第39話: 夢と現実
ローハンが目を覚ますと、重い瞼の隙間から薄暗い光が差し込んできた。
ぼんやりとした視界の中、天井の古びた木目がゆっくりと形を帯びてくる。
彼はゆっくりと身を起こそうとしたが、全身に鈍い疲労感が残っている。
周囲を見渡すと、一目でアジトの中だと分かった。
木で組まれた簡素な机、壁に並べられた武器、そして、手作り感のある布のカーテン。
ここはレジスタンスの隠れ家だった。
「ローハン、やっと気がついたか?」
低く落ち着いた声が耳に届く。
目をやると、そこにはアストリアが立っていた。
彼の横にはセラフィスが静かに座り、さらにその後ろにはギルバートとレジスタンスの面々が見守るように集まっている。
「ここは……」
ローハンの声は掠れていた。
喉の乾きを感じながら、彼は状況を整理しようとする。
しかし、頭に浮かぶのは、つい先ほどまで見ていた夢の断片だった。
──自分が命を懸けて地球を救い、人々に称賛される姿。
弟が微笑んで手を振る光景。
そして、彼と最後に交わした言葉……。
(夢?あれは夢だったのか?)
ローハンは眉を寄せて、自分の胸に手を当てた。
脈打つ心臓は確かに現実を感じさせるが、あの弟との会話の感触はどこか生々しく、ただの幻想だとは思えなかった。
「無理するな。お前、だいぶ長い間意識を失ってたんだぞ。」
アストリアが彼の肩に手を置く。
その手は少し乱暴だが、不思議と温かみを感じた。
「・・・長い間?」
ローハンは小さく呟いた。
体の重さはまだ抜けきらないが、それでも心の内面は不思議と軽かった。
彼に弟がいたことは確かだ。
そして彼は弟の温かみを今でも覚えている。
あれが現実か夢かは分からない。
だが、その真実がどうであれ、彼の心の中には、まるで濁った水が澄み切った透明なものへと変わったかのような清らかな静寂が訪れていた。
「ローハン、何も問題ない。君は大丈夫だ。」
セラフィスが優しく語りかける。
彼の言葉はローハンの胸の奥に響いた。
「・・・ああ、大丈夫だ。」
ローハンは小さく頷き、ゆっくりと息を吸い込む。
「・・・俺は、いつから寝てたんだ?」
重い頭を抱えながらローハンが尋ねた。声は掠れ、喉の奥に乾きが張り付いている。
「お前が倒れたのは、俺がマチルダと戦ったあの夜だ。」
アストリアが手を腰に当て、昔を振り返るような口調で答える。
「皆で小さな宴を開いてた時だったよ。お前、いきなりフラッと立ち上がったかと思ったら、そのまま床に突っ伏したんだ。その時は、ただ酒が回っただけかと思ったが。」
「・・・宴?」
ローハンは眉間に皺を寄せ、過去の出来事を思い返そうとした。
しかし、頭の中は霧がかかったようにぼんやりしている。
確かに、仲間達と一息ついた時間があった気がする。
けれども、その先の記憶は途切れ途切れで、すぐに弟の夢の断片へと切り替わってしまう。
「多分、呪いが強大すぎて、まだお前の中にその影響が残っていたのだろう。」
セラフィスが淡々とした口調で言葉を添える。
冷静で静かな声だが、その奥には心配する気持ちが見え隠れしていた。
「呪い、か……。」
ローハンはセラフィスの言葉に小さく俯いた。
アストリアはそんなローハンをじっと見つめると、突然手を叩いて声を張り上げた。
「さあ、もう一度作戦会議を始めよう。」
「作戦会議?」
ローハンは顔を上げた。
「もしかして……オナラがどうたらこうたらってやつか?」
アジトの空気が一瞬止まった。
ローハンの口から出たその言葉に、全員が唖然とし、アストリアだけが少し遅れて声を張り上げて笑い出す。
