第14話 喧嘩しようぜ
それから日和さんはぽつぽつと語り始めた。
「私にとって……お母さんとは、迷惑をかけてはいけない存在です。お父さんが死んでから、毎日遅くまで働いているお母さんのことをずっと見てきました。私のためにお金を稼いでくれていると分かっているからです……」
淡々と語る日和さん。
でも、感情を見せないようにただ事実を語る様は、まるで自分に言い聞かせているかのようにも見えた。
そして彼女が言っていることに俺は。
「分かる~、すごい分かる!」
圧倒的な共感を覚えた。
仕事で忙しいのに、俺たちのことで更に手を煩わすわけにもいかないと、強く思っていたことが確かにあった。
そんな俺の反応に何かを想ったのか、日和さんは俺の顔をじっと見つめてきた。その丸々とした黒い瞳には羨望が籠っているような気がした。
「あっ、ごめん。話遮っちゃって……もっと続けて欲しい。俺はもっと雲原さんのことを聞きたい」
「そう鳥羽さんが言うのなら……」
日和さんは少しずつ言葉を紡いでいく。
「お母さんが忙しいのは分かります。でも、家は汚いですし、夕飯だって自分で作らなきゃまともなものは食べられない。夜は帰って来るのが遅いから、ドタバタとうるさいですし……」
日和さんの話を聞いていると、自分が遥かに恵まれていることを痛感してしまう。
父さんが帰って来る時間はそこまで遅くないし、超真面目だから、どんなに忙しくとも自分の荷物を散らかしたりはしない。
だから、日和さんの話に百パーセントの共感なんてできない。
けど、その大変さを想像することはできる。
「不満はあっても、母の方が大変に決まっています。だから、私は不満を見せないように、日常生活を送っていると見せきゃいけないんです」
何か諦めたように語る日和さんの姿に力強さはない。
それでも、俺は。大変な生き方に違いないけれど、尊敬を覚えてしまった。
「日和さんってすごいね」
素直にそう口にした。
しかし、日和さんは俺の言った言葉を消化しきれていないように、訝るような視線を見せた。
「凄くなんてないです。そうしなきゃいけないと思ったからです」
「……それが俺には出来なかったから、凄いと思ったんだよ。俺だって父さんに迷惑をかけたくなかった。けど、喧嘩しちゃって……」
「……喧嘩?」
今まで余り表情に変化の無かった日和さんが、目を丸くしていた。
そう言えば日和さんのお母さん、春子さんは「喧嘩なんて考えられない」と言っていたし、そもそも親子喧嘩は脳内に存在しない単語だったのかもしれない。
「まあ、お恥ずかしながら……、我慢していたのが爆発してしまって、言いたいことを言いまくり、手も足も出て……」
母さんがいなくなり、大変だったはずの父さんと喧嘩だ。
あの日のことは忘れたいくらいの醜態だ。でも。
「言いたい事は言えるようになったよ。父さんもそれからは、俺のことを凄く気をかけてくれるようになった。だから、喧嘩して良かったよ」
「そんなことが……あるんですね」
日和さんは信じらないと言った様子で、ポカンとしていた。
思ってもみなかったパワー系な展開に困惑していたのだろう。
険悪な関係性になる可能性もあったわけで、そういう顔になるのも頷ける。
「でも、日和さんだって、喧嘩以外で自分を落ち着けるために、ここに来てるんじゃいの?」
「……どうして、そう思うんです?」
瞳が左右に揺れて、ちょっと動揺している。
一人になりたい理由を当てられるのは、自分でも中々にキモいのでは、とも思う。
「いや、そのー……喧嘩するまでの期間は、父親に甘えそうになるたびに、散歩を繰り返してたときがあったからさ。勝手に似たようなものかなって」
違ったら恥ずかしい、なんて思いながらも自分の推測を述べる。
「……途中で片方の親が消えると皆、同じことを思ったりするんですかね」
「そうかもね」
そして日和さんは自嘲するように話してくれた。
「どうしても母に言いたいことが溜まったとき。甘えたくなってしまう気持ちが溢れそうになると、その気持ちを抑えようと思うんです。それで、一人になればある程度は落ち着くじゃないですか、そういうことです。高校生なのに……馬鹿みたいですよね」
その日和さんの自分自身を嘲るような言い方が苦しい。
やり方は喧嘩してしまった俺なんかよりか、賢い。でも。
「それって息苦しくない?」
「もうここまで来たら認めますけど……はい」
日和さんの生き方は誰にも迷惑をかけなくて穏当だ。
だけど、息苦しいと言っている日和さんを放っておけるわけもない。自分もかつてはそうだったし、尚更のこと。
日和さんがそうやって我慢して生きているのは、春子さんと話した時に何となく想像がついていた。今こうやって、日和さんと話して、俺はやることを決めた。
「雲原さん、俺と一緒にお母さんと喧嘩しよう」
「…………本気ですか?」
日和さんは目をパチクリしながらも、まじまじとこちらを見つめてきた。
まあ、仮に失敗しても父さんが何とかしてくれるだろう……多分。
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