第10話1999年GW そして、大怪我
賢の誕生日が過ぎて、春めいてくると、桜の季節がやってくる。私は天気のいい休日は、暖かくなってきたので、賢をベビーカーに乗せて、散歩に出かけることが多くなった。賢と歩きながら河川公園に行くと、いろんな鳥がいたり、犬の散歩をしている人がいたり、近所の小さな子供が保護者と一緒に遊びに来ていたりしていた。私は賢に話しかけながら、散歩を楽しむのが日課となっていた。時には車を走らせて、SLやまぐち号を見に行って、あまりの汽笛の大きさに賢がびっくりしたり、散歩中のわんこにほっぺたをなめてもらったり、散歩の時間は
さと子が引き起こす度重なるトラブルを忘れられる、ささやかな時間であった。やっぱり散歩に連れていったら、賢もあまり言葉は出てこなくても、嬉しそうにニコって笑って、満足そうであった。私はさと子にも賢を天気がいい日には散歩に連れて行くように、さんざん言っていたのであるが、さと子は絶対に行くのは嫌だって言っていた。成長の遅れが目立ち始めた賢を周りの人に見られるのが恥ずかしいのだという。散歩に連れていけっていうと必ず言うのが
「親は私ひとりじゃないんやから、あんたが連れていけばいい」
という言葉。だったら私の代わりに仕事に行けっていうと、男が昼間から家におるのはおかしいという。そのくせ家のことは何もしない・子供はほったらかしなので、いい加減腹が立ってしょうがなかったのであるが、子供のこともあって、別れることは思いとどまっていた。まだGW期間中は私も仕事が休みなので、子供のことを見てやれるが、GWが終わったら元嫁と賢がずっと二人で過ごすことになるわけで、私としてはものすごく気になるところであった。
1999年も夏場に差し掛かって、2階の兄ちゃんの夜中のどんちゃん騒ぎは収まったが、相変わらずさと子と私の親きょうだい・親戚や友人とのいさかいやトラブルは続いていた。私が夏休みに入った後は賢を連れて実家に帰ることが多かったが、正直私はさと子の言うことに辟易していたのがほんとのところである。実家に帰っている間は
「あんたはいいよね。帰るところがあって。私は帰るところがないのわかってて実家に逃げるんやね」
というようなことをしょっちゅう言っていた。私もさと子のことを当初は守ろうと思っていたが、これまでの非常識なふるまいや言動など見ていると、とてもそのようには思えなかった。精神的にも疲れていた。なので、実家に帰っている間はさと子を相手にする必要がなかったので、落ち着いて過ごすことができた。
その盆連休が終わって、9月に入った夜勤の週の出来事である。私が夜勤業務を終えて帰宅すると8時前だったということもあって、周りは小学校に向かう子供たちの通学時間ということもあり、アパートの周りも窓を開けていたら子供たちの元気そうな声が響いていた。私は食事を済ませて、汗をかいたので入浴して就寝の準備にはいいた。さと子と賢は小児科の受診のため、私が入浴をしている間に出かけて、私が布団を敷いて眠っていると、いきなり玄関のドアが勢いよくあいて、さと子が帰ってきた。そして、夜勤で寝ている私をたたき起こして、
「もう、なんなんよあんたのお姉さんは。また実家に帰って子供を預けて自分ばっかり楽してから。ほんとう、あんたのお姉さんは楽することしか考えてないんやね。マジで腹が立つわ。ちょっとさぁ、あんたからもお姉さんに実家に帰るなって言いなさいよ」
私は眠りを妨害されて頭がふらふらな状態でさと子のくだらない文句を聞かされて、ギャーギャーわめくので
「はぁ?なんで俺がそんなこと言わなきゃなんねぇのかよ。文句があるんじゃったら自分で言え。俺の知ったことか。そんなクソくだらんことで寝てる俺をたたき起こすな」
「はぁ?よくわかったわ。あんたは家族よりもあんな奴の肩を持つんじゃね?もういいわ。あんたは私よりも親の方が大事なんやね」
などといって、延々と愚痴を聞かされて、結局私はほとんど眠れない状態で夜勤業務に就くことになってしまった。
起きてからも姉が実家に帰っていたことの不満をこぼしていたさと子にいい加減怒りを覚えた私は
「お前はこれから仕事に行く旦那に喧嘩を売るんか?おまえの母親はそうやって仕事に行く亭主に喧嘩を吹っ掛けてたんじゃの。そりゃー早死にするわな。マジであり得ん。普通の家庭はな、仕事に行く旦那に対して安心して仕事に行ってもらうため、明るく送り出すのが普通じゃ。そんなこともわからんのか」
そういうとますます喧嘩を吹っかけてきて、私もとうとう怒りが頂点に達したので、夕ご飯もろくに食べずに思いっきり玄関のドアを閉めてアパートを出た。
