第30話: 帝国闘技場

 アストリアは、馬車が段差を踏み越えようとした勢いで振り落とされてしまう。


 幸い、魔獣達は気がついていないようだ。


 凱旋パレードが終わると、ガラム帝国の巨大な闘技場へと魔獣達が続々と集まって行った。


 アストリアも群衆に紛れながら闘技場へ入っていく。


 高揚した咆哮が響き渡り、観客席は熱狂の渦に包まれている。


 魔獣達は今日の余興を待ち望み、声を張り上げていた。


 王座に座ったゾクナスは、威圧的な存在感を放ちつつ、右手に掲げた"哀の魂"をゆらめかせていた。


 その異様な水色の輝きは、ただ見ているだけで胸を締めつけるような不気味さを感じさせる。


 闘技場の中央には、今まで捕えられた人間達が無理やり集められていた。


 男も女も老人も、皆疲れ果てた表情でうつむき、震えている。


 その背後には鋭い武器を持った魔獣の幹部達が立ちはだかり、一歩でも逃げ出そうとする者を容赦なく切り捨てる準備をしていた。


「さあ!」

 

 幹部の一人が高らかに叫ぶ。


「お互いに潰し合え! 生き残るにはそれしか道はないぞ!」


 人間達は恐怖と混乱の中で視線を交わした。


 誰もが状況を理解していない。


 弱々しい抗議の声やすすり泣きがあちこちから聞こえる。


 しかし、ゾクナスはその光景を冷ややかに見下ろしながら、ゆっくりと"哀の魂"を高く掲げた。


 次の瞬間──。


「……っ!」


「うあああああっ!」


 魂の青い輝きが闘技場全体を覆い始めた。


 捕虜達は一様に目の焦点が定まらなくなり、突如としてその場で悲鳴を上げながら暴れだした。


 互いを殴り、掴み合い、爪で引っ掻き、時には石を拾い上げて相手に叩きつける。


 まるで感情が消え失せたかのように、人々は自分が何をしているかもわからないままに争いを繰り返した。


 たちまち、その場は地獄のような光景へと変わっていく。


 観客席の魔獣達は大歓声を上げ、興奮の極みに達していた。


「もっとやれ! そいつを倒せ!!」


「人間同士が殺し合う姿なんて最高だ!!」


 しかし、闘技場の外れに忍び込んでいたアストリアは、観客の興奮とは正反対の感情に飲み込まれていた。


 鉄格子越しに見える惨状を目の当たりにし、足がすくむ。


「……これは……なんだ……?」


 自分の目の前で繰り広げられる現実が信じられない。


 血生臭い匂いと悲鳴が、かつて戦場で感じたものとは全く異なる、冷たく残酷な現実を突きつけていた。


 王座のゾクナスが高笑いをしながら"哀の魂"を振りかざしている。


 その輝きがさらに強まると、捕虜達はさらに凶暴さを増し、かつて仲間であったはずの者同士で命を奪い合っていった。


「こんなの、人がすることかよ....!」


 アストリアの拳が震える。


 何とかしなければならない。


 しかし、どうすればいいのか分からないまま、彼はその場に立ち尽くしていた。


 アストリアは血と涙に満ちた闘技場の光景を目の当たりにし、限界に達していた。


「もう見ていられない……!」


 胸の奥で激しく沸き上がる感情に突き動かされるように、アストリアは身体を低く構え、闘技場の檻を越えて飛び込んだ。


 観客席の魔獣達は突然の乱入にざわめき立つが、彼の真意など知る由もない。


「やめろー!!!」


 アストリアが叫びながら剣を振りかざすと、その剣先から雷撃が放たれた。


 雷の閃光が轟き、捕虜として戦わされていた人々が次々と気絶して倒れていく。


 互いを傷つけ合う狂気はようやく収まり、闘技場の中は一瞬の静寂に包まれた。


 だが、その沈黙を破ったのは、王座に座るゾクナスの冷たい笑い声だった。


「フフフ……これは面白い。まさか、ここでお目にかかれるとはな。」


 ゾクナスはゆったりと立ち上がり、アストリアをじっと見下ろす。


 その鋭い瞳と圧倒的な威圧感に、アストリアは全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。


「お前は、今、巷で魔獣を倒し続けているとして、魔獣界で懸賞金が掛けられている……アストリアではないか。」


 その名を口にされた瞬間、観客席の魔獣達が一斉にざわめき立つ。


 敵として名を知られていることにアストリアは動揺したが、それでも必死に声を張り上げる。


「こんなことの何が楽しいんだ!」


 ゾクナスはその問いに答える代わりに、"哀の魂"を手に取り、ゆっくりとその水色の輝きをアストリアに向けて見せた。


 その光は冷たく、底知れない闇を感じさせる。


「楽しい? ふむ……お前達人間はこれまで、魔獣を何も考えずに有無を言わさず倒してきたではないか。それと同じことをしているまでだ。何が悪い?」


 冷たく、そして論理的に言い放たれる言葉に、アストリアは言い返す言葉を失った。


 ゾクナスの声には確かに狂気があったが、それだけではない。


 そこには人間に対する深い憎悪と失望が滲んでいた。


「お前のような愚かな人間は、ここで終わるのがふさわしい。」


 ゾクナスが軽く指を鳴らすと、闘技場の周囲に控えていた魔獣の兵士達が一斉にアストリアに襲いかかった。


 剣を構え、必死に応戦するアストリアだったが、数の差は圧倒的だった。


「くそ……!」


 アストリアは必死に抗ったが、遂にその身体は押さえつけられ、剣を奪われてしまう。


 捕らえられたアストリアを見下ろしながら、ゾクナスは冷たく微笑んだ。


「奴をここですぐに始末するのは面白くない。」


「ゾクナス、貴様!!!」


 アストリアが闘技場から引きずられるように連れ出され、暗い牢屋の中に投げ込まれると、鉄の扉が鈍い音を立てて閉ざされた。


 光の届かない薄暗い空間には、すでに多くの人々が押し込まれていた。


 そこには、ハウロンと村の人々もいた....。

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