第20話
一緒に過ごす際の決めごとを話しながらの夕食を終えて健は二人掛け用のソファに寝転んで、珠子の視線を受け止めていた。
真新しいスケッチブックを開き、白いページに珠子は鉛筆を滑らせていく。軽やかに芯が削れる音が響いていた。
「何か、ポーズ取る?」
健が問うと、集中している珠子が心ここにあらずといった風に言葉を返した。
「んー…。テレビでも見てて…。」
「はーいよ。」
画家からの要望がない以上、モデルとしてはどうしようもない。健は言われたとおり、大人しくテレビを見ることにした。
ちょうど夜の9時を過ぎて、ドラマのスペシャルを放送している。今年、流行ったドラマの続編だ。
「…。」
テレビの音声のみが響く、静かな時間。
ここはまるで温かい水の中のようだ。この二人だけの空間は水槽のように、居心地がいい。番いの金魚のように寄り添って、ゆっくりと呼吸をして世界はここだけだと勘違いする。
珠子の絵のモデルとなっている間、彼女の視線を独り占めできるのは気分が良い。相手の気配に胸を焦がし、珠子の瞳に自分自身が映ると嬉しい。
今までの誰にも感じたことのない感情。名前を聞いたら、神様は答えてくれるのだろうか。
「健ってさー、」
「うん?」
珠子の声に、健は現実に連れ戻される。
「頭のサイズの割に首が太いから、ギリシャ彫刻みたいだよね。」
「初めて言われたよ。」
「そう?綺麗だよ。周り、見る目無いね。」
そう呟くと再び、珠子はデッサンに没頭する。
その日の夜は5枚のデッサンを描き、珠子はようやく鉛筆を置いた。
「肩凝ったなあ…。」
珠子は肩の筋肉を解すように、回す。
「お疲れ。…揉んであげようか。」
「いいの?」
頷く健を見て、珠子は嬉しそうに背中を向けた。
「じゃ、お願いしまーす。」
「ういー。」
健が珠子の肩にそっと手を乗せると、ピクリと震えるようだった。どうやらくすぐったがりやのようだ。
珠子のなだらかな肩のラインに沿って、手のひらに強弱の力を込めながら揉んでいく。程良く付いた脂肪と、しなやかな筋肉の感触が健の手のひらに伝わる。肩と腕を切り離すならこの筋に沿ってだな、などとどうしても考えてしまう。
そういえば、さっき舐めた珠子の血液は本当に美味しかった。少し塩辛くて、脂の甘ったるさに酔いそうになって。鉄分の芳醇な香りが、堪らなかった。
思い出すだけで、喉が渇くようだった。全てを食べることを許さないくせに、随分と残酷だと思った。
「健の手のひらって、温かいねえ。」
ため息を漏らすように、珠子は呟く。きっと今も自分が我慢していることに、彼女は気付いていないんだろう。
無邪気に体に触れることを許す珠子が何だか面白くなくて、健は彼女のうなじにキスをした。
「ひゃっ!」
珠子がその刺激に驚いて、短く悲鳴を上げる。そしてうなじを隠すように手のひらで押さえ、健を振り返って見た。
「何、どうしたのさ。くすぐったいんだけど。」
瞳を瞬かせながら、珠子はブーイングをする。
「別に。何か憎くて。」
「花の女子大生のうなじにキスして、その罪は重いんだからね!」
まるで小型犬が吠えるようだった。たまちゃんのくせに。
「何、笑ってんのー。」
珠子が半分怒って、半分ふざけて健の脇に手を入れてくすぐった。
「うわ、ちょっと!」
健は笑い転げて、カーペットの上に倒れてしまう。珠子は追撃をして、彼の腹の上に跨がった。
「悪い子はお仕置きなのだ!」
じゃれるように、脇から横腹にかけて集中的にくすぐられる。二人の笑い声が混ざり、室内に響いた刹那。唐突に、玄関の扉が開いた。
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