その日はほとんど眠れなかったことも影響して、かなり体がきつい中で仕事して、夜が明けてもう少しで仕事が終わるという時間になって、ふっと私の意識が飛んで、やばいと思った瞬間、私は体のバランスを崩して、足がもつれて転倒した。周りは金属のエッジだらけで、転倒するということはかなり危険な状態で、私は転倒したときに金属のエッジ部分に右腕がのっかってしまって、右下腕部分を深く切創してしまった。このことで工場の生産が止まってしまい、私はラインから外れて応急処置が施されて、上司が急いで現場にやってきた。応急処置を受けながらなぜこのような事態になってしまったのか、聞き取りが行われ、前日にアパートの中であったことを私は話した。そして、私は救急車に乗せられて、会社の近くの総合病院に運ばれて、その間に会社から私の両親とさと子に連絡が入った。両親は私が仕事中にけがをしたと聞いてかなり慌てた様子で、さと子と一緒に病院にやってきた。私はちょうど縫合手術を受けている最中で、手術を受けながら話をした。昨日の昼間、さと子が私に対してやったこと、姉が実家に帰るのが気に食わないっていうこと、まったく眠れなかったことなどを話した。両親は私の話を聞いて、怒りの表情を見せていた。さと子は自分がやったことが原因で、このような大騒ぎになっているのを目の当たりにして、かなり縮こまっていた。当然私の両親のみならず、会社の上司からもこっぴどく𠮟られ、自分はどの面下げていればいいのかって想ったのではないかと思う。
私の縫合手術は9過ぎごろ終わって、帰宅できたのが10時前。食事を済ませてからさと子が私の前にやってくると
「あんたさぁ、昨日のこと全部話したやろ?おかげで私が全部悪者になったじゃん。本当に死んで帰ってくればよかった。そしたら私はあんたの保険金で楽に暮らせるのに」
そういい放った。そうかぁ。私はその程度にしか思われてないのか。そう思うともう言い返すのも馬鹿らしくなってきた。
その日の晩。私は仕事に行って災害の報告書を書かなければならなかった。何が原因で災害が起きたのか、災害の現場の様子はどうなっているのか、再発防止策をどうするのか。そのようなことを上司と話し合い、書類を作成した後は縫合したところが再び開いてもいけないので、現場の作業には入れなかった。傷が完全にくっつくまで2週間ほどかかるということで、この間、まったく現場の作業ができなかった。周りのみんなが仕事をしている中で、自分は現場から離れたことしかできないことに非常に苛立ちを覚えていた。そして、災害から2週間が過ぎて、抜糸の日が来た。私は仕事を休んで病院に行くことにしていたのであるが、さと子が
「私が送っていこうか?」
といってきた。私は怒りを込めて
「死んで帰ってきてほしい相手なんやろ?そんなこと言うやつに送り迎えしてもらいたくねぇ」
「まだ、この前私が言ったことを怒ってるの?謝るからもういい加減許してよ。」
「はぁ?あれだけの暴言を浴びせておいて、今頃になって誠意のない謝罪をして許せだと?ふざけるな」
そう言い残して私は抜糸の手術を受けに病院に向かった。災害以降、私はさと子とはほとんど口もきいてなかったのである。アパートに帰っても賢とは話をするが、さと子とは全く無言であった。昼勤で夜就寝するときも別々の部屋でふすまを閉めてさと子の顔が見えなくなるようにして寝ていた。私との会話が全くなくなったことにさすがに焦りを感じたのか、さと子が
「この前私が言ってしまったことは、本当に謝る。申し訳ない。ごめん。だからもう許してほしい」
といってきた。私は
「本当に申し訳ないと思うんやったら、俺の両親と、多大な迷惑をかけた職場の上司に自分の口で謝れ」
「え…?それってまた私がみんなに怒られろってこと?」
「当たり前じゃろうが。お前がやったことが原因なんじゃから、お前が誠心誠意謝るのが常識やろうが」
そして私はまず実家に電話をかけて、さと子に謝罪させた。当然息子である私に大けがをさせたとして、両親は怒りに震えていた。思いっきりさと子を叱り飛ばして、このことは小野田の家にも連絡がいって、小野田の叔母からもきつく叱られていた。次に上司に電話しようとすると
「もうこれだけ叱られたんじゃからいいじゃん。なんで私ばかり叱られんといけんのんよ。もとをただせばお姉さんが実家に帰ってばかりなのがいけんのんじゃないん?もう私は電話に出んからね」
そういって逃げようとしだした。私は自分のやったことに対しての責任をきちんと取らせる必要があると思ったので、さと子の言うことには一切耳を貸さず上司の家に電話をかけて、元嫁に今思っていることを話させた。上司からは妻として、主人が安心して仕事に出勤できるようにするのが嫁としての大切な役割だとか、いろいろと話をされて話は終わった。私はさと子が自分のやったことの重大さがまだ理解できていないと感じたので、一応謝ったというだけで、許す気にはなれなかった。謝罪した後も私が全くさと子と会話をしようとしないので、さと子が
「ちゃんと謝ったのに、なんでいつまでも許してくれんのよ」
というので、私は
「お前の謝る姿をみて、俺は本当にお前が心の底から申し訳ないって思っているようには思えん。まぁ、俺がやかましく言うから、とりあえず謝っておけば、そのうち気も済むやろう。と思っているようにしか思えん」
そういうと
「じゃあ、どうしたら許してもらえるわけ?」
「はぁ?そんなこと、自分で考えろや。自分が俺の立場やったら、お前は相手を許せるのかよ。どうやったら許してもらえるか、じっくり考えれば」
そういうと、しばらくはおとなしくなったさと子である。
このとき負傷した傷跡は今も私の右腕にくっきりと残っており、この傷跡を見ると、あの時私が味わった悔しさや痛み、そのほかの怒りの念がわいてくる。今も私は夏場に半そでシャツ1枚になると、この傷跡が露出するので、当時のあの自分が一瞬意識が飛んで、転倒したときのことが思い起こされる。あれは恐怖以外の何ものでもなかった。
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