第5話
健には、人体を食べる悪癖があった。
なかなか食べられる機会はなかったが、SNSが発達した今、自殺志願者を家に誘い込むことによりその欲を満たしていた。
彼らにとって「一緒に死のう」という言葉は甘美な誘惑に含まれるらしい。
一樹が死んだ夜。廃村の墓場で健は、それを見つけた。
不意にしゃがみ込む健を見て、一樹は心配したのだろう。声をかけた。
「どしたん?」
「…。」
健は無言で付着していた土を払って、桜貝のような物体をつまみ上げた。
「うわ、爪じゃん。」
一樹は若干身を引く。ここは墓場で、しかも土葬の習慣のある廃村。やがて行き着いた答えに、一樹はいよいよドン引いた。
「早く、捨てろって。」
「捨てる?どうして。」
健は心底不思議だった。人の爪を細かく刻まずそのままなんて、めったに食べられるものじゃない。
「不気味だろ。縁起悪すぎ。」
健は爪を奪い取ろうとする一樹の手を払いのけた。
「えっ。」
爪を食べる健を見て、一樹は驚いて絶句した。
「…おい、冗談だろ。肝試しにしちゃ、体張りすぎだって。」
「食べる?」
健が善意で勧めた爪の残りを、一樹はよりにもよって乱暴に振り払ってしまった。
「ば、バカ言うな!どうしたんだよ、お前、」
「あーあ。」
もったいない、と健は呟くと再び拾い上げた爪を後ずさる一樹を捕まえて、口の中にねじ込んだ。不意を突かれた格好になった一樹は目を白黒させて、そして健の手を強く噛んだ。エナメル質の歯が肌に食い込んで、血が滲む。ゴリ、と低い音が聞こえて、もしかしたら骨にヒビぐらい入ったかも知れない。
一樹は大きくむせて健に背を向け、口に指を入れて胃の中の物を吐こうとしている。
「だめだよ。」
健は一樹の耳をそっと塞ぎ、そして友人が驚いて振り向こうとする速度をそのまま利用した。
指を噛まれた時とは比べようにならないほどの音が振動を伝って、健の手を痺れさせた。断末魔って意外とカエルみたいだ、と健は思う。
「帰ろっかな。」
健は、背筋を伸ばしながら立ち上がる。手に付いた泥や土をパタパタと払いながら、倒れた一樹を見た。一樹が後ろを向きながら、健を見つめている。
置いて帰るのも可哀想だから、連れて行こうかと思う。何も一樹が憎いわけではない。
「よいしょ、っと。」
一樹を担ぎ上げて、健は歩き始めようとした。意思のない人間の体って重いなあ、と思い、そうだと良いことを思い付く。
健は一度廃墟に戻り、包丁の類いがないかを探った。だが、そう都合良くいくこともなく、仕方なく鋭利なガラス片を慎重に携えて一樹のもとへと戻った。
そしてもったいないかと思いつつも、手のひらを傷つけたくなかったのでコートのポケットに入れていた革の手袋を身に付けた。
そして一樹の衣服を開けさせて、白い腹を露見させる。まだ温かそうなその肌を撫で、健はガラス片を腹に突き立てた。
鋭利とはいえ切れ味は鈍く、思うように引き裂くことができない。ぶつり、と穴を開ける要領で一本の線を引くように裂いていく。あまりの重労働で、玉のような汗が健の額に滲んだ。
心臓は止まっていたので吹き出すことはなかった。
味気なく感じつつ、健は開いた腹に手を差し入れて臓器を取り出す。無くなった臓器分、軽くならないだろうかと期待していたが掻き出してみれば、意外に少なかった。そういえば2kg程度だろうか、落胆して臓器を踏みつけた。
昔から、レバーは食感が苦手だった。手に付着した脂肪の欠片を舐めて、その甘みをエネルギーに変える。
ふとため息を吐き、一樹を背負ってようやく車に辿り着いた。
一樹のポケットから車のキーを取り出して、エンジンをかける。意識は透明なほどすっきりしていて、アルコールは抜けたと勝手に決めて健は車を発車させた。後部座席には一樹を乗せた。
鼻歌を口ずさみ、時折、菓子のように一樹から剥いだ爪を食べる。まだ空は暗く、道路に車はこの一台だけ。
高速に乗り、スピードを上げて見慣れた街に帰ってきた。
アパートに着いた健は眠気を強く感じ、契約していないけれど空いていた駐車場に車を止めた。
肉は女性のものの方が好みだったので、一樹の肉にはそんなに興味がない。死体は連れ帰ってきたので、後は適当に発見でもされれば良いだろう。
徹夜で活動をした所為か、脳裏の奥に眠気が燻っている。健はあくびを噛み殺して、アパートの自室に着くとすぐにベッドに寝転んで布団に包まり目蓋を閉じた。
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