第26話 火急の案件

 2時限目の授業開始の鐘の音で、リュアティスは目が覚めた。

 疲労感は消えている。

 サイドテーブルに地図が置いてあることに気づき、起き上がって手に取った。


「ホスフレイル侯爵領の港町はフオルファというのか」


 港町の北には山並みが連なり、その北がアークレルト公爵領となっている。


 公爵領内で一番南にあるのは、レステラルス大叔父上の管轄地か。

 ずっと昔に遊びに行った記憶がある。

 薄緑色の牧草の向こうに青い海が煌めいていた。


 彼女は、今、そこにいるのだろうか?

 牧草地へ渡ったって言ってたし。


 ―――それにしても。


「瞬間移動か~」


 あれは、反則じゃないか?

 僕がどこにいるのかわかっているはずもないのに、すぐ目の前に現れるなんて。


 ベッドから降りたリュアティスは、学園の制服ではなく普段着に着替えた。

 講義を受けるにしても午後からにすることにしたからだ。


 魔法で別のところへ瞬時に移動するには、複雑な転移魔法陣を描かなくてはならない。

 なのに、彼女は、石を握っていた手を振りながら「またねー」と言って虹色に輝いただけだった。


 なんていうか……


「うらやましすぎる」


 僕もあれができれば、すぐにでも彼女たちのところへ行けるってことだろう?

 ピエフトとの召喚対決以降、ずっと悩んでいた「探しに行く」ことが簡単にできるってことじゃないか。

 僕がここから母上のご実家まで行こうと思ったら、馬車で14,5日かかるっていうのに。


 着替えている間置いていた地図を再び手に取り、彼らにこっちへ来てもらうほうが早いのではないかと思いながら眺めていたリュアティスだったが、さっきの彼女のように彼らが突然現れたら、その場所によっては大事件になりかねないと思い直す。


 それに、瞬間移動できるのが彼女だけだった場合、結局彼を迎えに行かなくてはならないし。


 やはり、迎えに行って、確実に城まで一緒に来てもらうほうがいいな。

 いろいろ打ち合わせもしたいし。


 そこまで考えて、リュアティスは忘れてはならなかったことを思い出した。


 そういえば彼女、牧草地に男性がいて、その人が何を言っているかわからなかったから僕のところへ来てみただけだ、と言っていた。


 それは、何か興味がわいたら彼女はすぐさまそこへ行ってしまうかもしれないということでは……


「急がなくては」


 せっかく見つけたのに、見失ってしまうかもしれない!


 ちゃんと無事に向こうへ送り返すためには、一刻も早く、説明と相談をする必要がある。


 ―――彼女ではなく、彼女の兄上と。


 リュアティスは地図を握り締め、寝室を出た。


「お目覚めですか、殿下」

「ネスアロフ」


 見ればテーブルの上に紅茶の用意がしてある。


「……なぜか僕は、お前が少々怖くなってきたぞ」

「お褒めに預かり光栄です」


 褒めたわけではないと言いかけて、従者の立場なら最高の賛辞なのかもしれないと、苦笑しながら椅子に座った。

 ネスアロフにも座るように促し、リュアティスはこれまでの経緯をかいつまんで話した。

 エリスレルアの声が頭に響くと頭痛がすることもあるが、その際ならこちらの意思を伝えることができるということも含めて。


 その内容に、さすがのネスアロフも驚いたような表情でしばらく言葉を失っていたが、真顔に戻って口を開いた。


「では、あの時、その青年とともに少女まで召喚してしまったため、あのような魔力欠乏症になったということですか?」


 話すと決めたリュアティスだったが、さすがに、「こっちへ来たのがエリスレルアの力だと思われる」ということは言えなかった。

 今朝、彼女が寝室に現れたことも。

 今話しても余計な混乱と憶測を生むだけだと思われたからだ。


「そうだと思う」

「そして、彼らには遠くにいる人物と話せる能力があり、それで居場所の情報を得た、と」

「そうだ。だが、彼らは異世界人だ。

 国境の認識なんてないから何かの拍子に国外へ出ていってしまう可能性がある。

 そんなことになれば、もう探しに行くことはできなくなってしまう。

 だから、母上のご実家付近にいる今のうちに、どうにかして二人を探しに行きたいんだ」


 思案顔をするネスアロフ。


「あと10日で夏季休暇となりますが、確かに、猶予はありませんね」

「10日後に出発して15日かけて行くってことは、着くのは25日後ということになるからな」


 気分次第でどこにでも行けそうな彼女が、そんなにじっとしていられるとは思えない。

 かといって、王宮にいる飛竜とか、訓練もしないで使えるわけないし……


「これはもう、仕方ありません。

 殿下がご病気になられるしかございません」

「え?」

「幸い…と言っては語弊がございますが、召喚対決以降、殿下は学園をお休みになられていますし、行き先はお母君であられるリンシェルア様のご実家です。

 ご療養中の王妃様のお見舞いをかねて、しばらくご静養になるということで、長期休暇の申請をなされるというのはどうでしょうか」

「……なるほど」


 数年前に体調を崩されて宮廷医術師たちに不治の病であると診断され、それ以来療養なさっている母上。

 あまり気にし過ぎては子供っぽいかと、学園寮に入ってからはあまり考えないようにしていたが。


「それなら、万が一、兄上たちに行き先がばれても異論はないだろう」

「そうですね」


 それから二人は急ピッチで準備を整えた。


   ☆

   ☆

   ☆


 ―――深夜―――


 リュアティスは学園の寮をそっと抜け出した。

 学園にも王城にもちゃんと許可を取ってあるため、こそこそする必要はないのだが、自分が動いたことを知られたくない人物が若干名いるため、深夜の出発となったのだ。

 城が手配した馬車と近衛兵数名は王都の城壁の外で待機している。


 城門へ向かいながら、少し前の通信で、馬車で行くから十数日かかると告げた時の彼女の反応を思い出して、笑みが浮かぶ。


『何それ? どうしてそんなにかかるの? バシャって何?』


 興奮気味の『連続攻撃』に思わず顔をしかめたら、傍で見ていたネスアロフが警戒態勢に入り、彼女への説明以上にそっちをなだめるほうが大変だったのだ。


 城門の外に出ると、地味だが頑丈な造りの馬車があり、その横に冒険者風の装いをした近衛兵4名と御者が片膝をついてリュアティスを迎えた。


「手間をかけてすまない」


 リュアティスは、彼らに軽く声をかけ、ネスアロフとともに馬車へ乗り込んだ。

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