「はぁ?まだ寝ぼけてるのか?どこからそんな話が出てくんだよ!」
笑いながら、アストリアはローハンの肩を軽く叩いた。
その手の感触が妙に現実感を帯びているのが、ローハンには少しだけ不思議だった。
「そっか…...そうだよな......。」
ローハンはふと俯き、苦笑いしながら呟く。
「ローハン?」
アストリアが怪訝そうに声をかける。
「いや、なんでもないさ……さ、始めようぜ.....会議なんだろ?」
ローハンは顔を上げ、無理に笑顔を作った。
胸の内に湧き上がる違和感と静けさ。
その二つが未だ交錯しながらも、今は目の前の仲間達の声に耳を傾けることに集中した。
──────────────────
ガルム城の監獄は、暗く冷たい湿気に満ちていた。
壁を伝う水滴の音が、死の静寂の中でやけに響く。
その空間は、希望も光も届かない深淵そのものだった。
その中心で、ハウロンは鎖に繋がれていた。
身体中に刻まれた無数の傷跡から血が流れ落ち、床に赤黒い染みを作っている。
彼の筋肉質な体は、拷問によって削ぎ落とされたかのように痩せ細り、両手足の自由は殆ど奪われていた。
しかし、彼の眼差しだけは鋭く燃えていた。
左目は潰され、ただの肉塊と化しているが、右目にはまだ闘志が宿っている。
彼は目の前に立つ魔獣の看守を睨みつけ、視線を逸らそうとはしなかった。
「流石、ミノタウロス族はしぶといねぇ。」
看守はにやりと笑みを浮かべながら言った。
大きな爪を持つ手で、ハウロンの顎を掴み、無理やり顔を上げさせる。
「だが、お前も限界だろう?ほとんど血が残ってねぇんじゃないか?」
そう言いながら看守は乾いた笑いを漏らす。
目の前のハウロンは確かに瀕死の状態だった。
にもかかわらず、その瞳に宿る威圧的な光が、看守の心にかすかな動揺を与える。
「オ……レ……二……ハ……カ……エ……ル……バ……ショ……ガ……ア……ル……」
ハウロンは息も絶え絶えに言葉を紡いだ。
喉は血で塞がれ、声は掠れていたが、それでもその一言には確固たる意志が込められていた。
「はぁ?帰る場所?」
看守はしばらく呆然とした後、声を上げて笑い出した。
「お前にはそんなのあるわけねぇじゃねぇか!どこで誰に裏切られたか、もう忘れちまったのかよ?」
魔獣の笑い声が冷たい石壁に反響する。
その声には嘲笑と侮辱、そして少しばかりの苛立ちが混ざっていた。
どれだけ痛めつけても、この目の前のミノタウロスが心を折れる気配がないのだ。
看守は再び鞭を振り上げ、ハウロンの背中に叩きつけた。
鋭い音が監獄内に響き、次いで血が飛び散る。
しかし、ハウロンは一言も声を上げない。
ただ、潰れた左目の代わりに輝く右目で、看守を睨み続けていた。
「……!」
その視線に一瞬たじろぎ、看守は思わず後ずさった。
だが、すぐにその動揺を隠すように唾を吐き捨て、再び笑みを浮かべた。
「おいおい、そんな目で睨むなよ。お前に未来なんてないんだ。ここで永遠に朽ち果てるんだからな!」
そう言い放ち、看守は再び鞭を振るう。
しかし、ハウロンの心はその痛みを遥かに超えた場所にあった。
──「帰る場所」。
その言葉が彼の胸の奥で静かに燃え続けていた。
それは仲間達の笑顔、共に過ごした日々、そして守りたいと願ったものすべてだった。
それらを思い浮かべるたび、彼の瞳の光はさらに強く輝きを放った。
たとえどんなに身体が痛めつけられようとも、ハウロンの魂だけは決して折れることはなかった。
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