首椿
真崎いみ
第1話
首椿
12月某日、年の瀬。
華やかなクリスマスのイルミネーションから、新年を祝うカウントダウンへと移り変わっていく街の午前0時過ぎ。夜の闇が優しく、地球の半分を抱きしめていた。
最終の電車が過ぎて、繁華街にはアルコールに酔った人たちで溢れていた。タクシー乗り場の長い列に寒そうに宮野健が立っていた。手袋を忘れた両手を自らの呼気で温め、肌と肌をこすり合わせる。鼻の頭と耳の先を紅く染めて、黒いコートに身を包んでいた。
会社の同期で行われていた飲み会の帰り道で、久々に楽しくアルコールを摂取できたと思う。酒だけが先行して些か空腹を覚えていたが一人暮らしをするアパートに帰れば、冷蔵庫に何かしらの食料があるだろうと算段していた。
やがて訪れたタクシーの順番にほっとし、車内に乗り込んで行き先を告げる。ゆっくりと発車するドライバーの運転テクニックに安心して、健は車窓から流れる景色を眺めた。
車のテールランプがまるで真珠のネックレスのようだと思う。夜の繁華街は太陽がない代わりに、電光を駆使し明るさを保っていた。
その景色も住宅街に近づくにつれて徐々に視界への刺激を減らしていく。闇にぽっかりと浮かぶようなコンビニの明かりにタクシーを止めて貰い、健はアパートまでの短い距離を歩くことにした。
サクサクと小気味良い音を立て、今朝降った雪の名残を踏み締めていく。道が凍り付く前のわずかな時間だけに楽しめる足裏への感触だった。
夏に流行ったドラマの主題歌を歌詞も朧気に口ずさんで歩いていると、アパートの屋根が見えてきた。片耳の先が三角に欠けた地域猫が健の方をちらりと見て、道路を横切っていく。前の家の車の下に猫が潜り込むところまで見送って、健はコートのポケットを探る。レザーのキーホルダーがぶら下がる家の鍵を取り出して、一階角部屋の自室の玄関の鍵穴に差し込んだ。
カチリ、と金属製の音が立ち、錠が落ちる。扉を開くと、室内の空気は冷え切っていた。
後ろ手に扉を閉め、健は部屋の電灯のスイッチを壁伝いに探して、点けた。電灯はパラパラと音を立て、点滅を数回繰り返しようやく明るくなった。季節性の流行病を軽快して念入りに手洗いとうがいを済ませ、部屋着に着替える。エアコンの温風を強に設定して、ほっと一息吐いた。
ゆっくりと空気が温くなっていくこの部屋は、事故物件とされていて家賃が安い。タンスに衣服をしまっているときや、湯船に張ったお湯の温度を確認しようと手をいれたときにやんわりとその手を握り返される以外、とくに変わったことはなかった。
「さて、何があったかな。」
空腹を思い出して、健は台所に立って唸るような音を出す冷蔵庫を開ける。
「肉と…。ああ、骨がまだ残ってたか。」
どこの部位だったかな、と首を傾げながら、健は初めて骨を食べたときのことを思い出していた。それは自分を育ててくれた叔父のものだった。
両親は幼い健を捨てて家を出て、以降、母方の叔父が面倒を見てくれた。そんな叔父も健が中学三年生の頃に、交通事故に遭い亡くなった。発作を起こした運転手が乗る車に巻き込まれたという。運転手も亡くなり、誰を憎むこともできずに粛々と葬式を終えた、その日の夜。白い骨壺に収まった叔父と対面した。
これは頭蓋骨だと火葬場で説明を受けた、丸みを帯びた骨の欠片を拾う。水分が飛ぶまで焼かれた骨は驚くほど軽かった。骨壺を軽く揺すってみると、カサコソと乾いた音が響く。
明後日には、身寄りの無い自分は施設に行くのだと聞いた。そこに骨壺に入った叔父はつれていけないらしい。
だから、食べることにした。自分にできる、唯一の供養な気がした。
骨を口に含み、咀嚼する。ザクザクした食感はスナック菓子のようで、穀物のような香りが鼻腔を抜けた。味はものすごく薄い塩味のようでいて、少しの苦味がある。
肋骨は軽く歯で噛み砕くことができ、大腿骨は太いだけに固く顎が疲れるほどだったけれど食べれないほどではない。飲み込むときに粉末になった骨が喉に絡んで、若干むせた。
人、一人分の骨は小食だった健の腹を満たすに充分の量で、何なら多いほどだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます