第19話 考察する勇者
何が起こったのか全く理解できず、ただただ三人そろって呆然としていた。
が、すぐに放っておいてよい事態ではない事だけを判断して、蘇った蝿の後を追いかけた。とは言っても狭い部屋の中ならいざ知らず、吹き抜けもある廊下に出た一匹の蝿を見つけるのは困難を極めた。
廊下には宿の者や、他の宿泊客も少し残っていたので戸の突き破られる音に誘われて続々と顔を覗かせていた。
「ちょっと、何の騒ぎですか? 扉まで壊しちゃって」
如何にも厄介事に面倒さを覚えている宿の男がこちらに近づきながらそう言った。うっかり本当のことを言ってしまいそうだったオレが口を開く前に、ルージュが手早く答える。
「我らも分からぬ。突然攻撃された」
一応は責任を逃れられるような嘘をついてくれた。
ざわつく観衆を尻目に、少し離れた廊下の壁が同じような音を出して貫通ひした。そこでいよいよ周りの連中も悲鳴を上げながら警戒態勢を取った。原因に心当たりのあるオレ達三人だけが冷静に穴の開いた部屋へと駆けつけ、中の様子を伺った。
空き部屋だったようで中には誰もいない。
オレ達はこれでもかと顔と眼球を動かし、蝿の行方を追った。
「見つけた」
ルージュがそう口ずさむや否や、飛び掛かって先ほどと同じ手刀を喰らわした。鼻であればオレの方に分があるだろうが、ルージュはとてつもなく目が利くようだ。
オレもラスキャブも、飛び掛かるルージュの姿を目視して一安心した。が、騒動は収まらなかった。
その蝿はルージュの手刀を弾き返してきたのである。
オレとラスキャブもそうだが、一番事態を飲み込めなかったのはルージュだった。普通なら仮に体勢を崩されても瞬時に立て直せる実力はあるはずなのに、まるで抵抗することなく吹っ飛んできた。
何とかルージュを抱きしめるような形で受け止めることはできたが、頭の中には焦りと混乱しか残っていない。
「な、何なのだ、こいつは」
蝿に考える頭があるのかは知らないが、分が悪いと判断したようで、再び壁を突っ切り隣の部屋へと入って行った。だが、今度の部屋は有人だったようで、すぐに叫び声が聞こえてきた。
ラスキャブの仕出かしたことで負傷者を出す訳にはいかない。
オレはルージュをラスキャブに任せて、隣の部屋へ蝿を追いかけた。
そこには如何にも高級な身なりをした男と従者らしい女がいた。突然の事にかなり混乱しているのは明白だった。助けたい気持ちは山々だが、流石にルージュを軽々と吹き飛ばす存在に安易に立ち向かうことはできない。必死に思考を巡らす。
(こんなところで屍術を安易に試すべきじゃなかったか…何が原因なのかさっぱり分からん。もしかするとラスキャブの魔法は屍術とも違う何かなのか)
自分で考えを巡らせた中に出てきた「屍術」という単語に、オレは反応した。
(待てよ。強さは別として仮に本当に屍術だったとしら、あの蝿もゾンビ、つまりはアンデットって事か?)
