U子

につき

U子

 保護時に、首から下げられていた鑑札のような首輪のようなものには、『U子』とだけあった。

 それは、人よりも一回り大きいまるで芋虫のような形をしていた。いやむしろ芋虫と言うより腕に覆われた這いつくばった人間のようだった。

 灰色ががった角質化した皮膚で覆われており、裸であった。背中の辺りから無数に両腕のようなものが生えていて、それらの掌で身体を支えている。

 どうやら顔らしきものをこちらと隔てられた分厚い透明なアクリル板に押し着けている。目は澱んで表情が読み取れない。知能は低いようだ。

 髪の毛のあるべきところにも腕があった。頭頂部より両側に生えているその灰色がかった肌色の掌もアクリルガラスに押し当てている。

 何かつぶやいているようだ。調査員が聞き取ったところでは、

「もどりたい……もどりたい……」

と、繰り返しているようだと言う。

 

 ☆

 

 U子がまっとうな人間であった頃、髪の毛は多かったが茶髪と白髪の混じる髪で、まったく手入れのされていないぼさぼさの髪型であった。長さは肩より少し長いくらいだった。

 彼女は、生活に困ってある施設を訪れた。『救いの腕』という名のその施設は、最初は居心地が良かった。いや、最後まで居心地の悪さと言うものを感じなかったと言う意味では、ある意味『救い』であったかもしれない。

 入所当初は、まず簡素な服(やけに背中あたりのサイズに余裕があった)と食事と、労働が与えられた。始めは、掃除洗濯など入所者たちの身の回りの世話だった。

 それから、少し変わったところがあった。薬を飲まされるのである。ビタミン等栄養の不足を補うためであるという説明だった。やけに毒々しい色の錠剤は、日によって色が変わることがあった。蛍光の緑、同じく黄色、血のような赤、真っ黒な錠剤もあった。

 しばらくは、平穏だったが、ある日彼女に新しい仕事が与えられる。

 『餌やり』と呼ばれるそれは、厳重に管理された別棟で行われた。その棟へは何重もの鍵がかかった堅牢な扉を抜けて入った。

 最後の扉を開けると、むっと獣のような匂いが立ち込めていた。管理職員につれられるままに進むと、やがて鉄格子の扉がいくつもならんだ区画へはいった。床はコンクリートで舗装されている。生肉の塊が血の匂いも生々しいままで運ばれてきた。骨のついたままのものもある。何の肉かと尋ねたが答えはない。

 その肉塊を均等に分けた後、鉄格子扉の下にある開閉可能なゲートを開け、奥へ投げ込む。どうやら細長い部屋のようになっているようで、こちらの扉の奥、部屋の反対側にも同じような扉があるようだった。

 ここでなにが食事をとるのか聞いて見たかったが、とてもそんな雰囲気ではなく辺りに満ちる獰猛な気配に体の震えを感じていた。ちらと扉の奥でなにかが横切ったようだった。人間ではなく見た事の無い生き物のようであった。


 ☆


 U子がある晩、割り当てられている簡易なベッドでねていると、背中に痛痒を感じた。あまりひどいので医療スタッフに見てもらうことにした。

「すこし盛り上がってきている」

 そういって、明日から処方を変えようといったきり、軽い睡眠薬を与えられ寝かされてしまった。横向きで眠るようにとだけ言った。

 数日後、左の肩甲骨の下、背骨の横辺りに奇妙なものがせり出してきた。よくみるとその反対側、右の肩甲骨の下にも少し盛り上がりがある。それは次第に腕のような形になってきた。今まで気が付かなかったが、おなじような異様な背中をしている入所者が数人いる。 

 彼らは背中の腕の程度がある程度を越えると、『別の場所』へ連れて行かれるようだった。そのせいで、一般の入所者の中で背中の膨らんだものは目立たない割合であった。

 一度、U子は気になったので、「どこへ連れていかれるのか」をこっそりほかの入所者へ聞いたことがある。

「天国だってさ。誰も戻ってこないけど。居心地がいいんじゃないの。」そう言った彼女の顔は、まるで地獄を覗いているような絶望的な暗い目をしていた。


 ☆


 U子の背中の腕がもう4本になろうとしていたころ、彼女はついに別の場所に連れて行かれた。そのころから彼女に与えられていたきつい薬のせいなのか、彼女の意識はぼんやりとしていて、もう抵抗も疑問も湧いては来なかった。

 厳しい管理棟のなかで、コンクリートの床を背中から生えた複数の腕をつかってはい回り、片隅の穴で排泄をして、食事を知らせるアナウンスがなれば、割り当てのゲートの前で待ち、やがてゲートがあけば中に入り、生肉にかぶりつく。いつの間にか顔は一回り大きくなり、口は耳まで裂け、歯は強く大きくなっていた。太い骨ごと噛み砕くことも容易に出来るようになっていた。

 あるとき、管理棟内で争いがあった。変異者の一体が突然に奇声をあげ、他の一体へ襲い掛かったのだ。しかし、管理社員は変異者のエリアには入ってこず、そのままに任せた。やがて傷ついた変異者の2体は回収されて帰ってこなかった。その後どうなったかは分からない。。

 U子にとってそのほかの毎日の中での変化と言えば、背中からの腕の数が日に日に増えていくことだった。四本から五本、六本、八本、十本を超えた時、体のほどんどは腕に覆われていた。下半身はおまけのようなものになり、ついには首と頭にも腕が生えてきた。

 どうやらU子は特別であったらしい。ほかのものはそこまでの変化はみられないようで、時折顔を見せる白衣の一群は「すばらしい」とか「実用段階」などといっているようだった。


 ☆


 管理者の責任ではないが、運営していた法人の不手際で突如、その施設は放棄されることとなった。まだ変化を見せていなかった入所者は、長い検査のあと社会復帰プログラムに組み込まれていった。

 U子らのような変異者は、研究対象としてとある研究機関へ移されたが、その狂暴性に手を焼いたようで、密かに数を半数へ減らそうとしていた。

「ちょうど餌にもなるし……」かれらはそう言って、変異者たちを管理しようとしていた。

 この実験が何のためだったかは不明だが、ある成果を収めた事は変異者たちをみればわかる。しかし、それよりも顕著なのは異常になれてしまう異常性であった。研究者たちは、次第に『安全な』毒々しい色の錠剤を手軽な『栄養補給のため』に取り始めているのだし、それらが一般に売り出されれば庶民はTVショッピングなどで買いあさるかも知れない。

 最近、なにかの健康食品の錠剤を呑んだ方もおられるかもしれない。その方々の中で、背中が痒くて眠れないとか、食事の好みが変わってきた――生肉を好むようになってきた――方がいないとは限らないが、自分の身は自分で守らなければいけないのが現代である。またこの時代、ある獣性を身に付けるものまた一つのやり方かもしれないが、あくまでもそれは自己責任で行うべきである。たとえそれが貧しさからであったとしても、無知からであったにしても誰もその責任を負ってはくれないのだ。ただ、変わり果てた己の姿を傍観するだけの知能が残されていれば幸いである。

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