しい女性が現れた。


 「弁財天様……。お久しぶりでございます」

 私は目の前に現れた女性に、正座をし、両手で三角形を作るように地面に手をつけ、深々と頭を下げた。

 そう、私の目の前に現れたのは、七福神様の1人であり、私が使者をしている神様の弁財天様だった。


 『お立ちなさい。お久しぶりね、白愛。元気にしていましたか?』

 笑顔で問いかけてくる弁財天様に、私は「はい」と短く答え立ち上がる。


 『やっと"あの人"に再会出来た様ですね』

 弁財天様が言っている"あの人"とは、昨日神社で出会った小太郎の生まれ変わりと思われる彼の事だろう。


 「はい。弁財天様のおかげで現世で小太郎と出会うことができました。ですが、小太郎は私の事を覚えていない様でした……」

 私は昨日、最愛の人と再会した。

 だが、私が思い描いていた再会とは違い、小太郎は私の姿をしばらく見つめてきた後、その場で気を失った。

 その場で気を失われたのには驚いたし、何よりも私を覚えていない様子が悲しかった。


 『それは仕方の無い事ですね……。あなたは私の力で白蛇から現世に人間として生まれ変わらせ、転生前の記憶がありますが、人間はそうはいきません。人が生まれ変わる時は前世の記憶は消されてしまいますからね……』

 私が悲しげな表情をしていたのを察して、弁財天様が優しく諭す様に、今の彼に前世の記憶がないことを説明してくれる。


 「そうですか……」

 昨日の小太郎の反応から、薄々分かっていたことだが、改めて説明されると余計に彼の記憶がない事が落ち込んだし悲しかった。


 『彼に前世の記憶はありませんが、あなたの事を思い出す︎︎"︎︎切っ掛け︎︎"︎︎は与えました。思い出すかどうかは彼次第ですが……』

 私の俯いて悲しげな表情をしたからか、弁財天様は励ましの言葉をかけてくれる。


 「切っ掛け……、ですか?」

 私はその言葉を聞いて俯いていた顔をすっと上げ弁財天様の綺麗に整った顔を見あげた。


 『はい。彼にもあなたが見た昔の記憶、あなたと初めて出会った記憶を夢という形でみせました。先程も言いましたが、この先を思い出すかは彼次第……』


「弁財天様、ありがとうございます」

 あの出会いの日を思い出してくれれば、きっとその先の事も、思い出してくれるに違いないと、私は淡い期待と少しの嬉しさで胸がいっぱいになった。

 先程の悲しげな表情から、少しだが晴れやかな表情になった私を見て、弁財天様が微笑んでくれた。


 『さぁ白愛、そろそろ起きる時間ですよ。今日も1日良い日でありますように……』


 「はい。弁財天様、ありがとうございました。行って参ります」


 白愛がそう言うと、何も無かった空間に光が差し込んできて、辺りは光に満たされた。

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