そう過ぎった時、一つの低級火焔魔法を思い出す。アンデットに特効を持つ魔法だが、それなら今のオレの魔力でも扱えるはずだ。
オレはダメ元で蝿に向かってその魔法を繰り出してみた。
すると。
結果は上々、アンデットとなっていた蝿は燃え尽きて灰になってしまった。
正体不明の魔獣が出たが無事に退治されたということで、騒動は一旦は収まった。
しかし、今度はその魔獣の出現について言及される事態になった。真っ先にオレ達が疑われることになったのは仕方のないことだ。というよりも事実そうなのだから。
オレ達三人は物置のような部屋に一時的に拘留されていた。下手に抵抗しては逆効果だと思い、ルージュにもラスキャブにも抵抗するなと言い聞かせている。
念のため周囲には自分たちの身の危険になるような事をわざわざする理由がない、と言い訳をしはしたが効果は薄いだろう。
宿の破損の弁償くらいで済めばよいが、自警団や警備兵などに引き渡されるようなことになると些か面倒が過ぎる。色々と心配事は募っていたが、今は何よりも件の蝿の強さについて考察しなければならないと思った。
◇
「あの蝿は一体なんだったんだ?」
ラスキャブに直球の疑問を投げかける。
「わ、わかりません。自由に動いていいよ、と念じたら勝手に動き始めて…」
「いや、問題は行動ではなくて、あの蝿自身の強靭さであろう」
「ああ。まさかルージュが弾き飛ばされるとは夢にも思わなかった。全力だったんだろう?」
「全力だった…正確には魔法を使わないレベルでの全力だがな」
「それにしたって異常過ぎる」
何をどう考えても一匹の蝿があれ程までの力を得たことの説明ができない。すると、ぼそりとルージュが言った。
「…ラスキャブと出会った時に戦った熊がいただろう」
「あ、あの時は、その必死で…」
「責めている訳ではない。あの蝿の個としてのポテンシャルは、大よそだがあの熊くらいあったと感じる」
「クローグレと同じくらいの強さがあったと?」
「ああ。たかだか蝿と思って侮って立ち向かったのが、あの失態の原因だな」
ルージュは唇を噛んだ。
そう聞いた時、オレの中に一つの仮説が思い浮かんだ。あの蝿と森で戦ったクローグレの強さの程度が同じくらいであったとするなら、他に考えようもない。
「ラスキャブ」
「は、はい。何でしょうか?」
「オレ達と戦った時も、あのクローグレを蘇らせていたのか?」
「そうです。とは言っても私の魔法で操れるようにしてましたが…」
「となると、あの蝿の出鱈目な強さについて一つ仮説がある」
「聞こう」
ルージュは関心顔を向けてきた。オレは頭に過ぎった内容を上手くまとめながら徐に語り始める。
「確証はないがラスキャブは蘇らせた死体の強さは全て一定になるんじゃないのか。ともすればクローグレとポテンシャルが同程度だったというもの頷ける」
「なるほど。確かにそう考えれば納得だ。しかし…」
「何か引っかかるか?」
「それは屍術そのものの性質なのか?」
「どういう意味だ?」
「この世界にはアンデットが存在しているが、奴らの強さは別々だ。術師の力量に応じて蘇生された者の強さが決まるというような理屈だと多数の屍術師がいることになるが、屍術というのは希少な部類に入る魔術なのだろう?」
ルージュの指摘はもっともだ。とはいえオレ自身も屍術について言うほどの見分がある訳じゃない。強さを振り分けることができるかもしれないし、時間経過などで強さが劣化するなど、いくつかの考えは浮かぶ。
だがそれを言う前にラスキャブが口を挟んできた。
「き、基本的に皆さんが遭遇するアンデットというのは、あくまで自然発生するものです。魔力の乱れなどで生まれた膿のようなものが偶々死体に入って動いているだけですので」
まるで子供でも知っている常識を諭すかのように言われてしまった。アンデットの発生については高位の魔術師たちが結論を出せずにいる事なのに。そしてそれ以上にラスキャブがそれを口にしたことに驚いた。
「お前、記憶があるのか?」
「今ふと頭の中に出てきたんです。何だかその手の知識がぐわんぐわんと…」
ラスキャブは立ちくらみを起こしたようにへたり込んでしまった。
「混乱しているようだな。一先ずラスキャブの術の一端は知れた。危険な術だが、そもそも危険でない術などない、使い方をこれから考えればいいだけだ」
オレは頷いて答えた。
「その通りだな。ルージュもラスキャブは少し休んでいろ。とにかく今はこの拘留が一早く解かれるのを祈るしかない」
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